+ 硝 子 の 森 +







 朝。
 近くにあった店でパンと牛乳、そして新聞を買い、歩は広場の噴水の前にあるベンチに腰掛けた。

 一騒動あった街を離れ、数キロ歩いた場所にあったこの町。
 小さな町だが、街道沿いということもあり、人の行き来は多い。
 休息に持って来いな上、かえってこういう場所の方が、情報集めに適していたりするのだ。
 『ドール』と呼ばれる種族、その一人だというあの浅月という男について、何か情報が得られるかもしれない。


 ひよのはというと、すでにあの花畑で別れていた。
 話している内に、寝転がって呑気に寝息を立て始めたひよのの傍で待っている理由も、共に行動する理由もない。
 だからそのまま放っておいてここまで来たというわけだ。

「俺のことも知ってたし、なんか危なそうな女だったからな……」
 嘆息混じりに言いながら、肩に下げた鞄から小さなケースを取り出す。
 ケースには、十センチほどの細い筒が入っていて。それを開け、そこに入っている数本の細長いものを抜き取る。
「最近は人形兵も現れなかったから、録に手入れしてなかったな…」
 人形兵が襲って来た時、撃退した針だ。
 またいつ襲われるかも分からないし、などと呟きながら、いそいそと手入れの準備を始める。
 一本ずつ、金属を補強するクリーム状の薬を塗り、それを荒布で拭き取る。 そして今度は錆止めを塗り…と、これを繰り返して行く。
 そして何本目かに手を伸ばしたとき、前に人がいて、じっと自分を眺めているのに気付いた。
「…?」
 訝しげに顔を上げると、少女が一人、物珍しげに歩の手つきを眺めていて。
「何をしてらっしゃるんですか?」
「――…」
 歩より幾つか年下だろうか。 低い背格好に、大きなくりくりした目で、とても幼く見える。
 じっと黙ったまま自分を凝視している歩に、少女は「?」不思議そうに首を傾げ、何をしてらっしゃるんですか?と、もう一度同じことを尋ねた。
「…持ち物の手入れだ」
 見て分かるだろ、とでも言いたげに、歩が嘆息混じりに答える。
「不思議な物ですねぇ、針…ですか?」
「ああ」
「何をするための針なんですか?」
 一向に黙る様子もなく、興味津々に歩の手元をしげしげと見つめる少女に、「……」歩が煩そうに嘆息した。
「何であんたにそこまで話さなきゃならん」
「うっ……」
 歩の一言に少女が言葉を詰まらせ、大きな瞳が潤んだ。
「そ…あたしはただ…お兄さんがこんな朝から一人で何をしてらっしゃるのか…ちょっと気になっただけなのに〜」
 顔を赤らめながらそう言い、少女は顔を両手で覆いながら走り去ってしまった。

「…………」
 多少罪悪感が湧かないこともなかったが、肩を竦め、歩が作業を再開しようとすると。

「―――?」
 急に空気が張り詰めた感覚がする。
 今まで何度も感じてきたものと、同じ感覚。
「…また人形兵か?」
 まだ朝であるために、人通りも少ない。
 人形兵が現れると真っ先に鳴り響くはずの警報も聞こえないところからして、どこかに身を潜めているのだろうか。

 本来何の感情も意思も持たない、ただ目の前にある物を破壊し、命を奪うだけの人形兵だが、本当に時々、身を潜めて気配を殺して戦ったりと、知略めいたものを使ってくるものがいるのだ。
 油断しないよう、歩は針を磨く作業を続ける振りをしながらも、意識を周囲へ集中させる。




「…――後ろかっ!」
 背後に感じた冷たく、鋭い気。
 針を握り締め、歩が瞬時に構えて飛び掛かる。
 しかし、そこにいたのは。


「へぁっ!?」
「ッ!!?」


 どしゃ。
 驚いて体勢を崩し、二人ともその場に倒れこんだ。
 手に持っていた果物やパンを辺りにぶちまけた様子で、ひよのが慌ててそれを拾い集めている。
 そして直後、きっと歩を睨み、
「…な、なんですか鳴海さん!急に襲い掛かってくるなんて…」
「それはこっちのセリフだ!なんであんたが…―――!!」

 負けじと言い返そうとした歩だったが、あることに気付いて言葉を詰まらせる。
 先ほどまで後ろの首筋がちりちりと痛むほどに感じていた人形兵の気配が、完全に消えていた。





「…あんなに近くから感じたのに…」
「まったく、この私をあろうことか人形兵と間違えるなんて!!失礼しちゃいます!」
 呆然と立ち尽くす歩に、ひよのがぷうと頬を膨らませて怒っている。
「はいはい、悪かったよ。 …それはそうと、」
 何であんたがここにいるんだ? と、歩が首を傾げて問う。
 すると、その問いにひよのは「あっ!」と思い出したように声をあげて。
「さっきのですっかり忘れてました! …鳴海さん、ヒドいじゃないですか!あんなトコに女の子を一人ぼっちで置いてけぼりにするなんて!!」
「…あー。 あんたが勝手に寝始めたんだろ。 俺には起こしてやる理由も待っててやる言われも無かったしな」
「くぅ…かわいくないですねー!」
 ていうか、あんた昨日から一晩ずっとあそこで寝てたのか。
 と、少し興味があったが、とりあえず歩は何も訊かなかった。

 何よりも、このひよのという少女に、拭えない不信感を感じたから。
 背後から感じた鋭い殺気。
 あの感覚を、間違えるはずがない。

 それにも関わらず、その気配はひよのが出てきてから、瞬時にして消えてしまった。
 あの殺気がこの少女からのものではないという保証もない。
 そうでなくても、初めて会った時のことなども考えると、やはり疑うべき要素が大いにあるのだ。

「…なんか、鳴海さん。 私のことをあまり信用してないって、そんな感じですねー」
 ひよのがぷうと拗ねるように頬を膨らませて、針を磨く作業を再開している歩に訴える。
「……当たり前だろ。 会ったばかりだし、そうでないにしてもあんたは……」
「…私は、なんですか」
 ひよのの問いには答えず、「…」歩はぴっ、とひよのによく見えるように、手に持っている針を差し出した。
「…コレが何だか分かるか?」
「はい!鳴海さんお得意の技ですよね! 人形の間接のジョイント部分に差し込み、瞬時にその核…ボルトを外して分解しちゃうという! あの英雄さんが作った人形を破壊出来る人はそういませんからね〜」

「…………」
 得意げに述べるひよのに、歩は嘆息混じりに「…やっぱり…」と呟いて。
「これだよ」
「え?」
「あんた、俺を知り過ぎてるんだ。 俺はあんたのこと何も知らないのに、会ったばかりなのに、だぜ? はっきり言って怖いよ。 不信感を持たずにいられるか」

 特にこの「針」に関しては、そうだった。
 自分のこの「武器」のことを知っている人間は、誰一人としていないはずなのだ。
 もし自分の問いに対し彼女が「知りません」などと答えたなら、少しは安心できたのだが。
 ますますこの娘は油断ならない人間になってしまったというわけだ。


「でも、そんなこと言ってもですねー…私が知ってるのは、何も鳴海さんのことだけではありませんよ?」
 別に鳴海さんの情報だけを漁って追い掛けてるストーカーってわけじゃありません。
 ひよのが笑顔で手をひらひらさせながら言う。
「…じゃあ、何で俺について来るんだ」
 埒が開かないと踏んだのか、歩が嘆息混じりに尋ねた。
 その問いにひよのは相変わらずの笑顔できっぱりと言う。
「それは簡単です。 鳴海さんのお手伝いがしたいからですよ♪」
「…ちゃんと答えろ」
「あら、答えてるじゃありませんか」
「そういうのは、答えてないってんだよ……」
 楽しそうににこにことしているひよのに反し、歩が苛付いたように前髪を掻き上げた。

「…もういい。 どのみちその様子じゃ撒いたってついて来るんだろうしな。 勝手にしろ」
「えぇ、ありがとうございます♪」
 嘆息し、降参という風に手を挙げる歩に、ひよのが笑顔を一際輝かせてぺこりと会釈した。


「…でも、一歩前進ではあるものの…鳴海さんて、まだまだ私のこと信用してくださったわけじゃないんですからねー…」
 歩調の速い歩の後を早足で歩きながら、ひよのが不満げに言う。
 今までの彼女の言動で、どうやって信用しろと言うのか。
 などと思ってはみたが、歩はそう言わず、足を止め、静かに後ろを振り返った。
「…?」
 どうしたんですか、と言うひよのの言葉を遮って、暗い笑みを浮かべる。


「…気にするな。 俺が信用してないのは、何もあんただけじゃない」

「―――……」
 口の端を上げただけの歩の自嘲めいた笑みをぼんやりと眺めて。
 ひよのは何か言おうとしたが、そのまま歩き出した歩の後を、何も言わずに歩き始めた。



















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03/06/17
09/12/02 加筆修正