+ テ ラ +







 自分が何か、大きなものに巻き込まれていることに。
 そう、
 今にもそれに飲み込まれてしまいそうなことに、

 本当は 気づいていたのかもしれない。


 ただ それを認めたくなかっただけで。












「ったく……どこへ行ったんだ…」
 街での一件をどうにか切り抜けた後、歩はあの少女を追っていた。

 人垣を潜り抜け、歩き易く整備された街道に出てどれくらい歩いただろうか。
 気付けば、道の脇に広がっているのは、一面の あやめの花。

「アヤメ……か」

 今まで特に何か感じたことなどなかったはずなのに。
 なぜか、懐かしさにも似た思いを感じて。 歩は足を止めた。

 優しい風にあでやかに揺れる、紫の花びら。
 それはまるで意思を持っているかのようで 風に歌うかのようで。

 憑かれたように、その花に歩が見入っていると。

「あやめがお好きなんですか?鳴海さん」
 ふと横から聞こえてきた、聞き覚えのある涼しげな声。
「!!!」
 驚いて身構えると、自分の立っていた位置から数メートルも離れていない場所に、先ほどの少女が座っていた。
 気配が消えていたというよりも、あまりにも少女の纏う空気が、一面のあやめに溶け込んでいるように透明な気がして。 歩は息を呑んだ。
「…いつからそこに」
 なぜ自分の名を知っているか、とか、少女が何者か、とか訊くことも忘れた歩が言葉を搾り出す。声には得体の知れないものへの明らかな不審と焦りが滲み出ていた。
「さっきからずっとですよ〜」
 ここであやめさんに紛れて日向ぼっこしてるんです。と、少女はにこにこと笑いながら手をひらひらさせた。







 歩には目を向けずにただ眼前に広がるあやめを眺めていた少女が、突然ふと呟いた。
「この世界の不幸の元凶の…」
「?」
 歩が訝って眉をひそめる。
 しかし少女は言葉を続けずに、一度口を閉じた後静かに歩を正面から見据えた。
「壊された人形兵や…そして英雄の意のままに破壊を続ける『ドール』達は、どこへ行くと思いますか?」
 歩は「…」しばし黙ったあと、その問いには答えず、
「何を訊きたいのかは知らんが…あんた何で俺の名前を知ってる?」
 少女の正体を確かめることを優先にすることにした。
 先ほどの街での言動から、彼女に関して不審な点があまりにも多すぎる。
 歩の言葉に少女はふっと小さく笑い、にやりと人の悪そうな笑顔を向けて言った。
「知ってるのは名前だけじゃありませんよ」
「…」
 もしかしなくても、この少女は危険人物かもしれない。
 歩がジト目で少女を見据えながら、やがて小さく嘆息した。
「……まあいい。…あんた、何者なんだ?」
 本当は一番初めに、この質問をすべきだったのだろうが。
 突拍子の無い彼女に調子を崩されて会話の順番が滅茶苦茶になっていると感じながらも尋ねると、少女は驚いたように目を丸く見開いた。
「え? あなた、私をご存知ないんですか??」
「……」
 言われて、とりあえず歩は自分の記憶の中に、彼女に該当するような人間はいないか探ってみる。そしてやれやれと嘆息し、
「…あんた、少し意識過剰なんじゃないか?」
「なっ!失礼ですね!!」
 少女がぷうと頬を膨らませて上目遣いに歩を睨んだ。
 それを肩を竦めて流しながら、歩が面倒臭そうに肩を竦める。
「知らないものは知らないんだ、仕方ないだろ。 で…」
 あんたは誰なんだ?と、歩が再度尋ねる。
 すると少女は気を取り直したようにコホン、と咳払いし、
「私はひよの。結崎ひよのと申します。以後、くれぐれもお見知りおきを」
 と、片目を瞑って見せた。



「鳴海さんは今、世の中を旅して回ってらっしゃるんですよね?」
 摘み取ったあやめの花を指でくるくると回しながら、ひよのが問う。
「なんであんたにそんなこと教えなきゃならないんだ」
「可愛くないですねー…」
 無粋な言葉で即答する歩に、ひよのが再びぷうと頬を膨らませた。
「いいですよー。 鳴海さんが五年前にお家を出て、それ以来放浪の旅に身を置いてるってことくらい調査済みですからねー」
「……そんなに前からの俺のことを知ってんのか?」
「企業秘密です」
「……」

 これ以上の会話は無駄だと感じたか、歩は諦めて嘆息した。
「旅してるなんて大層なもんじゃないさ・・・」





 ただ、居場所がなくなったから

 『そこ』には居られなくなったから

 『そこ』ではない場所を、辺りを彷徨い歩き始めただけ。






「…鳴海さん…?」

 急にふと遠い目になった歩に、今度はひよのは訝しげに首を傾げる。







「壊された人形や、『ドール』達はどこへ行くのか、そう訊いたな」
「え、あ、はい」


 さわ、と風が通り過ぎて行き、
 頭上では青空を雲がゆるやかに流れて行く。





「何であんたが俺にそんなことを訊くのかは分からないが…分かるはずがないだろ。 俺は今現在、生きている自分のことですら、分かってないのに」



 自分は何を成せるのか。

 今自分がどこに居るのか。

 これからどこに行けば良いのか。

 何より、どこに行きたいのか。

 どこに行くべきなのか。








「俺は自分について何も分かっちゃいないし、どうすれば分かるのかも分からない」








 あの天空を流れる、風に流されるまま行き先に逆らえない雲と、
 背中を押して道を示すものが無いという意味で自由すぎる自分。
 霞んだ未来に向けて自らの道を敷くことすらできない自分と。

 哀れなのはどちらだろう。




 何か言いたげな視線で自分の顔を覗き込んでいるひよのに、歩は自嘲の笑みを浮かべた。



















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03/05/26
09/10/22 加筆修正