欺瞞取り込み(インストール)


大きな膜の中で生まれた。
破ることが酷く億劫で長い間ずっとそのままにしてきた。
不透明な膜は視界を曇らせ情報を曖昧にする。

生きること、生きてゆくこと、生まれたこと。

それは酷く当たり前のことになった。世界が在るということ。
目の前が開けていることも、言の葉を紡げるということも、両の手の先まである
ことも、
臓物がひとつも欠けていないことも、両の足が地に着いていることも、次の命を
生み出せることも、
それは酷く不透明で存在が希薄になってゆく。
自分が居るということ。命を繋げてもらったこと。ここにいられるということ。


自分の命なんだ、どうしようと勝手だろう。
居てもいなくても一緒なんだ。
生まれてこなければ良かった。
気持ちが悪い。死んでしまえば良いのに。
ごめんなさい、もう生きてゆけません。
響く笑い声、あくまで楽しそうに。くすくすくす。

酷く酷く寂しい気持ちにさせる。
膜の中で閉じこもり泣いて叫んで悲劇の主役気分、逃げる道の提示を求める。
生まれてこなければ良かった生まれたくなんてなかった。
気泡の中に飛び込めば良い。誰も止めはしない、ただ。

生まれたときに膜ははじけている、誰かの声で。
生まれたことを伝える声が膜を破った。
抱きしめた手が膜を払っていた。
生まれたことを伝えたのは自分自身で、「無事に生まれてきたよ」って知らせて
泣いた。
酷く酷く当たり前のことで、泣き声はすぐに止んでしまったけれど、
生まれた命は生きたいと願っているから母の腹を蹴り、残酷な痛みを与える。
「どうか生まれる命が生きたいと願っていることを忘れないで」


大きな膜の中で生まれた。
揺蕩う羊水を薄目で見ながら腹の海をぷかりと浮かんだ。
不透明な膜は世界と己の声ではじけ飛んだ。

視界を曇らせ情報を曖昧にする。
当然が蔓延りすぎた世界に順応する賢い我々はもう一度膜を張る。
それは酷く簡単で何も知らない箱に一つずつ教えてゆけば良いこと。

声が薄れてゆく。
膜が張られてゆく。
もう一枚、もう一枚。


酷く曖昧になってゆく。
生きること、生きてゆくこと、生まれたこと。














title:南亜緒
poem:ちはや