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 大きすぎるのは、








  + 言葉にならない +








 遠いようで近い、近いと互いに信じているからやっぱり近い互いの距離。

 その距離をできるだけ保てるように。
 そしてできるだけ近づこうと望むのならば、

 好きなほうが負けなのは至極当然とも言える。






「なんだよ、バカ香介のくせにあたしに歯向かおうなんて百年早い!」
「ハイハイ、分かったよ買ってくりゃいいんだろ」


 やっと会えたクリスマス。

 やっとと言っても別に普段会っていないわけでもない。
 けれどその日に会うということは普段とは違った感慨があるようでないようで。

 とりあえずクリスマスに主役の(?)ケーキがないということは、彼女にとっては重要問題だったようだ。








「……ふぅ」
 芋色の後ろ頭を叩き出し、そのダルそうな足音がのろのろと部屋から遠ざかっていくのを聴きながら、亮子は嘆息した。


「…やっちまった」
 かちっと四角い窓にはまったような灰色の寒空。
 肩を怒らせながら、ケーキを買いに歩いていった浅月のことを思って…というよりも、今日…こんな日まで。 こんな日だからこそ、普段と同じような態度しかとれない自分が情けなくて苦笑する。




 言葉を言ってしまった後に後悔する。
 よくある話だが、自分はそれがあまりに多いように思える。

 冷たい言葉も放つ。
 乱暴な言葉も、無神経と思えるような言葉も。
 相手が彼だからこそ言える言葉。
 そして、それゆえに、後悔も大きい。

 それは恐らく、自分がどんな言葉を発しても、態度をしても、彼が笑っているからだろう。
 言葉ひとつひとつを後で後悔している、それなのに謝りもできないちっぽけな自分をまるごと包んでくれそうなほど、大きい人間だと思う。
 それがまた悔しくて、何より自分が嫌で、また心とは裏腹な態度をとってしまうのだが。


「……はぁ………」





 この寒い中ケーキを買いに、一人で街中を歩いている浅月を思い浮かべる。

 横柄な態度をとったことを今すぐ謝りたい。
 それは普段通りの後悔。


 なんで一緒に買いに行く、という発想が出なかったのか。
 というか今すぐ彼を探しに走れば良いのにそれもできない。


 それもまったく普段と同じ葛藤。




 彼は怒ってはいないか、ついに愛想を尽かされたのではないか。
 そんな心配ばかり過ぎり、嘆息する。
 それを繰り返している内に、窓から見える空はすっかり藍を筆先で滑らせたようなオレンジになっていた。







 永遠にも感じるような、その無意味な、そして無限ループな葛藤に嘆息を繰り返していたころ。
 ようやく浅月が帰ってくる。

「たーだいまー。 あー寒い寒い!!」

 ドアががちゃがちゃと音を立てたのに亮子は飛び上がるように反応する。
 しかし今までの葛藤、そして帰ってきたことへの安堵などは微塵にも表さないのも決して怠らない。

「遅かったじゃないか! 何処まで行ってたんだよ、ケーキ一箱買うのに!」
「ったくひでぇなぁ。 この寒い中一人クリスマスな街中を歩いて買ってきたんだぜ……って、」
 靴を脱ぎ、言いながら部屋に上がり、亮子の顔を見て浅月が言葉を止めた。
「…なんだよ、俺が遅かったから心配してたのか?」
「な、何言ってんだ!なんであたしがお前の心配しなきゃいけないんだよ!」
「そーかそーか。 心配してたんじゃ機嫌も悪くなるよなぁ」
「だから、誰がっ!」
 からかうように笑う浅月に、亮子が顔を僅かに赤くして抗議しようとしたとき。
「じゃーん!!」
 浅月が買ってきたケーキの箱をぱかっと開けた。

「……」
「おぉ美味そうだなオイ!さすが俺が買ってきただけのことはあんな」
 その、上品にシンプルなデコレーションがされた白いケーキに満足したのかテンションを下げられ、亮子はその美味しそうなケーキをじっと見つめる。
「へぇ。 いくらだったんだよ?」
「それは気にすんなよ。 でもそんな高くなかったぜ。 嬢ちゃんが銀泉堂のケーキセールでバイトしててよ。せっかくだから知り合いんとこからってことでそこで買ってきた」
「嬢ちゃんって、ひよの?」
「おぉ。 サンタの格好してて意外や意外に可愛かったぜ。 まぁ気ィ遣わなくても買うように脅されただろうけどな!」
「……」
 浅月が手に持っているケーキをじっと見つめたまま無言の亮子に、浅月が悪戯っぽく笑う。
「ん?なんだ?お前嬢ちゃんに妬いてんのか? そりゃまぁ、嬢ちゃんはお前より胸はあるかもなぁ…お前理緒が胸全然無いからって安心してたんだろーけど」
「なっ、ばっ、だ、誰が…っ大体お前なんか大っ嫌いだっての!!!!」

 勿論浅月が冗談で自分をからかっているのは百も承知。
 自分の詰まりながらの言葉が照れ隠しも働いて普段より大きく響く。
 片手で箱の蓋を持っている浅月が、ケーキを片手で支えていたのも知っていた。

 だが先に足が出てしまった。


「「………………」」


 ケーキは重力に実に忠実に。
 やけにスローモーションに見えはしたが一瞬で落下し、現在床と熱いディープキスをしている。

「……………」
 勢いでやってしまったのだが。 亮子に悪気は少しもなかったのだが。
 これはさすがに言い訳のしようもない。

 しかし頭には、浅月が普段通り情けない怒り顔を見せ、軽口を叩いてくるだろう場面がシュミレートされた。
 よし、それなら謝れる。 謝らないとこれはやばいだろう。

 一瞬でそこまで予測し計画を立て、亮子が浅月の顔をふと見ると。


「……っ、」
 無表情だった。
 無表情に、瞳に何の感情もたたえず、ただ浅月は無言でじっと無残なケーキの姿を眺めている。



 亮子にとって想像外の、いや、想像したくも無かった最悪の状況だ。




 怒らせるようなことばかりしている自覚はあるのだが。
 自分にとって彼を怒らせるということがどれだけ恐ろしく、あってはならないことだというかを脳裏に自ら叩きこまれたようでくらくらする。

「…………………亮子」
 低い、声。

 普段情緒豊かな彼の感情がない声は嫌だ。
 だがこの場合感情があるといって、怒り以外の何があるだろうか。

 すっかり畏縮してしまった亮子の手を、いきなり浅月ががっと掴んだ。
「!!?」
 あまりの驚きで悲鳴を上げそうになる。
 しかし続いて浅月が発した言葉は予想外と言っちゃ予想外。


「お前、今……なんつった?」



「………………………………へ?」






「なんつった?」
「だ……だいきら、」



「そうかそうか」
 亮子の言葉を遮り、にっこりと笑顔で浅月がのたまう。
 彼女の右手首をしっかり掴んだまま。




「じゃあ大好きって百回言ったら許してやるよ」




 語尾に音符でもついていそうな、実にご機嫌な声で。

 彼は笑った。


 またしても謝る隙を奪われてしまったわけだが今回は―――。








 そして時間は流れ、日もすっかり暮れて。

「よう、嬢ちゃん」
「あら、浅月さんに亮子さん! 素晴らしい祝日に愛の逢瀬ですか?」
「……あいつをバカにするなら目の前でやってやれよ」
「…っていうかあんた、あのときあの場にいなかっただろ」
 サンタ服でバイト中のひよのと、なかなかに黒いやりとりをする。

「ま、用件だが? 嬢ちゃん、ケーキまだあるか?」
「え?だって浅月さん、夕方…」
「美味かったからまた欲しくてよ」
「!」
 にかっと笑って言う浅月に、隣の亮子が驚いたような、不思議そうな顔を向ける。
「そうなんですか! さすがは私の売ったケーキですね。 でも良かった〜!実は残りのケーキ二箱がどうしても売れなかったんですよ!私の分を一箱として、残り一箱だったんですが…助かりますー」
 満面の笑みを浮かべて言うひよのに、亮子は浅月が言った台詞の意味を理解し、ナルホド、と口の中で呟いた。









 真っ暗な夜空に、雪が舞い降りてくる帰り道。

「さ、あと残ってたっけ?」
 浅月が隣の亮子に向かってにやりと笑みを浮かべる。
「一回だって言ってないよ!誰が言うかこのバカ香介!」
「ったく…それじゃ俺が代わりに言ってやろーか? だいす―」
「っ、やめろこのバカ!!」




 雪が溶けそうだ。














 終





私はお星様になりました。〜完〜