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 誰が為?








  + 勉強会 +








 中間テスト前。
 日もすっかり傾き、そろそろ太陽も校舎の影に隠れてしまいそうな時刻。
 新聞部室にはその主であるひよのが残って作業をしていた。

「…………」
 口の中で何か呟きながら、真剣な眼差しをパソコンの画面に向けて何か打ち込んでいる。
 クーラー完備であり、適度に広く扱い馴れたこの部室の方が、家よりもずっと作業し易い。
 ずっと集中していたが、不意に喉の渇きを感じ、切りの良いところでひとまず休憩を入れようと大きく伸びをした…ところで急に声を掛けられた。

「お下げさん、帰らへんの?」

「わわっ!!」
 思いもよらない声掛けに心底驚き、危うく椅子から転げ落ちるところだった。
「―――火澄さんっ」
 ばくばく言う心臓を押さえつけながらひよのが嘆息する。
「あはは、驚かせてもーた? すまんすまん」
 にこにこと困ったように笑いながら、火澄が部室へと足を踏み入れる。
「ノックくらいしてくださいよ、もう!」
「ええやん。 歩だってせーへんやろ」
「何で鳴海さんが出てくるんですか」
「他にここ来る奴知らへんし」
「……」
 ジト目で睨んだところで効果があるようには思えない。
 はあと再度嘆息すると、
「火澄さんこそ。 こんな時間までどうしたんですか? テスト勉強ですか」
「いや。 最初はそーやったんやけど、居眠りしとったらこんな時間になってもーて。 …あんたこそ勉強してるんとちゃうやろ」
 言いながら、ひよのが作業していたパソコンの画面を興味ありげに覗き込む。
「えぇ、まぁ…」
 言いながら語尾を濁し、そのままお茶を淹れますから、と言って席を立つ。
「何? ハッキングか何かでテストの問題盗み見でもしとるん?」
「誰がですかッ!」
 額に青筋を浮かべ、ひよのがキッと睨む。
「冗談やって。 あんたがするんは成績結果の操作くらいやろ」
「…随分悪い噂が立ってるみたいですねぇ」
 否定することはせず、ひよのが小さく笑いながら薬缶に手を掛けた。

「いや、知っとるよ。 犬の貰い手探しとるんやろ」
「え?」
 突然の思いもよらない言葉に、ひよのが目を丸くする。
「うちのクラスの…水野ちゃんやった? が言っとった。 犬拾ったはええけど、家で飼えんくて親と喧嘩して困っとるって。 新聞部の部長さんやったら相談に乗ってくれるかもって」
「…まぁ、その子は来ましたけど」
「あんたのことやから、チラシ作ったりネットで貰い手探したりしとるんやないかなー思ったんやけど」
「…」
「当たり?」
 ひよのの無表情な、探るような目と、火澄の楽しそうに涼しげに揺れる目。 視線が数秒交差した後、ひよのが困ったように笑った。
「そんな分かりやすいですか? 私って」
「これから口説こうとする女の子のは特に分かるんよ」
「誰の台詞ですか」
 胡散臭そうにかつてその台詞を言った人間を思い浮かべる。
 火澄は楽しそうに高らかに笑い、すぐにその目を真剣なものに変えた。






「あんた、知っとる? 人の為の善って書いて 偽善、と読むんやで」






「……」
「自分の時間まで削って何やっとんの? 何考えながらそんなメンドいことやっとんねん」




 ありえない。
 心から自分の全てを犠牲にして人の為に尽くすなど。
 ありえない。
 そんな人間は見たことがない。
 そんな思いは知らない。




 ひよのは天井に視線を向け、少し考えた後

「うーん…難しいから良いです、偽善で」

 笑って言った。
 その言葉に火澄は片眉をピンと上げ、
「何やソレ。 良いわけないやん」
「私は良いって言ってますよ」
「言っとるだけや。 そうは思っとらん」
「はぁ…大丈夫ですか?」
「…ッ、」
 半眼で言うひよのの言葉に火澄は言葉を詰まらせる。

「それに人の為じゃないですよ。 私自身がそうしたくてしてるんです」
「信じられへん…」

 知らない。
 そんな思いは。

 心から誰かに尽くせる、 そんな心の存在なんて信じられるわけがない。



「火澄さんの信じる・信じないは私にとって問題じゃなかったりしますよ」
「偽善とか言われてむかついたりしないん?」
 火澄の言葉に、一瞬だけひよのの目が曇った。
「…」
 でも 一瞬だけ。

「いいえ。 私自身だけの問題だと、ある人が教えてくれたんです」



「強いな」
「それも 世界で一番、ですよ」
「そーやな」
 はは、と火澄が笑うのを見て、ひよのもにっこりと笑った。

「そういえば、人の為と書いて…というのはなかなか勉強になりました。 ありがとうございますね」

 たぶん 一生、肝に銘じないといけないことだから。
 人の笑顔が大好き、そう言う人間は
 絶対に 忘れてはいけないことだから。



「こんなコトしか教えられへんなんて情けないやんか」
「そんなことないですよ。 嬉しいと思ってますよ」


 また笑う。
 心から。 たぶん きっと心から。

 疑いようがない。
 指摘できるような闇が見つからない。
 悔しい。
 情けない。




 出会えた、それだけで良いのに。


 こんな人間になりたかった、なんて。












 終





え、テーマがこれだからって安易すぎ?(汗)