1.『 幾 重 』




 俺が考えている事に関して、大概奴にはどうでも良い事の筈だった。
 それは実際の以前、奴が言っていた事だ。
 オマエが何を考えているかは知らんが、俺には関係無いから勝手にしろと。

 しかし奴と話している際に俺の目が一瞬だけ泳いだのを皮切りに、奴は機嫌を180度転換させた。
 それがほんの数秒前の事。
 正に「不機嫌」という言葉を絵に描いて表したような顔だ。
 不細工な顔が見事に映える。
 そんな不謹慎な事を考えて思わず噴出すと、奴は益々顔を歪ませて憤慨した。
 てめーは人の話をちゃんと聞いているのかと喚いた。
 怒ると握り拳を上下に振るのが面白い癖だ。
 (ちゃんと聞いてるっつーの)
 ばかじゃないの・と俺は独り口の中だけで呟いた。
 奴の話をちゃんと聞いているからこそ思考がここまで展開されたわけで。
 何故そこまで考えられないか。
 ああ、考えてはいるのかも知れない。
 そんな正論、奴の今の精神状態にとって優先順位が低いというだけか。

 奴が怒る理由が俺には分からなかった。
 いや、正確には 怒るに値する合理的な理由が分からない。
「ただおまえと話しながら別の所見ただけだろ」
 至極もっともだ。 自分で言って笑えるほど。
「それとも何か? おれはおまえと話してる間中 ずっとおまえの目以外見ちゃだめっての?」
 キミの目力は凛々しすぎてねえと俺は奴に小ばかにしたような視線を送った。
 だがこの手の攻撃は奴には通用しない。
 眉間にくっきりと皺を寄せて睨みつけながら、たっぷり時間を置くこと三秒。
「……オマエ 俺が何話してたか聞いてたか?」
「聞いてたよ」
 ケロリと答える。
 奴は先程、いつものように前日のテレビ番組の話題から切り出した。
 奴は無人島に何か一つ道具を持って行くならばという問いにテレビと答える男だ。
 電気やアンテナ受信に関する事は割り切っているのかそこまで考えが至らないのか、とりあえず奴にとってテレビがいかに生活の多くを占めているかは良く解った。
 そして昨日の特番のバラエティに出演していたアイドルが最近落ち目だという話になり、そのアイドルの栄光の時代、そしてそのアイドルと噂になった人気男優の話題、この二人が20も年齢が離れてた事から、『オマエはどれだけの年齢差まで許容範囲内なんだ?』
「…って、所でおまえが怒ったんだよ」
「………オマエって本当ムカつくよな」
 つらつらと奴の話題の経緯をまとめてやると、奴は実に不愉快そうな顔をした。
 一応友人という関係にある俺達だ。 不愉快という感情を表に出すのは抑えても良さそうなものだが。

 まぁ、あの部分まで話が飛躍した所で、俺の視界に奴の数メートル後ろをひらひらと舞う蝶々が入ってきたわけだ。 それをちらと見た途端、俺の意識は或る『夢』の哲学に走った。

 ある男が蝶になる夢を見た。
 目が覚めれば彼は人間だった。
 しかし実際には本当の彼の姿こそ蝶であり、彼は束の間人間になっている夢を見ているに過ぎない・のかもしれない・とか そういう話だ。

 俺が奴の話から別の所に思考が行ったのは、どう多く見積もっても1.7秒だ。
 それだけで気分が一転ガラリと変わるなんて、俺には全く理解出来ない現象だ。
 こいつは右脳だけで生きてるような人間だから本当気分でモノを発する。
 だがどうにも理屈っぽいところがあり、そこがまたなんとも面倒臭い。

「話は聞いてたんだ。 ならおまえは何が気に入らないんだよ」
「俺と話してる途中で考え事すんなよ!」
 俺が奴と(だけじゃないが)会話してる途中、フッと別の物事に意識を移す事を奴は「トリップ」と呼ぶ。
 そんな大層なものではないのだが。
 現に相手の話を零してるという事も無いのだから。
 全く、何が気に入らないのか解らない。
「関係無いから勝手にしろとか言ってなかったっけ、おまえ」
「オマエが何考えてよーが俺に関係無ぇとは言ったな」
「………」
「……なんだよ」
 成程。
 奴は俺が何を考えていようが関係無い、つまり俺が考えている内容には関心無いと。
 だが俺が何か考えているという事実そのものが気に入らないと。
 そういうことか。
 単純馬鹿だが本当に面倒臭い奴だ。
 と言うか重い。

「おまえが話してる時はおまえだけをしっかり見据えておまえの言ってる事にだけ集中してろ・って事か」
「…そうなるか」
「気色の悪い話だな」
「なっ、…」
「おまえ 自分でそんだけ重要重大な話をしてるつもりか?」
「………」
「仮におまえの話に飽きておれが集中を欠いたとしても。 それはおまえの話題と「トークリョク」がその程度だったって、そう言う風には考えらんないのか?」
「……………」
 奴は口をぱくぱくさせて懸命に何か反論しようとしていた。
 しかし俺は尚も続ける。 段々面白くなってきた。
「おまえの話が重要だったとして、それをおれが聞かなかったならそれは俺の損だ。 けどおまえの話が重要でなくて、それをおれがつまらないと思いながらも一生懸命聞き入ってみろ。それだっておれの損だ」
「……………」
「相談事だったら別だけどさ。 取り留めの無い話がほとんどだろ。 どちらにしろ負担と不利益を負うのはおれだ。 おまえじゃない」
「……………」
 奴はさっきから何も言わない。
 貝のようにぎゅっと口を結んで、ただ目線だけはしっかりと逸らさずに睨むように向けて来る。
 俺が奴のこの目がなんとも居心地が悪くなるという意味で苦手だという事をたぶん奴は知らない。
「大体にして、おれはおまえの話聞いてるんだよね。 それをおまえがワケの解らん言い掛かりを付けてきてるだけで。 そこらへんどうなの」
 そこまで言うならお前だって俺の話を一字一句聞き漏らさず聞いてるのか・と詰りたくもなる。
 まぁ俺は奴の話題に受け答えをする程度だから、俺から話を持ち掛けて色々語るといった事はした記憶が無いのだが。

「分かったよ! オマエの言いたいことはよーっく分かったよ!!」
 絶対嘘だな。
 奴の脳味噌で俺の話が理解出来るとは到底思えない。
 心の中でほくそ笑みながら、俺はそーかそーかと頷いた。
「分かって貰えて嬉しいよ」
「オマエは俺と話すんのがイヤだって、そーいうコトだろ!」
「………」
 やはり。
 俺の予想は二秒で答えが出た。 全く理解出来ていない。
「あのな、おれが言いたかった事がそれだって言うなら、おまえの方こそおれの話聞いてた?ってなるんですけど」
 人前では嘆息しない事にしているのだが、この時はこれ見よがしにはぁああと盛大に吐いてやった。
 奴は怪訝な顔をする。
「なんでさっきまでの長い話のまとめがそれになるわけ?」
「んだよ散々毒吐きやがって! 俺みたいなバカとは話もしたくねぇって言ってるようにしか聞こえねぇんだよ!」
 そういう受け取り方しか出来ないから俺は奴の事を馬鹿だと認識してしまうんだが。
 まぁそこら辺は致し方無い。
 譲歩出来る範囲外だ。 お互い。

「おれはおまえの話をちゃんと聞いてます・現におまえの言葉を復唱することだって出来ます。 これで足りないならおまえ、ホント何が気に入らないのってなるんだけど」
「ったく、ホラ! そういう所なんだよ俺の気に入らねぇのは!」
「はあ?」
「オマエには誠実さが全く無い・って言ってんだよ!!」
「……」
 成程。 確かにそうかも知れない。
 馬鹿だ馬鹿だと言われてる奴に限って、時に真をずぶりと突いた正論を吐くことがある。
 俺が奴の言葉を噛み砕きながら呆然と固まっていると、奴はみるみる言葉を失速させた。
「あ…まぁ、えーと…あれだ。 オマエが話を聞いてるってのは分かってんだけどよ。 なんか心ここにあらず・みたいな感じなのが気に入らねぇ、って…んでそれでも話をちゃんと把握してるってのがまたむかついて…」
 もよもよと呟きながら気まずそうに目を泳がせる。
 どうやら奴は、自分の言葉によって俺が傷付きでもしたのかと勘違いしたらしい。
 実に面白い。
 だがやはり面倒臭い奴だ。

 俺は満面の笑みで奴に歩み寄った。
 わざとらしく奴の肩をぽんぽんと少し力を入れて叩く。
「考えないようにしたとしてもさ、それはつまり考えないようにって言う事を考えているのであって。 結局おれに出来ることなんか何も無いんだよね」
「……」
「分かる?」
「………分かった」
 素直でよろしい。
 俺は満足そうにウンウンと頷いた。
「だけどオマエ、なんでそんなに偉そうなんだ」
 不満げに眉を寄せながら奴が言う。
 至極もっともな意見かも知れない。
 しかしそんなの、俺が俺で奴が奴だからと言う答えしか無い。
 そんな下らない問答は精神力と言葉を発するまでの筋力の大いなる無駄だ。
 俺は軽く奴の呟きをスルーした。

「んで?」
「なんだよ」
「俺の許容範囲は上15、下5までだけど?」
「……………」

 なんだかんだで奴と話をするのは好きな俺だった。

「オマエ年下よりは上の方が好きなの?」
 そして奴も話を続けたかったに決まってる。
 これ以上言い合っても仕方無い(勝てない)事を阿呆なりに悟ったのか、一度睨んだだけで素直に話を続けた。
「俺は甘やかすより甘えたいタイプだと思うんだよね」

 どうせ俺はまた奴で言う所の「トリップ」とやらに陥るのだろうけど。
 まぁそんなのバレなきゃ問題無いわけだ。
 そして奴の場合、バレる方が稀なわけだ。
 目線を泳がしたりと言った事をしなければ話術に長けた俺の「振り会話」に奴が気付きよう筈が無い。

 ホラ、丁度今みたいに、ねえ。








   終








06/10/23


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