気づかなかったけれど。
 手を伸ばせば 確かに
 触れていた。







  +リュアのゆめ+







 漆黒の空。
 人々も動物も、木々も眠り、星と風が歌い始める、そんなローハンの夜。



「・・・・・・」
 レゴラスは一人、城壁に凭れ、一面の星を見上げていた。
 風の声に耳を傾けるようにして、その金糸の髪を風に遊ばせながら。









『―――戦には負ける。全滅への道を辿ることになるんだ』



 自ら吐いた言葉が、妙に胸の奥に引っかかって、抜け落ちないでいた。





「・・・・・・・・・」
 ふう、と小さく吐いた息が、静まり返ったテラスにやけに大きく響く。




「?」
 ふと背後から聞こえてきた足音に振り返ると、そこには見知った顔がいて。

 一瞬警戒の色を見せたレゴラスだったが、足音の主を確認すると、すぐに表情を柔らめた。

「こんばんは、ハルディア。 こんな夜遅くにこんな所で。どうしたのかな」
「・・・それはお互い様だ」
 無粋な声で返し、肩を竦めると、ハルディアはゆっくりとレゴラスの隣まで歩み寄って来た。




「まあ、お互いこれが最後の語らいになるかも知れないしね」
 感情を伺わせない笑顔で言うレゴラスを、しばしじっと見つめた後、ハルディアが静かに口を開いた。

「・・・・・・正直、意外だな。自由奔放で知られる緑葉の王子が、よりによって負け戦などに自らの時間と命を差し出すとは」
「ん?そうかな。アラゴルンに抱き付かれた時のあなたの顔こそ意外だったけどね」
「・・・茶化すな」
 面白いものを見せてもらった、とでも言いたげな口調で笑うレゴラスに、ハルディアが嘆息して視線を逸らす。












「自分は一体何をしているんだろう、そう思うことはあるよ」




 しばらく沈黙が続いたが、やがてレゴラスが穏やかな声でそれを破った。




 これまでに、人間で言えば何人分もの時を過ごして来て。
 そしてこれからも、悠久と呼ぶに相応しい時を、自分は過ごして行く筈で。

 今回の旅は、その時間の中のほんの、ほんの一時に過ぎない筈だったのに。






「美しい日溜りと共に、目を背けたくなるようなものまで見てしまったり、人間や他種族を守る為に弓を振るったり・・・」
 よりにもよってドワーフと。かけがえのない信頼関係を結ぶことになったり。
 付け加えながら、レゴラスが静かに笑う。

「まったく、旅に出てから、普通のエルフとして過ごしていては体験できないことばかりだよ」
「それも近々、終わってしまうのではないか?」
「・・・・・・・・・・・・」

 静かに放たれたハルディアの言葉に、レゴラスが言葉を詰まらせた。
「おまえ達を見ていれば何となく分かる。人数も以前ロリアンで会った時よりもかなり減っているではないか」
「・・・・・・そう、だね・・・」








 小さなヒビが入った岩が裂けるまでには、気の遠くなるような時間を要するものだけれど。

 人同士の絆とは、それに比べるとあまりにも 脆過ぎるようで。





「・・・おまえは一体、何を守る為に戦っている?・・・それは、」

 それは、おまえの悠久の時を費やすに足るものなのか?

 と。ハルディアが無表情に尋ねる。



「・・・・・・うーん・・・難しい問いだね」






 とても




 とても。











 そう言って、笑って。

 レゴラスは何も言わず、煌々と照る月を見上げていた。












































 痺れるような痛みが意識を支配する。

 膝が地に着きやっと、自分がやられてしまったのだと理解した。









 自分の名を呼ぶ声がする。















「ハルディア………!」


 搾り出したような、震える声で。剣士がもう一度、自分の名を呼んだ。












 耳元でざあざあと音がする。
 体が血みどろで気持ちが悪い。
 周りで喧騒が煩い。
 生き物の焼ける臭いに顔をしかめたくなる。



 しかし、痛みはなぜか、徐々に遠のいて行って。

 だから、自分はもう駄目だと、理解した。














 霞んで行く目を閉じる瞬間、目に映った最後のもの。



 なんとも情けない顔で自分を見下ろしている人間。












 閉ざした瞼の裏に、浮かんでは消えていく景色。


 その中に、今まで自分が過ごしてきた何百年もの静かで不変の映像はひとつもなくて。















 荒廃していく大地。



 炎上する国に響く叫び声。



 朽ちた大地で強かに生きる人間。



 ロリアンで出遭った、異種族同士の何とも珍妙な旅の一行。





 そして






 数日前、ここを訪れた自分に向けられた、「彼ら」の表情。



























 ―――――――――あぁ、そうか。





























 目を閉ざしたまま、ハルディアの唇が微かに動き、笑みを作った。
「おい…ハルディア、しっかりしろ」
 アラゴルンの呼びかけには最早応える必要を感じなくて。




 前の晩、少しだけ言葉を交わしたエルフに、一言言ってやりたいと思ったのだが。




















『一体、何を守る為に戦っている?…そして』


『…それは、おまえの悠久の時を費やすに足るものなのか?』








『………うーん…難しい問いだね』






















「…難しいと、言っていたな………」










 とても






 とても。



















「…?ハルディア?」





 ハルディアの声は、既に音になってはいなくて。

 アラゴルンの声も、既にハルディアの意識には触れていなくて。



 それでもハルディアは言葉を紡ぎ、アラゴルンはそれに耳を傾けていた。










 これももう、ほんの、ほんの一瞬のことであると わかっていたから。






















『自分の悠久の時を費やしてまで、戦って守る価値は』


















「私も……難しいと思っていた」











 とても。
















 ―――けれど。

















「驚くほど…簡単なものだな」









 そう

 とても、




 とても。












「おまえ、も…………きっと。すぐに解かる」




























「…ハルディア?」







「――――――――――ものが、ある・と……」



「!ハル―――」







 声は、すべて雨音に掻き消されてしまっていたけれど。

 ハルディアの少し軽くなった身体から、完全に力が抜ける瞬間。
 その言葉だけは はっきりと聴こえて。

















「―――――――――」




 嗚咽を飲み込んで、立ち上がって



 自分の守るべきものを、守るために。





 アラゴルンはすべてを振り払って、剣を握り締めた。




























 ―――この世には、ある。




 命を懸けて戦うに足る、













 尊いものが。































 終





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