尾流なる 思慕に器を構へども
            未だ指先 乾きに憂つまま




この掌においで





 緑の丘、シタン家の扉を開けるとすぐに優しい声が掛けられた。
「あら…フェイ、片付けは終わったの?」
 その声に「うん、ユイさん」笑顔で頷き、フェイがやれやれと肩を回しながらキッチンに足を進める。
「やっと今終わったよ…先生はゴミを外に出してる。 …本当先生ってば、発明とか言って最近色んなもの爆発させすぎじゃない?」
「ふふふ、いつも片付けを手伝ってくれてありがとうね、フェイ。 今ご飯の支度をするから、食べて行ってね」
 穏やかに笑うユイに、フェイも和やかな笑みを浮かべ大きく頷いた。

「――先生ってさ、よくわかんないよ」
 食事の支度をしながらユイが振り向く。 いつもながらの他愛の無い言い合いで、何か気に入らないことでもあったのだろうか、フェイが頬を膨らませながら窓の外を見ていた。
 椅子に浅く腰掛け、行儀悪くテーブルに凭れ掛かるフェイに、頷きながら「そうね」とユイが笑う。
「あの人は、なかなか自分のことを話さないから」
「ユイさんにも、よくわかってないの?」
「ええ。…でも…そうね、よく分からない人だっていう風に、分かってるわ」
「………」
 フェイの元に歩み寄るユイの丁度真後ろに窓があり、その向こうには真っ青な空が広がっている。
 そしてその青空の中、一片の雲がゆるりと風に乗って浮かんでいるのが見える。
 真っ青の中に違和感もなく、けれど溶け込むこともなく浮かぶ真っ白な雲は、自由そのもので。

 知っているのは名前と、誰もが知っているくらいの少しの情報。
 知りたいと踏み込めば無意識に退かれてしまう足。
 大丈夫だと笑うその瞳に苦も楽も隠され頼られることもない。

 フェイの視線の先を追い、彼が真顔で見詰めているもの、そして考えているだろうことを悟ってユイが笑った。
「雲のように掴めないものは、きっと掴んではいけないのよ」
「どういうこと?」
「空に浮かぶ雲は人には触れられなくて、きっと向こうもその場所にある間は触れられることを望んでいないのよ。 そして無理に触れようと臨んでしまえば両方が傷ついてしまうかもしれないわ」
「……それじゃあ、どうすればいいのかな」
 自分の言葉に真剣に聞き入り、澄んだ瞳で問うフェイに、ユイが優しく首を傾げて言う。

「雨になって、降りてくるのを待てばいいのよ」

 知ることも知られることも痛みを伴い、向こうがそれを望まないのなら。
 時間は必要だけれど。
 募りに募った想いや痛みや喜びが集まって像を結んで大きさを増し、いつかは必ず降ってくれるのなら。
 ここでこの掌を広げて待っていればいい。

「難しいな。…でも、ユイさんが言ってることはよくわかった」
 ユイの言葉を胸の中で繰り返し、うん、うんと何度も頷く。
 その様子を見ながら、「あの人は幸せ者ね」とユイが笑った。
「ねぇ、フェイはいつも、あの人の力になってくれているわよ」
「え?」
「あなたがいて、きっと幸せだもの」
「…」
「もちろん、私もミドリもね」
「………お、俺! やっぱり先生のゴミ出し手伝ってくる!」
 にこにこと笑って言うユイの言葉にとうとう照れたのか、顔を真っ赤にしてフェイが席を立ち上がった。
 慌てるようにバタバタと家を出て行ったフェイの背中をユイが静かに見送る。
 開け放たれたドアの向こうには、青空が広がり、そこにはやはりちぎれた雲が浮かんでいて。
 それを眺めながら少し寂しげな顔でユイが呟いた。
「……フェイ、あの人にとっても、あなたはあの雲のような子だと思うけれど」

 踏み込めない領域。
 覗けない、覗かせられない心の深淵。
 募り募って、雨となり降りて来るまで。
 どうかそれだけの、心通う時間が少しでも多くありますように。



 風は緩やか、それに倣い雲がゆるりと泳いで行く。
 雨はまだ、降りそうにない。
 緑の丘で青く澄み渡った空の下、少年の楽しげな笑い声が風に乗って流れて来るだけ。









end.




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サイト8周年記念!「空的なお題でSS」で、「雲」テーマのSSでした。
雲と言うと「浮雲」→「先生」→「ゼノギアス」そんな思考回路です^^

話的にはシタフェイベース…かな。
それでいて先生のことをユイさん(妻)とフェイに語らせるというのは邪道でしょうか…(笑)
でもだってユイさん大好きなんだもの!!!先生に対しては元より、フェイに対する言葉が愛情に満ちていてとても良いな〜って思います。

 09.09.09




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