どうか幸せだと言って
 それを その声を わたしの幸せとするから













            ネリネ舞うから












 運命は全て予め定められていて、自ら道を選び取ることなど出来ないと言われ続けて来た。
 それがどんなに意にそぐわないものだからと言って拒むことも出来ない。 ましてや、自らの思いのままに塗り替えることなど到底。
 出来るのは、駒として動かされ続けると分かっていても生き続けることか、それを命と共に終わらせるという選択だけ。
 けれど絶対的な力の傘下では、その選択すらも操られているものなのかもしれない。
 お前達は、そういう それだけの存在なのだと。
 そう言われ続けてきた。
 諦め、委ねよと。
 けれど諦めることも委ねることも、認めることも出来なかったから必死で首を横に振り続けて来た。 拒んで来た。
 理想し、夢想し、流れに逆らう者を沈めようと氾濫する川の中を、それでも必死でもがいて生きて来たつもりだ。
 だからこそ、カノンは仲間の元を離れ、親友で弟であるアイズを殺そうと意を決し、そして呪われた子ども達を粛清すべく、月臣学園を戦場と化した。
 けれど。
「…瞬く間に、終わっちゃったって感じかな」
 白い壁に囲まれた無機質な面会室。 ガラス板の向こうのひよのに向けて、カノンは自嘲気味に笑った。
「いえ、瞬き4回分くらいはあったんじゃないですか」
 笑って肩を竦めるひよのの言葉にカノンは一瞬目を丸くすると、今度は困ったように笑う。
「怪我の具合は、平気?」
「ええ、それはもう!バッチリ全快ですよ」
 自ら切り裂いた左腕。袖の内側では白い包帯が何重にも巻かれているがそれを物ともしない。 力こぶを作るようにカノンに腕を向け、そして元はと言えば自分でやったことですからね、と付け加えた。
「本当、とんでもない娘だなぁ」
「あら、カノンさんに言われたくないですよ」
「あそこまで出来る?普通」
「それだってカノンさんに言われたくないですよ」
「………」
 相変わらずの減らず口だ。 眉を寄せたカノンに冗談ですよ、と言い、今度は穏やかに言葉を重ねる。
「ま、賭けは私の勝ちでしたけどね」
「…そうなるのかな」
「一見鳴海さんの勝ちのように見えますけどねー、あれは実は全部!このひよのちゃんのサポートありきなんですからね!」
「ははは、そんなの誰もが知ってるよ」
「あれ、そうなんですか」
「僕を足止めしたのも、歩君が動くように焚き付けたのも。キミだからね」
「…うーん、あっさり認められちゃうとフクザツですねぇ」
 腕組みをしてうーんと唸っているひよのを眺めながら、小さく息を吐く。
 あの戦いの最後、何年振りかの深い眠りにつき、そして目が覚めてから。
 張り詰めていた糸が切れたように、世界の持つ色や音が変わった。
 自分の生きている理由とまでは行かなくとも、走り続けていたときの自分が必死で護ろうとしたもの。手に入れようと追いかけていたもの。奪われまいと抱き締めていたもの。
 それらを委ねても良いと、そんな気がしているほどに、精神が無防備になっているからか。
 "委ねる"とは、以前の自分にとって絶望の意味でしかなかった。 全てを飲み込み、意のままに操ろうとする大きな流れに身を任せ、生きたまま窒息させられるようなものだった。 それが今では。
 ひよのの肩越しに白い壁を眺めながらぼんやりと物思いに耽っていたカノンの意識を、「…あ、それじゃあ」ひよのの明るい声が呼び戻した。
「これは知ってますか? 見事カノンさんとの賭けに打ち勝ったひよのちゃんも、貧血に倒れたとき誰かに助けられて応急処置をしていただけたからこそ今ここに居られているんだ…って」
「―――」
「倒れたときは音楽室の下の階の廊下だったんですけどね。 目が覚めたときには傷も包帯を巻かれてて保健室のベッドに寝かされてたんですよ」
「……」
「学園の生徒の物と思われる学ランもかけて貰っていてですね〜、いやぁどこぞの親切な方がそうして下さらなかったら!さすがの私でもやばかったと思います」
「…ひよのさん…」
「そのどこぞの親切な方、カノンさんも心当たりありません?」
 本気で言っているのか、分かっていないのか。 訝りながらもひよのの目を見ると、向こうも真っ直ぐに見返して来て。
「………」
「………」
 そして数秒無言で見詰め合った後、どちらからともなく噴出した。
「…なるほどね、結局僕は自分で敗因を作ってしまったのか」
「ふふ、やっと気付きましたか」
 くすくすと楽しそうに笑うひよのに、カノンがやれやれと肩を竦めて言う。
「自分の意志で動いて道を選び抜いてるつもりなのに…流れっていうのは…恐ろしいな」
「でも私を助けて下さったこと、それはカノンさんの選択でしょう?」
 そう言ったひよのの言葉は少し寂しげに響き、カノンはそれに少し目を見開いた。
「それすらも、操られている者の行動だとしたら?」
「それすらも、私は一つの真実として感謝するだけです。 あなたを操っている人でなく、あなたに」




 閉じられたままの窓から青い空が覗く。
 白い雲が流れて行く様を遠目に見詰めながら、カノンがぽつぽつと零すように言った。
「自分の思い描く『これから』を、掴むと誓うことは難しいな」
 理想を掴むことを強いた自らの両手を握って、開いてその掌を眺める。 その中には何も無い。 何も無いように思える。 空虚でも諦めでもなく、今となっては自由であるという意味で。
 呆然と子どものように無防備な表情のカノンに、ひよのが暖かく宥めるように口を開いた。
「でもあなたが願う『これから』に、あなたがあなたの大切な人達と同じ場所に立って居るのなら…こんなに嬉しいことはないと思います」
「求めたって、叶うはずないと分かってても?」
「ええ」
「…やっぱダメだな、ひよのさんに会うのは」
「どうしてですか?」
「だって、今までの自分が馬鹿に思えるよ」
「あら、やっと気付いたんですか?」
「ひどいなー」
「ふふ、それも今分かったことじゃないでしょう?」
 そう言ってひよのが幸せそうに笑う。 釣られるようにカノンも破顔した。


 これまでを知っている。 そして願うのはこれからも。
 幸せなら、重ねるべきで、そして重なって行くのだから。













   終











09/06/25

ネリネの花言葉:輝き、幸せな思い出


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