雨が降ればいいと思ったけど。

 雨も降らなかったから。
 彼女の見せる笑顔のように 太陽は晴れやかに照らしたから。



 だから彼女は泣くことができない












                   海 空 













「…雨が降ったら…泣くこともできたのにね」


 カノンがぽつりと溢した言葉に、ひよのは不思議そうに目を丸くした。

「?どういうことですか?」
「別に…」

 目の上に手を翳すように日光を遮りながら、カノンが嘆息した。
 少し離れた波打ち際では、ひよのが楽しそうに足を浸して波と遊んでいる。





 天気が良かったのは、偶然か必然か。

 どちらからともなく、一緒に「海へ行こう」と意見を合致させたのは、
 たぶん運命。

 そう思っていても そんなことを言えば彼女は笑うだろうか、
 それとも
 迷惑がるか。

 嬉しそうにでも 困ったようにでも 笑顔を向けては来るのだろうが。






 落ち込んでいてもひよのは決してそれを出さない。

 けれど そういう人間こそ、
 分かる人間にはその微妙かつ絶妙な感情の動きを読み取られてしまうもので。







「辛いなら泣いたっていいんだよ」



 そんな台詞を、幼馴染であり親友でもある弟以外の人間に、
 言う日が来るとは。

 それくらい大切な人間が、現れるなんて思いもしなかった。



「辛くなんかありませんよー」
 ひよのは目も合わさずにおどけたように言うと、明るく笑って見せる。

「…嘘ばっかり」
「なんでですかっ」



 彼女が愛する鳴海歩が、
 彼の想い人である竹内理緒に想いを告げたのが、昨日。


 しかし哀しくも、想いは必ず適うものとは限らなくて。
 相手が想う者は鳴海歩ではなかった。





「本当なら歩くんの傍にいたいんじゃないの」

 傷心の彼に自分を売り込むチャンスじゃない。


 そう続けて、カノンが悪戯っぽく笑った。


「本気で言ってるんですか?」
「もちろん 心にもないよ」
「……」

 少し頬を膨らませたひよのも、カノンの続く言葉に力なく嘆息する。


「そんなことしたって」



 想いが 適って欲しい形で
 適うとは限らない。

 いつだって。



「鳴海さんが私に振り向いてくれることなんてありませんよー」

「後ろ向きだね」
「今だけですよ。少しへこみモードなもので」
「だったら泣けばいいのに」
「泣きませんよ」
「どうして?」


 毅然として、というには些か意地らしい彼女の様子に、カノンが首を傾げる。
 するとひよのは満面の笑みで笑い、ぱしゃんと小さく足で波を蹴って言った。






「私は鳴海さんのために、一滴だって泣いてあげません」






 あぁ。
 彼女らしい。
 そう思ってカノンが笑う。 哀しくなって笑った。


 どうしてこんなにもややこしくなるんだろう。



 幸せならば笑う。
 傷がつけば泣く。
 傷をつけてしまえば泣く。
 想いが適えば笑う。


 誰の気持ちも、そんな簡単なことじゃ片付かない。



 自分が想う彼女は 彼を想い、
 彼女が想う彼は 彼女を想い、
 彼が想う彼女は

 自分を想っている。




 どうして

 こんなにも複雑な。





 どうして 彼女は彼じゃないと駄目なのか。
 どうして 自分は彼女じゃないと駄目なのか。




 少し たったひとつ妥協するだけで
 全ては収まって


 世界は優しく回り出すのに。






「どうしてひよのさんは僕じゃ駄目かなぁ」



 どうして歩くんじゃなきゃ駄目かなぁ。






 そう訊いた。
 真剣な顔で。

 すると彼女は


「そんなの私にも分かりませ、…」




 そんなの私にも分かりませんよ。
 そう言って笑おうとしたのだろうけど。


 どうやら失敗したようだ。
 笑顔でも
 酷く泣きそうな顔になってしまった。

 慌てて俯いて 零れて来る衝動を抑えに掛かる。




 そんな様子を見ると、カノンは薄く笑うと、波打ち際のひよのに近づいて。




「…わわっ!?」

 ばしゃん、と思い切り水を掛けられ、ひよのが目を白黒させる。

「ちょっとカノンさん、何す…」

 不満を訴える言葉を言い終わる前に、また水の襲撃が始まる。


「あはは、暑いからこれくらいが涼しくていいんじゃない?」
「ちょっ…止め……っもうッ!!!!」


 ひよのもついに抵抗を止め、カノンに水を掛け始めた。

「わっ!何するんだ」
「お返しですよ!そっちこそ女の子に何するんですか!!」
「水も滴るいい女だって」
「何アホなこと言ってるんですか!」





 頭からつま先までずぶ濡れになって。
 前髪からしきりに水が滴り落ちれば。

 水に紛れて涙も流れるかな。




「………あぁっ、もう!!」
「…どうしたの?」
「どうして…どうして私は……」

 どうしてあなたではダメなんでしょう。


 こんなに優しいのに。
 こんなに。
 こんなに。


 どうして。

 それでも。



 答えもない。
 応えもない。


 溢れる。
 ただ 溢れるだけ。

 何も変わらないのに。

 涙を落とせば 彼の心が変わるわけでも、
 自分の心が変わるわけでもない。


 でも 今は。



 "彼" の優しさが
 この凍てつきそうな胸に 染みただけ。




 その場でしゃがみ込むと、腰までが水に浸かる。
 それも構わずそのまま俯いて沈黙するひよのに、カノンがゆっくりと歩み寄って、

 抱き締めるでもなく、肩に手を置くでもなく、何か言葉を掛けるでもなく。




 ただただ、海に 濡れた頬をしきりに水が伝って 海に還るのを、
 眺めていた。






 空は彼女の代わりにも泣いてくれない。
 それならば せめて。

 この海が 彼女のなけなしであり止め処ない

 涙を受け入れてくれますように。




 そんな、祈りを込めて。










   終








カノ→ひよ→弟→理緒→カノ
の究極四角関係。
三角とか四角関係っていってもドロドロじゃなくて、透明なものが書けたらって思い升。

3周年企画でいただいたお題は「海 空 涙」(螺旋文)でしたー。
お題をもらったときは「どんなの書こう…;」って悩んだりしましたが書き始めるとすらすら書けた感じ。
書いててすっごい楽しかったです。久々のカノひよだー やっぱ楽しいなぁ(*´∇`*)
素敵なお題ありがとうございました〜vv

BGM「夏の魔物」BY:小島麻由美


05/04/12


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