すべてが錆びつきそうだったのに
 すべてが消えてなくなれば良いと思ったのに


 事実は何一つ消えることも冷えることもなく

 心だけが錆びついたように


 ただ







 細胞という細胞すべてが
 彼を覚えていた












                            く錆びた














 心の隙間は、すぐには埋まらない。
 それが自分の半身のような、もしかすると自分自身よりも大事だったものが抜けての穴ならば
 埋まるはずがないとさえ思えていた。


 やはり その存在を忘れることはなかったけれど

 傷が癒えたなんて決して思わないけれど。






「お前一人でなんかも背負うなよ、ラザフォード」




 確かに 傷は 隙間は
 埋まりつつあった。








「ぅおーいラザフォード〜。 来たぞー」

 不躾ではあるがどこか愛想のある声と共に、ドアが開かれた。
 部屋の鍵は渡してあったのか、無理やり取られたのか…は、覚えていない。

「お、電気ついてんな。カーテンも開いてるし…」

 アイズの部屋に入るなり、浅月は部屋の「生活感」をチェックして回る。







 カノンが離れてから、アイズは暴れることはなかったものの、ひっそりと自暴自棄になったようで。
 部屋から一歩も出ずに部屋も一日中暗く、下手をすれば24時間ベッドの上で
 布団を被って天井を見つめて過ごしているという有様だったから。






 その期間のことはアイズもよく覚えてはいないのだが、そんな生活をして一週間ほど経ったころだろうか。


 浅月が部屋にやって来た。


 そしてそんな自分に笑いかけるでもなく叱咤するでもなく、

 ただ部屋の電気をつけてカーテンを開け、窓を開け、テーブルに飲食品を置いてまた何も言わずに帰って行った。




 そして夜になると、浅月はまたアイズの部屋にやって来て。

 ベッドの上から動いた様子がない
 (それどころか浅月が来たという認識をしていたか定かでもない)アイズを一瞥すると、

 今度は窓を閉めてカーテンも引いて、そのまま無言でつかつかと歩み寄ってきて
 無理やり彼を引き起こし、口の中に食べ物を突っ込んできた。



 はじめは焦点の合わない目で空を見つめるだけだったアイズも、
 次第に口に入れられたものを噛んで飲み込み始めて。

 何かを「食べる」行為なんて気が遠くなるほど久しぶりのような気がしたが、
 幸い身体はその手順を覚えていたようだった。


 とりあえず味わうこともなかったが用意されたもの(水と保存食のような栄養食)を食べ終わると、
 それを待っていたように ずっと隣で見ていた浅月が頭を撫でてくる。

 そこではじめてアイズはしっかりと浅月を見て、
 彼が穏やかに笑っているのに気付いた。

 彼がずっと何か話しかけてきているということもそこではじめて気付いたが、声はなぜか聞こえなかった。



 そこでまた、はじめて 自分の耳が「音」を受け入れてこないことに気付いた。








『耳が聴こえないのは、精神的な…一時的なもんだってよ』
 メモに走り書きし、浅月がアイズに見せる。
 まぁ、本人がそれはちゃんと知っているのだろう。
 その文面をちらと見ても、アイズは少し頷いただけで何も反応を見せなかった。


「…まったく……」

 フラフラと窓際まで覚束ない足で歩いて行き、置いてある椅子に腰掛けてぼんやりと外を眺める。
 いつもと同じ調子のこれ。

 そんなアイズを見て、浅月が嘆息する。
 でもそれは「やれやれ世話が焼ける」程度のもので、なんとなく幸せさえ 感じさせるようで。

 そして表情のない横顔を見つめて、聴こえないと知っているから普段と変わらない音量で独りごちる。



「カノンが…あいつがいなくなっただけでこうも壊れちゃうんですか」



 いつになったら声が聴けるんだろう。
 いつになったら言葉を伝えられるんだろう。

 気長に待つつもりではいるけれど、
 今は彼の傷を癒すのを最優先にするつもりでいるけれど。

 この途方もなさが、悲しくもあって、でもほんの少し嬉しくもあって
 時が止まればいい、なんて思うこともあったけど
 そんな自分に苦笑して

 やはり前の彼に戻って欲しいな、と
 そう思って、その考えを肯定するように頷いて



 胸の痛みの理由も分からず、困ったように一人笑った。














 浅月がアイズの部屋に赴き、彼の身の周りの世話を焼くようになって10日ほどが過ぎた。

 自分の声は届かない。
 相手の声も届かない。

 自分は筆談でとりあえず思っていることを伝えられはするが、
 相手からはまるで無反応というか、機械的な動作が返ってくるだけ。
 カノンが離れたことで過ぎた悲しみがアイズの心を前以上に凍り付かせてしまったようで、
 まるで人間と一緒にいる気がしない。



 だがそれでもずっと変わらずに毎日、アイズの世話をしに部屋に来てしまうのだ。
 それがどうしてかは、分からなかった。

 仲間だから?

 そうでもあるけれど、それだけとはどこか違う。


 本当はそんな理由、分かっていたのかもしれないけれど

 たった一人の存在が消えたことでこうも壊れてしまったアイズを見ると、
 自分の胸の中にある感情の「先行き」なんて可能性がまるでないから


 分からない振りをしている。



 そう、それすらも分かっていた。








 本当に少しずつではあるが、日を追うごとにアイズの心が回復していくのが分かる。
 その目に宿る光が 本当に少しずつ、強くなっていくのを感じる度 ただ嬉しかった。

 はじめは「来てやっている」 そんな感じだったのに。

 いつの間にか、アイズが日々の生活は補助なしで大丈夫になっても
 それでも彼の部屋に毎日通い続けた。

 ただ顔が見たかった。


 できれば声がききたかった。







 そうやって少しずつ 完全に

 いつかは侵食されていた。



















 太陽が嫌い、というわけではないだろうが。
 気分的にだろう、晴れの日は自分から進んで部屋のカーテンを引くようになっていた。

「たまには陽に当たったほうが良いかもなー、ラザフォード」

 聴こえなくとも、浅月が何か言っているということは唇が動いているのを見て分かる。
 そして自分の名前を口に出しているときの形は覚えているのだろう、
 自分の名前が呼ばれているということに反応して、アイズが「ん?」というように首を傾げた。


 上目遣いにそうする様子がどこか猫そっくりで、浅月は笑いながら

『太陽はキライか〜?』
 とメモに書いて見せる。
 アイズはその字を目だけでなぞると、ペンを取って横に

『そんなことはないが、』

 と走り書きする。
 しかしどう書けばいいのか分からず迷っているのだろう。言葉の続きがいつまでも出てこない。


「いいよ、別に」

 思わず口に出して言いながら、浅月がぽんぽんとアイズの頭を撫でるように叩く。

 癖のようにそうするようになった浅月を、
 それでもアイズは普段は無表情で無反応、遠くを眺めるような顔をしていたものだが
 今日は少し違っていて。

「ん?」

 自分を見てくる浅月の目をじっと見つめて、



「………!」





 微笑った。





 前まで、そう 彼の隣にカノンがいたころだって
 アイズの笑みは少し目を細めるだけだったり、口元を少し上げるだけだったり
 冷たくはなくとも不器用な笑み、

 そう浅月は認識していた。

 それも嫌いではなかったが、どこか胸の奥がぬるくなるような 違和感があったものだけど。




 今 自分に見せたそれは、


 カーテンの隙間から漏れる陽だまりに ふわりと羽根が落ちてくるような

 小さくとも


 そんな優しい笑みで。




「…ラザフォード」


 何気ない、ただ過ぎていた日常が
 それだけで

 "そこに「幸せ」というものが眠っていたと気付いてしまった"

 そんな錯覚が起こって、
 全身が粟立つような どこか恐怖も似た感情に駆られる。






 アイズの部屋に浅月が来るようになって、2ヶ月が過ぎようとしていた。






















TO BE CONTINUED...



「シンドローム」








よしゃー 連続更新いくぞー!!
かなり趣味ですが凄い楽しんで書いてます!(*´∇`*)
途中からお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、某シュウさんが描かれていたイラストを見た瞬間に、一気に降ってきた話。
SSにすること、許してもらえて光栄です…てか恐縮ですヨo(>_<*)
ありがとうございます…!イメージが崩壊しないようにがんばります!
香ラザ大好きです^^*

いただいたお題は「青く錆びた」(螺旋文)でした〜。
「これとこれとこれは続きものでできたら…!」とか考えていたので、実現できてすっごい嬉しいです(*´∇`*)
素敵なお題、ありがとうございます!!


05/07/17


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