見せているのか 見透かされているのか たぶん誰にとっても、一番残酷なのは現実なんかじゃなくて夢の方なんじゃないかと思う。 だってそれを知らなければ現実の厳しさなんて知らないで済むから。 甘く、『こんなことがあったら』『もしこうだったら』そんな顔を覗かせておいて、瞼を開いた途端にそんなものはありえない・と突き落としてくるなんて 本当に夢とは残酷なものに思える。たぶん誰にもそうじゃないのかと、思う。 「なぁ、」 「何ですか?」 「…………」 「呼びかけといて黙らないでくださいよ…」 呼んでみたかっただけ・と言うならそれも良いですよ〜と笑いながら、パソコンの画面から目を離しひよのが歩に向き直った。 ひよのが体の向きを変えても歩は変わらずに机の上の雑誌に向かい、ただぎしりと椅子の背もたれに大きく凭れ掛かる。 その横顔はどこまでも無表情、しかしいつものどこか張り詰めた空気を纏っているのでなくあくまでも穏やかだった。しかし真剣なのはよく判る。彼が自分に問い掛けてくること自体少ないが、その横顔に何かを感じひよのの目が静かになった。 「…訊きたいことがあるなら訊いてくださいよ」 あなたが何を訊きたいのか。私はそれを聞きたいです。 ひよのがそう言うと歩はふっと横顔で困ったように笑い、ゆっくりと口を開いた。 「……失敗って、何回まで許されると思う?」 「――――」 その言葉に少しの間絶句し、彼の前、机の上に広げられた料理雑誌に目が留まる。ここで『一度の失敗で料理の材料はダメになっちゃいますが、失敗は成功の母と言いますし!何度失敗してもその度に鳴海さんの料理の腕は磨かれていくんですよ、よって失敗は何度でも許されます!お金の許す限り!』などと言うべきかどうか一瞬の間に迷った。しかし彼の横顔を見てすぐにそういう話じゃないことを思う。 「何かに失敗したんですか?」 「いや、別に。何回でも許されるようなことなら、失敗とは言わないんじゃないかって思ったんだ」 「………なるほど」 急な思いつきで疑問を投げ掛けるのはどちからかと言えば(圧倒的に)ひよのの方が多い。歩でもそういうことがあるのかとひよのは多少感心しながら、 「それなら、鳴海さんにとって『失敗』とは何なんですかね?」 前提を尋ねた。回数やその内容を議論するならばそもそもの本質や前提を知らなければならない。 ひよのの問い返しに歩は椅子の背もたれに凭れて仰け反ると天井を見上げた。 「俺にとっては…『取り返しがつかないこと』をしてしまうこと・かな」 「例えば、どんな?」 「そうだな、貰った花を枯らせたり、とか」 「………なるほど」 同じ調子でひよのが頷く。 歩は相変わらず遠くを見るような目で天井を見つめている。普段の彼とは違って穏やかでどこか力の抜けたような表情。 (貰った花を枯らせてしまったんですね) こそりと心の中で呟き、ひよのが苦笑した。 「確かに、取り返しがつかないことって……ありますよね」 それも、想うほどたくさん。 忘れてしまうほどたくさん。 そのときは後悔の痛く苦い気持ちで、決して忘れられないと思うのに。 信じられないほど忘れてしまう。 だから繰り返してしまうのだろうけど、取り返しのつかない、過ちを。 「私は否定しませんよ、取り返しのつかないことってあります。でも全ての失敗が許されないかというとそうではないじゃないですか!」 「………」 「だって、くれたんでしょう、花を」 普段より少しトーンの下がった、落ち着いた声。 彼女が時々する、彼を子どものように諭すときの声音。 宥めるようなその声に、歩はひよのを静かに見やった。その瞳の奥の奥を探るような視線。彼はどちらかというとすぐに視線を外してしまう方だったから。こういうとき、本当に彼は変わったなとひよのは思う。 そして歩はやがてゆっくりと視線を下に落とすと、「でも、」と小さく呟いた。 「きっと許してくれる、…そう思うのはこっちの勝手でしかないだろ」 失敗して、負い目を持っているのはこっちの方なのに。 その失敗でこっちが悔しかったり痛かったりするだけでなく、相手を深く傷つけているかもしれないのに。 「だって、くれたんだ、花を」 今度はひよのの目が歩の目を真っ直ぐに見つめる。 「……なら、もう相手は許してくれないだろう、って決めちゃってそれでおしまい、なんですか?」 「…」 「鳴海さん、大丈夫ですよ」 そう言ってひよのはにっこりと音がしそうなほどに満面の笑みを浮かべた。 いつもと同じような、何の根拠も無さそうなのに本人はとうに結論付けてしまったときの表情。 「鳴海さんは、失敗してしまったことで相手がもう花をくれなくなることが怖いんでしょう?」 「――、」 あっさりと図星をつかれては絶句するしかない。 そう、怖いのは 痛いのは花を枯らせることでは実はない。貰った気持ちを台無しにしてしまうこと、それによって相手を傷つけてしまうことは勿論痛いけれど、本当に怖いのはその先にあり得ることで。 「大丈夫ですよ。一回花をあげたってことは二回でも三回でもあげたいものですよ」 「……何だそれは…」 歩が心中で驚嘆した瞬間、そしてまたすぐにいつものわけの分からない根拠に戻った。歩の背がずる、と背凭れからずり落ちる。 「一度でも花をあげたくなるような人が、一度や二度失敗したくらいで嫌いになったりしないでしょう、普通」 「…何事にも例外はあるだろ」 「まぁ、現実は厳しいですからねぇ…」 いつもながらマイナス思考ですねぇ、などと付け加えながらひよのが腕を組む。そしてそんなひよのに歩は首を振って、 「厳しいのは現実じゃない、夢の方だ」 「え?」 きっぱりと断言したその言葉にひよのが目を丸くする。 「…許される夢を見てしまうときだってあるんだ」 「………」 「現実がその過ちを許さないなら、夢は大層残酷だろ」 その『許される』は、その『過ち』とは、たぶん花を貰ったことやそれを枯らせてしまったこと以外の、本当にたくさんのことも含んでいるんだろう。 彼はどんな過ちを繰り返してきたのか。 どんな過ちを許されたいと願ってきたのか。 どんなことを、許されないはずだと結論付けてしまったのか。 それでももしかしたら許されるんじゃないか、などと心の底で思ってしまいながら。 「……鳴海さん」 そんな葛藤をする彼を、とても愛おしく想う。 「それでも、鳴海さんを許してくれると思いますよ」 誰が、かは分からないけど。何を、かもよく分からないけど。 でも分かっていることとは大体それだけだ。『私なら許すだろうから』 「………」 「まぁ、そんなの夢だ、現実は違う!って鳴海さんが言うなら別にそれで良いですよ」 「………」 「幸せな夢なら寝てる間、厳しくて遠い夢なら起きてる間。四六時中鳴海さんが夢みてる夢子ちゃんだってことがよーっく分かりましたから」 「本当だったら見ないで済んだんだ」 「?」 「本当だったら…夢なんて見ないで済んだんだ、理想だとか願いだとかそんなもの想わなくて済んだんだ」 「…………」 「あんたのせいだぞ」 「私のせいですか!?」 「あんたが居なきゃこんなこと考えることは無かったんだ」 「はぁ」 「あんたが居るから、あんたが俺に馬鹿げた理想とか甘い仮定の話だとか、そんなのばかりしてくるから。 俺は普段そんな必要の無いこと全く考えなかったのに」 「……」 「そして後でやっぱり現実はそうじゃないよな・って思い知ってがっかりすることだって無かったんだ。全部あんたのせいだ……って、何であんた笑ってるんだ」 「ふふ…あはは、だって鳴海さん、おかしいですよ…っ」 心底幸せそうに、笑いに言葉を詰まらせるひよのに青筋を立てながら、歩が大きく嘆息した。 「…大体あんた、すっかり忘れてるだろ」 「え?何をです?」 「俺に花くれたこと。」 「………」 「先週、プランターを移すとか言って余った分をくれただろ」 「………えぇえ鳴海さん、あれ枯らしちゃったんですかーッ!?」 「誰にでもある失敗だ、次はもっと丈夫なやつをくれ」 「何てことでしょう…ッ せっかくひよのちゃんが心を込めて育てたお花を…」 がっくりと脱力する背中。 でもその顔は笑っていた。 取り返しがつくとかつかないとか、許すとか許されないとか、そんな次元じゃなくて、 もっと浅くもっと深いところで交わされた言葉。 その積み重ねに少しずつ救われて少しずつ赦されてきたことを、どちらかは、あるいは二人とも 気付いていたり気付いていなかったり。 夢だとか現実だとか。 胸の奥にしまって殺したと思い込んでいた理想だとか願いだとか。 見せているのか 見透かされているのか、 見せてくれたのか たぶん、勝手に思い描いてしまったのだろう。 終 重かったり軽かったり。 高校生のときって本当くだらないことと重たいことをごっちゃにして思い悩んだりしたものです(まぁ普通に今もだけど) "愛する花に水をあげよう 大切に大切に 愛する花が枯れないように 優しさと厳しさをあげる" BY:MONGOL800 08/04/01 *閉じる* |