(1)

 元来人付き合いは好きな方じゃなかった。生来、とは言わない。
 とりあえず高校生の俺に対しヒトヅキアイなんて言葉は笑えるくらい不釣合いな気がした。付き合う前に出会いがない。あったのかもしれない。でもそれを付き合いに繋ぎたいと思わなかったし機会もなかった。
 それならあれが、その機会だったとでも 言うのだろうか。

 俺はある日ひょんなことから結崎ひよのという人間と出会い、そしてそれから1ヶ月が経とうとしている今現在も、あいつとの関わりは消えていない。
 そもそも他人に対し「1ヶ月前に会った」なんて そんなことを覚えていられるなんて、恐らくそんなのは義姉と出会って以来だと思う。

 俺を最初犯人扱いし、そしてその疑いを晴らした後も俺に付き纏うようになったあいつは、飽きもせずに今日も俺に付き纏う。飽きもせずに。


「今日〜も来ましたね、鳴海さん!」
 今日こそは新聞部に入っていただきますよ、と腰に手を当てて迫力の無い顔で凄んでみせる。
 新聞部長であるこの女は当然のように(本当に当然なのか)いつも新聞部室にいる。授業は勿論受けているのだろうしサボりもしていそうだがとりあえず昼休みや放課後は当然のように新聞部室にいる。なぜ俺がそれを知っているかといえば、同じように授業を自分のクラスで受けたり時にサボったりするとき以外、つまり放課後や昼休みになると俺が新聞部室に足を運んでいるからに他ならない。
「何度も言ってるだろ、俺は部活に入るつもりはないんだ」
「当たり前のように毎日毎日放課後と昼休みここに来て、くつろいだり備品を使っておきながら…!よく言いますよ」
「客ならくつろいだりお茶やお茶菓子を求めて当然だろう」
「一般の高校の部活にお客様なんて概念はありませんー」
「俺は客のつもりで来てる」
「そんな胸張られても」
「それに毎日毎日欠かさず昼休みと放課後来てるわけじゃない。欠かす時もある」
「そういう問題でも」
 こんなやりとりならもう何度したか知れない。
 こいつの言う通り(俺も認めてるが)俺はこいつと出会って、こいつが新聞部長であると知って、その部室がとてもくつろげるものであると知って(影の権力者という噂は嘘ではないのだろう、たった一人の部員の部室がある上にそれがエアコン完備で冷蔵庫や簡易キッチンまである)から学校のある日はほとんど毎日のようにここへ足を運んでいる。
 昼休みはどうせ弁当を食べるならガヤガヤと煩い教室よりも清潔感のあって静かなここが良い。放課後は特に早く帰ってもすることが無いとき、スーパーのタイムセールが無いとき、大体週にして3回くらいのペースで通うのがベスト。
 なぜそうするのかは俺にもわからない。ここにいるのは楽だった。そしてなぜ楽なのか考えるのは楽じゃなかった。それだけだ。
 僅か一ヶ月にしてそんな習慣がついた俺を、この新聞部長は毎日欠かさずにたしなめる。
 どうせ毎日来るのならせっかくだから部員になってくれ、と言う。俺が部活動など所属しそうにないことを分かりきっているような顔で。
 部員になるつもりもないならなぜこうも毎日来るのか、と言う。ちっとも『なぜ毎日来るのか』の台詞に相応しくない顔で。
 俺が来る度に、いつものやりとりを始める度に、こいつは困ったような嬉しいような複雑な顔をする。他人の感情というだけで億劫になるのに、更には複雑な顔なんかされたら俺にはそれを読んでみる気すら起きない。
 例えばこいつが俺が来ることを喜んでいるとして、それを知ったところで俺がここに来る理由は変わらないのだろう。俺はこいつを喜ばせるためにここに来ているわけじゃない。
 例えばこいつが俺が来ることに困っているとして、それを知ったなら 俺はもしかするとここに来ることがなくなるかもしれない。だから俺は少なくともこいつを困らせたいがためにここに来ているわけじゃない。
 ならば俺はこいつのこの複雑な表情を困っているようでいて嬉しそうなんだな・と解釈することにしている、ことになる。そういうことにしたいと思っているのかもしれない。何もかもを断言することが出来ない。
 こいつに俺が来ることを喜んで欲しいわけではたぶんない。でも俺が来ることで迷惑という意味で困っている、という真実は受け入れ難い。それだけだ。

 しかしどちらにしろ俺がこいつの感情をどう読もうと、こいつは変わらない。
 出会った当初から人懐っこく寄ってきたこいつは、出会った後も変わらない。俺を見つけたら必ず俺の名を呼ぶ。俺を見つけて寄ってくるときは必ず小走りで。そしていつも大体、笑っている。
 俺はこいつがいる・いないに関わらず新聞部室に足を運ぶから、俺はこの場所が気に入っているだけなのかも知れない。現にここの主である部長も、部員でもない俺に留守番を頼んでどこかへ行ってしまうことも多い。
 俺はここにいる間雑誌を読んだり昼寝をしたりこいつがコレクションしている茶葉の種類を数えたり、暇な人間がしそうと見えることばかりやっている。目的があってここにいるわけではない。
 新聞部の活動の手伝いをするわけでもなく、こいつの話に真剣に耳を傾けるでもなく、ただ何となくここにいて何となく時間を過ごしている。
「よっぽどここが居心地良いんですね、鳴海さん」
 こいつはひとしきり呆れ顔で文句を言った後、そんなことを言って笑う。
 よっぽど、ここが居心地良いんですね。なるほどその言葉はとてもしっくり来る。俺はここが居心地が良いんだ。
 ここにいれば何も問われない。何も問わない。
 ここにいれば俺は少なくとも俺としての価値だとかを求められないで済むし、誰に何を求めることもしなくて済む。


 そんなある日の午後。授業が早めに終わり、そしてタイムセールも無く、姉さんは今日は泊り込みだと言っていた。俺が早く家に帰る理由が無い。それがそのまま部室に足を向かわせる。
 部室は鍵が掛かっていた。部長の性質から想像してみるに、新聞部の活動はかなり気まぐれなものだったように思う。毎日毎度オープンしている部室だとも思えない。しかし1ヶ月前から必ずと言って良いほど現れるようになった客人に、新聞部長はきちんと昼休みと放課後になったらこの場所に来て部室を開けなければならないという仕事が出来てしまった。
 取材だとか何かで部室を開けない放課後は、いつのタイミングで貼り付けたのか(昼休みは部室で弁当を食べたから)部室のドアに『鳴海さん、今日は取材のため部室はお休みです』などとモロに名指しで書かれたメモが貼られていたこともあった。
 だから今日も部室を開けないのであればそれなりのアクションがあっただろう。そんなことをボンヤリと考えるだけであいつがここへやって来てこのドアを開けて俺を中へ招き入れるのが当然のように思えてきさえする。
 ドアの前で3分ほど立ち尽くしていたところで、廊下を曲がって人が近寄ってくる気配がした。あいつか、と思い顔を向けると、ばちと目が合って相手が一瞬びくっと身を竦める。
「あ……あの」
「?」
 見たこともない女子生徒。見たことがあるのかもしれないが覚えていない。
 身を竦めた後は面白いほどにゆっくりと右足を出し、次に左足を出し、そして右足を…と1コマずつアクションをとりながら歩み寄って来た。
 肩まで伸ばされた黒髪に縁の無い眼鏡、賢そうにも見えるがひたすら気弱そうな印象。目力がマイナス値だ。どうでも良いことだけど。
 その女子生徒はドアの前で突っ立っている俺と、閉ざされたドアを交互に見比べて、「新聞部は…今日はお休みですか」と消え入りそうな声で尋ねる。
「どうかな、たぶん」
 と俺は無いやる気のまま実に曖昧な返事をする。一度頷いて、首を傾げる辺り我ながら上手すぎる曖昧表現だ。
 そんな俺を見て女子生徒は気の毒なほど困った顔をした。「あぁ…そうなんですか…どうしよう……」
 どうしよう、という独り言というのはその言葉を聞き、更に内容を掘り下げて訊いて来る相手を前提としている。俺はその相手になる気が全くないので、無視することにした。だがこの子と部長が来るまでの不確定期間を待ち続けるのはかなり億劫だな、と頭の隅で思った。
 だが俺のそんな心配をよそに、丁度良いタイミングで部室の主、新聞部長がやって来た。
「鳴海さん!」
 廊下の角を曲がり俺の姿を認めた瞬間、俺の名を呼ぶ。そして小走りで寄ってきた。俺の想定通りに。
「すみません、掃除が長引いちゃって」
 俺を待たせるとこいつはいつも謝る。申し訳ない、という顔をしているわけではないが謝る。なぜごめんなさいなのか筋が通っていないようにも思うが、そんなことをずっと続けられると俺は本当に俺が新聞部室に毎日喜び招き入れられるのが当然のような気がしてくる。
 部長はぺこりと頭を下げると、鞄の中から部室の鍵を取り出し、ガチャリと鍵を開ける。そしてドアを開いてどうぞ、と俺に先を譲ってはじめて、俺の隣にいた女子生徒の存在に気付く。
「あら?えぇと…お客様ですか?」
「はい…あの、ええと…」
 目を丸くする部長の目力は女子生徒にはきつすぎたのか。女子生徒は眩しそうに目を細めながら更に言葉がたどたどしくなる。俺は正直苛付いてきていた。あんたは本当に高校生?とか聞いてみたくなった。
 しかし女子生徒が客であると分かった部長はどんな用件であると悟ったのか更に目を輝かせ、「どうぞどうぞいらっしゃいませ!」と元気に女子生徒を招き入れる。俺も客だっつーの、と言いたいところだったがたまには空気を読んでみることにした。


「鳴海さんがここに出入りしてるからですよ」
「なんで俺のせいなんだ」
「鳴海さんの探偵振りを見てたり、口コミで聞きつけた人達が軽い難事件をどーにかしてもらおうとやって来るんですよ」

 気弱な女子生徒は立野夏子という俺の隣のクラスの子だった。なんだか名前がその子の雰囲気にそぐわない気がした。そんなそれだけの印象。
 その子が新聞部に用事というなら、部外者である俺のことを追い出しても良さそうなのだが。部長は俺をそうはせずにただいつものように俺の好きにさせた。つまりくつろがせた。俺はいつもこの部屋で勝手にくつろぐから。
 長机を挟んで座る二人とは少し離れて座り、俺は持参した雑誌をめくる。二人の会話に興味はない。だがなぜか耳から言葉が情報として入ってくるので俺としてはそれを脳内でまとめずにはいられない。
「すぐ本題にいっちゃっていいんでしょうか……えぇと立野さん、今日ここにはどうして?」
「……」
「大事件のスクープ!ってわけでは…なさそうですね」
「…あの、」
「はい?」
「……えっと、…その」
「えぇ」
「…………その」
「えぇ」
 何の相槌だそれは。俺は突っ込みたくて仕方なくなる。何だこのテンポの悪さは。なぜあいつは平気なんだ。なぜこの子は高校生でありながら自分の用件も満足に言えないんだ。
 俺の小さな苛立ちは雑誌のページのめくり方を荒立たせ、「パラッ」が少しだけ音量が上がったので二人が反射的にこちらを見やった。頬杖をついている俺の顔はあちらからは見えない。俺が雑誌に夢中になっていると判断した二人は再び向かい合う。あいつは立野の顔を見つめ、立野はあいつの顔を見切れずにテーブルの一点を。
「何か…言いにくいようなことなんですか?」
「…い、いいえ…」
「何か困ったことがあるんですか?」
「……いえ、でも………あ…その…」
 立野と対峙するあいつの雰囲気は変わらない。そんなの物凄く心が広いか物凄く阿呆なのかどっちかだ。あいつなら後者っぽい。俺はもうダメだこの苛々にはもう耐えられそうにない。耐えられないならどうするんだ俺は。手っ取り早いのがこの場を去ることだが、この子のために俺がこの居心地の良い場所をまだ時間がありながら出て行かなければならないというのは非常に癪だ。そんなことを思っているとふと視線を感じて「?」顔を上げて横に目をやる。
「!」
 さっきの部室の前でしたように。ばちっと目が合い、立野は真っ赤になって慌てて視線を逸らした。なんなんだよ、と俺が言いかける前にあいつが口を開いた。
「…なるほど。それじゃあ立野さん、明日普通に登校して授業を受けていてください」
「え…」
「少しでも話し易い環境を整えておきますよ。場所と時間はこちらから連絡します」
 にこやかにそう言うと、あいつは椅子を引いて立ち上がる。立野は困惑した表情を見せたが、向かいの部長が立ち上がるなら自分だけ座っているわけにはいかない。半ば強制的に用件は明日へ延期され、そして今回のところはもうこの部室から出て行かなければならない状況が一瞬にして出来上がった。この新聞部長、もしかするとやり手なのかもしれない。

 そしてふらふらと覚束ない足取りで歩いて行く立野をある程度見送った後、あいつは部室に入ってきて後ろ手にドアを閉めた。
 それから「鳴海さんがここに出入りしてるからですよ」が始まったわけだ。
「俺を新聞部員だと勘違いしてるってか?」
「たぶんそうでしょうねぇ。ていうかこれだけここに出入りして利用していて部員じゃないなんて思ってるのはきっと鳴海さんだけですよ」
「……で?今の立野夏子もその軽い難事件・ってのを抱えてたのか?何が掴めたんだあの会話から。ていうかあれは会話じゃなかった」
「何不機嫌になってるんですか?」
「不機嫌になんかなってない。ただあの立野夏子があまりにはっきりしないから苛々しただけだ」
「あらら〜鳴海さん、私達の話横でコッソリ伺ってたんですか?」
「………」
「雑誌に夢中になってる振りまでしといて〜。この出歯亀さん」
「…………」
「冗談ですよ。怒らないでください」
 呆れて物も言えない俺の表情を何と読み取ったか、全然困っていない顔で困ったように言った。
 結局俺は最初から最後まで、立野夏子が何がしたかったのが何が言いたかったのか、全く理解できなかった。だがこいつには出来たのだろう。そうじゃないとあんな風に切り上げられるはずがないから。
 言葉なくして何を理解できるというのだろう。どんなに解った気がしたって、こいつは「こう言いたいんですか?」とも問わなかったし立野夏子も結局何も言わなかった。ただもごもごと口を閉じたり開いたりしながら数十秒後、部長につられて立ち上がってそして促されるまま部室を出て行っただけだ。なのに何も言わなかった。何も言わない内から「ナルホド」とか言ったこいつに対し「あんたに何がわかるんですか」の一言もなかった。俺は全くもって訳がわからない。さして興味もない。だがこいつが言葉なくして何をどう理解した気になっているのか、それが少し気になった。たぶん、なんか腹が立つという意味で。
 そしてそれからあいつはまた部長の顔になってパソコンを起動させ、続く動作で簡易キッチンにお茶を淹れに向かう、いつものように。
 俺はあいつが俺の分のお茶も淹れてくれるだろうことを予想するまでもなく確信していて、今度は何も気にすることもなく流れるように意識を、集中力を雑誌に移す、いつものように。









   続





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07/12/05


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