何を言われても
 あいしてるってきこえるんだ

 何を言ったって
 あいしてるってしか 飛んでいかないんだ













             アリア












「ひよのさん、心ってどこにあるんだと思う?」
「どこでしょうね?」

 真顔で問い掛けたカノンに、ひよのもまた真顔で返す。 彼女のは、多少わざとらしさのみえる真顔だが。
 そんなひよのにカノンが嘆息し、やれやれと首を振った。

「話が続かないなあ」
「冗談ですよ。 好きですよ、そういう話」
 ふふと笑いながら言うと、ひよのはぽんと手を自分の頭に乗せた。

「脳…の中にあるんですかね、心は」
「うーん」
「痛みを感じるのも、幸せを感じるのも、憎しみを感じるのも、そのそれをも発するのも… ここでしかないんでしょうかね、カガク的には」
 真剣みは帯びているものの。
 その言葉は、自分では全く信じていないもののようだった。
「実はどこだと思ってるわけ?」
「そうですねぇ。 感情が脳の中で起こっていても、実際高鳴るのも締め付けられるのも胸ですからね」
 そう言いながら、今度は自分の胸の真ん中より少し左寄りのあたりを覆う。
「うん、それは分かる」
 素直に頷きながら、カノンも自分の胸を押さえた。

 今までも、何度もある。
 胸が痛んだこと。 締め付けられるそれを必死で抑え込んだこと。
 もちろんその痛みは、物理的なものじゃない。

 何かと言われれば、「何か」としか言いようのない感情。
 それはどこから生まれる?
 脳か?
 心か?
 心はどこにある?

「…でもカノンさん、どうして急にそんなこと気になりだしたんですか?」
 ひよのが興味津々、と言った様子を隠すこともなく目をきらきらさせる。
 そんなひよのに苦笑しながら、カノンは目線を少し窓の外の遠くに寄せた。


「心が脳にあったとしても、胸にあったとしても、…」
「……はい」
 歯切れの悪い言葉に、ひよのは不思議そうに相槌を打つ。
 カノンは言うか言うまいか・と悩んだ様子を見せたが、しばらくしてゆっくりと口を開いた。
「…言ったら笑われるかも、ひよのさんに」
 そう言って照れ笑い。
 完全に調子を崩されたひよのは、見事額に青筋を浮かべて抗議する。
「何でですか!」
 本当は知っていた。
 彼女が人の話を茶化したり、想いを吐き出す途中で言葉を挟んで来たりすることはないということは。
 だからそう言ったのは本当に純粋に、照れくさかったからだ。
 自分がこんなことを口にするなどと、彼女は知っているだろうか。
 こんなことを考えていたなど、知っていただろうか。

「…じゃあもし、心が脳にでも、胸にでも どこかにあったとして、」

 ゆったりと言いながら、ひよのの目を見る。
 そして右手で銃の形を作ると、悪戯っぽく笑いながらそれをひよのに向けた。


「それを撃ち壊しちゃったら、心は消えるんだと思う?」


「………」

 脳の中にでも。
 胸の中にでも。
 それ以外でも、どこでも良い。
 心は、どんな保管容器の中に入っている?
 どうすれば壊れてしまう?
 身体が壊れれば心も壊れてしまう?
 心が壊れても身体が生きていることはあるのに。


 カノンの問いかけに、ひよのは長い間何も言わなかった。
 それは無視しているわけでもなく、きっと自分の言葉を彼女の中で咀嚼してくれているのだろう・と思えたから。
 長い時間も心地良く待つことができた。

 自分の想いは、疑問は 言葉は
 彼女の中で、どんな形に織り上げられたのだろう。
 それを待つ時間は、楽しみと切なさが同時に起こった。

 もし肉体が壊れても心がどこかに存在しえるのなら、
 きっとそこが本来の 心の在りかなのかもしれない。
 そんなことを考えたとき、ひよのがゆっくりと口を開いた。

「心がどこにあるかは分かりませんが、たぶん カノンさんが死んだら、カノンさんのものの心はここには在れなくなると思います」

 心が消える・とは言いにくかったのだろう。
 彼女らしい言い回しに心の中で微笑みながら、カノンが続きを促す。

「うん…そして?」
 他に何か残る?
 そう尋ねるカノンに、ひよのは大きく頷いた。
「既に私のものになっているカノンさんの心が、私の中に残り続けると思います」
「………え?」
 一瞬要領を得ず、目を丸くしたカノンにひよのがうーんと唸る。
「カノンさんの心は、あなたの中だけじゃなく 私の中にも鳴海さんの中にもラザフォードさんの中にも理緒さんの中にも! たくさんの人の中に、たくさん存在してるわけですよ」

 それは消えません。

 きっぱりと言い放った。
 さも当然のことのように言い切るひよのに半ば唖然としながら、カノンは心の中で彼女の言葉をもう一度反復した。


 カノンさんの心は、あなたの中だけじゃなく
 たくさんの人の中に、たくさん存在しているんです


 なるほど。
 自分の心が自分だけでなく、無数の他人の中にも無数に存在しているならば、
 自分の消滅がすぐさま心の消滅にはならない。

 そしてカノンはまた、小首を傾げてひよのを見据えた。
「…ひよのさんの思う、「心」って何なの?」
「これまた難しいことを訊いてくれますねぇ」
 うーんと唸りながら腕組みをする。
 こんな取りとめもない話に付き合う彼女がおかしくもあったが、そんな彼女とならずっと話をしていたかった。


 心とは?
 言葉?
 仕草?
 いたわり?
 にくしみ?
 感情のいれもの?
 感情の源泉?


「つまりは何なのかな」
 空中に人差し指でハートを描きながら、カノンが呟く。
 するとひよのは、「私はその答えを知ってます」今回もまた自信に満ちた瞳を爛々と光らせた。

「つまりは、愛ですよ」

「…」

 心とは?
 言葉、
 仕草、
 いたわり、
 にくしみ、

 あらゆる感情の源泉で、
 あらゆる感情の帰すもの。


「…愛?」
「そうとしか思えません」
 そうとしか思ってません・の調子でひよのが言い放つ。
 腰に手を当ててすっきり結論付けたつもりでいるひよのを見て、カノンが小さく微笑んだ。




 自分が死んでも、
 誰かの中に残るもの。
 それが愛で、それが心なら。
 それが誰かの中で残り続けるなら。


「たぶん僕が一番欲しかった答えだと思う」


 嬉しそうに微笑むカノンを見て、ひよのが一瞬まごつく。
「…っ、」
「?どうしたの?」
「い、今の顔は…反則です」

 彼は時々、本当に時々
 誰にも見せない、
 澄んだ空のようなきれいな笑顔を見せる。

「え? なにが??」
 疑問符を浮かべるカノンに、ひよのが「いえ、なんでも…」やれやれと嘆息した。
 そしてカノンが、さっきの続きだけど・と話を繋ぐ。


「じゃあ、僕が死んだらキミの中にそれが残る?」


 どこか試すような、怯えすらも感じる言葉。
 何がこの人をこんなに不安にしているんだろう・とひよのはぼんやりと思った。
 でも返す言葉は決まっている。 訊かれなくても決まっている。


「もちろんです」


 自分の心が彼の中に残り続けるだろうことも、知っている。








 話に一段落着いたところで、ひよのは冷め切った紅茶を淹れ直す為にポットを手に取った。
 そして流し場に向かう彼女に、カノンがぽつりと零す。

「いつかは別れるときも来るのかな」

「私とですか?」
 その言葉に何のためらいもなく、ひよのが返す。
 先程していた話がまだずっと彼の中にあることは容易に想像できた。
 そしてそんなひよのを嬉しく思いながら、遠慮なくカノンは言葉少なに言葉を並べる。
「誰とも」
「そうですねぇ…」

 考える間を持たせる相槌じゃなく、それは肯定の意味に響いた。
 カノンはそれに反論する様子も落胆する様子もなく、「そっか」と呟いただけで。

 カノンが追及しようとしなかったので、会話は一旦途切れた。
 しばらくそこには、時々風が窓を叩く音と、ひよのが紅茶を淹れる一連の動作の音だけがした。



「人は誰かと一緒に在ることができなくても」

 淹れ直した紅茶をカノンの目の前で注ぎながら、ひよのが静かに口を開いた。
「…できなくても?」
「一緒に在ることはできなくても…誰かの中に在ることは可能だと思います」

「………」
「でも…こんなのは慰めの言葉ですね」
 一生懸命考えたんですが・すみません。 そう言ってひよのがバツの悪そうな笑みを浮かべる。

「…でも 愛だった」
 カノンの静かな声に、ひよのが目を丸くした。
「え?」

「今の言葉、僕の中にずっと残るから」

「………ありがとうございます」


 一人だと言っても。
 いつかの日に暗い想いを浮かべて胸を痛めても。
 それすらも、
 紡ぐ言葉と同じくらい




 愛に溢れてばかり。






 穏やかに笑うひよのに、カノンも満面の笑みを浮かべた。
 そしてふと悪戯を思いついたように、身を乗り出してひよのに向かい合う。
「な、なんですか」
「じゃあ僕にも頂戴」
「???」
「愛のコトバ」
「ブフッ」

 ニッコリ笑って言い放つカノンに、ひよのが一瞬で噴出す。
「大丈夫ですかカノンさん」
「えー何で? 言えないっていうの?」
「愛は言葉じゃ表しきれないですよ」
「じゃあ行動で示してくれるの?」
「何アホなこと言ってるんですか」
「何だよ…期待させといて…」
「…………」
 子どものように拗ねるカノンに、ひよの唇が弧を描いた。
 そしてゆっくりとカノンの頬に手を伸ばす。
「?ひよのさん?」
 目を瞬かせるカノンに何も言わず、ふっと笑うとその額に軽く口付けた。
「!」
 そしてそのまま肩に腕を回し、弱い力で抱き締める。

「考えることは、すごくたくさんあるんでしょうけど」
「……」
「自分が消えてしまう不安も、その後のことも 本当に恐ろしいでしょうけど」
「……」
「大丈夫ですよ」
「…、」






「カノンさんがいてくれて、嬉しいです」






 たとえば言葉
 たとえば仕草
 たとえば いたわり

 そのどれを愛と呼んで、胸に染み込ませることができるだろう。



 言うなれば、すべて。







 カノンがひよのの身体を抱き締めて、その肩口に顔を埋めた。

 少し震えても、彼女は気付かない振りをしてくれるだろう。

 でも言いたいのは、示したいのは





「You are love, itself」





 あなたはあいそのもの。










 一筋、涙が零れたその頬にひよのがまた口付けて、返した言葉は一言だけ。










「You, too」

















   Fin.











06/09/25


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