近づいて 重なったと思っていたら

 いつの間にか こんなに遠くなってしまっていた












             NOT FOUND













 昼休み、普段通り弁当を持って新聞部室へ行っても、珍しく主はいなかった。
 一瞬首を傾げたが、
 すぐに次の「あいつがいる場所」の候補を脳裏に打ち出して、そこに向かう。





 がしゃんと重い音を立てて屋上の扉を開くと、
 すぐさま眼前に アスファルトと青が広がる。

 最近はしばらく雨が続いていたが、今日は珍しく晴れていて。
 青を背景にして、入道雲が大きく渦を巻くように膨らんでいるのが、夏を思わせる。

 そして捜していた人間の姿も、予想通りそこにあった。
 数メートル先、アスファルトの地面の上に身を投げ出して仰向けに寝転んでいる。


 ぼんやりとか、一心不乱にかは分からないが
 とりあえず上(この場合眼前になるんだろう)の青空を眺めている。

 彼女にはよくある光景なので、何らおかしいところは無いのだが。
 何となく 纏う空気がとても憂いを帯びているような気がして、
 近づくのが少し、躊躇われた。


 普段あちらはずけずけと許可もとらずに他人の領域に入り込んでくるくせに、
 彼女自身は 彼女が望まなければ誰も立ち入れない、そんな世界を持っている気がする。




 何も言わずに歩み寄ると、こちらを見もせずに呟いた。

「鳴海さんですか?」
「……なんで分かった?」
「なんとなくです」

 隣まで近寄り、数10センチの距離。
 自分の影が彼女を覆った。
 そのまま顔を覗き込むと、ふっと小さく微笑う。








「世の中は主観がほとんどで、ある人にとってのある人が良くても、
 別の人にとってはある人は全然良くない。 そんなの当たり前のことですよね」


 彼女がよくやる、突拍子もなく始める会話。
 それには大体テーマがあるようで、なかなか明瞭でない。

 そしてほとんどが、彼女の自問自答形式。
 自分の中で答えは見つけているのかもしれない。

 というよりも、彼女に答えられない問題なんて、ないように思えるから。




 共に昼飯を食べる話を出すタイミングを見事に外されてしまった。
 とりあえず彼女の左手にあたる場所に腰を下ろし、
 右手に抱えている二つの弁当箱を脇に置いた。



「…あぁ、当たり前だろうな」
 人それぞれなんだから。


 俺の答えを欲していたかどうかは知れないが、とりあえず返す。
 すると彼女は相変わらず身体ごと空に目線を向けたまま、



「そうなんですよねぇ。 何だって、人それぞれなんだから、とか
 人は違うから、で片付いちゃうんですよね。
 でも…それなら 人はもう自分という答えを持っていて、
 人の考えも 本当のことも どうだっていんだって考えていると、
 『私って一体何なんでしょう?』という考えが沸いてきて…分からなくなっちゃいました」

「―――」



 私は、一体 何?
 自分の正体?

 そんなの、誰にも分からない。
 あんたでも答えられないなら、他の奴 ましてや俺になんて、答えられるはずがない。





「好きな人、近い人、無関係な人、嫌いな人…色々ありますが、
 真相を辿れば 本当か嘘か、そのふたつしかないんですよね。
 真ん中はなくて…」


 そこで一旦言葉を切り、彼女は横にいる俺に目をやった。

 いつも見ているはずなのに、
 その透き通って 何でも見透かしてしまいそうな褐色の瞳を、
 初めて見たような気さえする。





「………なくて?」




「本当のものでなければ…いらないんですよね」





 促すと、そう続けて 酷く寂しそうに微笑んだ。





 訳が分からず、ただ沈黙している俺はどんな顔をしていたのか、彼女は
「独り言ですよ、気にしないでください」
 と言う。


「本当のものだけが、正しいものだけが価値あるものじゃないって、
 それを証明できればいいのに…って思うんですよ」

「…まるであんたが正しくないものみたいな言い方だな」

「…」


 ぽつりぽつりと少しずつ零すように呟く彼女は、
 普段とは打って変わって とても頼りないほどに揺れて見える。


 その違和感。
 足元がおぼつかなくなるような頼りなさ。
 背中が寒くなった。



「正しいものも価値あるものも、人それぞれなんだろ?」

「そうなんですよねぇ。 だから余計に分からなくなっちゃうんですけど」


 そう言って困ったように笑うと、
 小さく息を吐いて、彼女は視線を再び空に戻した。



「…分からないのは、苦しいです」

「…」

「足元が崩れそうで、何より 自分が立っていられなければ何も支えられませんから
 …それはとても苦しいことです」




 そう、分からないことは苦しい。
 真実を知ることも、怖いけれど。



 あんたは何が分からない?
 あんたは何が分からなくて苦しんでる?



 俺はそれが分からないのが苦しい。

 でも


 その理由を 真実を知るのは それ以上に恐ろしいことなのかもしれない。






 滅多に見せないテンション、滅多に出さない胸の内

 それを今俺の目の前に出して見せているってことは

 何かが終わったってことなのか?
 何かが始まったってことなのか?


 あぁ、分からないのは苦しいよ。
 でも知ってしまうことはたぶんそれ以上に怖い。




 だからあんたには嘘でも何でも

 突き通して欲しいんだ。



 貫き通すこと、それが


 俺が信じた あんたの姿だろうから。









「愛する人が自分を愛してくれるなら、
 どんな苦しみだって喜びに変わるものですよね」

 どんなに悲しみや痛みで埋め尽くされた世界でも、
 それだけで天国に、楽園にきっと変わる。


「……」


「でも地獄だって人は…私は生きていけるんです」




 生きていける。
 そんな言葉を

 消え入りそうなくらい頼りない空気で言うな。


 いつだって先を見つめて、希望を見つけて
 それを掴み取ることを強いてくるあんたが、


 地獄でだって生きていける、なんて


 そんなことを言うな。




 地面とのつっかえ棒にしている左手が、びりびりと痺れる。
 それが汗ばんでとても気持ちが悪い。
 それでも動けなかった。





 愛する人が自分を愛してくれなくったって、
 生きていけるよ。
 楽園じゃなくたって人は生きていける。
 天国を目指す旅じゃなくたって、人は生きていける。



 でも、 生きていけるなら大丈夫って、
 そんな妥協したみたいな生き方、
 あんたらしくないんじゃないか?


 あんたに理想を抱いているわけじゃないけど、
 それを強いる気なんて全くないけど、


 でも


 今のあんたを 何がそんなに苛んでいるんだ?






 彼女はずっと空を眺めている。

 ふと彼女から視線を外し、少し動かしただけで、
 夏の始まりを告げる青い空が飛び込んできた。



 それを確認すると、ゆっくりと左手を地面から外した。

 どさ、と音を立ててその場に横になる。
 
 すぐ横には、見慣れた横顔があって。
 柔らかな髪、柔らかな目、柔らかな頬、
 その横顔はあまりにも見慣れたものだから、

 自分は あまりにも彼女の横にいたんだろうと思う。



 しばらく横に並んで寝転んだまま空を眺める。
 本当は空なんて見ていないのかもしれないけれど、
 ただ無心に眼前に、あるいは眼下にある空の青ばかりが視界を支配した。




 いつしか午後の授業の始業ベルが鳴る。
 授業をサボる心配よりも、弁当を食べていないことが気に掛かった。


 それでも二人とも、微動だにせずそのままの状態で。

 空に、あるいはこのアスファルトに。
 一体化したみたいだな、そんな安っぽい言葉を言おうと口を開きかけると、
 それより少し早く彼女が口を開いた。




「独り言…言わせてください」

「……」



 今までもずっと、独り言のように呟いていたけど。


 俺の無言を承諾と受け取ったのだろう。
 彼女はそのまま続けた。




「このまま…空に溶け込んでしまえたら素敵ですねぇ」

「―――」


 ほのぼのと言い放つ。
 それは逃避というには、純粋な願いに聞こえた。



「私が私でなくなってしまえば… 苦しまずに済むんですが」

「―――」


 また。

 あんたがあんたでなくなることで、苦しまずに済むのは?
 あんたか?
 あんたがあんたであることで、 誰が苦しんでるって言うんだ?

 あんたか?
 それとも、

 ……







「私は空に溶け込むこともできず、
 私以外のものにもなれず、
 そして私が一体何であることかも分かりません……」










 絶望的だな。
 冗談でそう言ってやろうかと思ったが、
 何となく冗談で済まなそうな気がしたからそのまま黙っていた。


 最後の語尾が、泣きそうなほどに掠れていたから。











「…なぁ、」

「はい?」

「あんた…何か あったのか?」



 あまりにも遅すぎる質問だ。 自分を笑いたくなったが、
 とりあえず『独り言』が一段落着いたらしい彼女に尋ねてみる。

 だが彼女はその問いには答えず、ただふっと微笑った気配がした。

 そして横に寝転んだまま、



「鳴海さん、指きりしましょう!」

 と言ってきた。

「は? 何のために」

「指きりと言えば約束ですよ」
「だから何の」

「何でもいいですから!」

 そう言って、左手の小指だけ立てて『指きりげんまん』の形を作り、
 同じように仰向けに寝ている俺の目の前にかざした。


 彼女の小さく、細い手の背景に青い空が広がる。
 そこに彼女の手が加わっただけでまぶしさが増した気がするのだけど。


 嘆息して、もういいやと何も考えずに右手を出し、小指を彼女の指に絡める。



 思いの外その指は冷たく、微かに震えている気がした。


 5秒ほど指をからめて停止していると、
 すう、と小さく深呼吸して 彼女がぽそぽそと呟く。





「                             」






 それはあまりにも小さな声で。

「―――」

 俺が無言で指をだらりと彼女に任せていると、
 結ばれた二つの手が上下に3回、揺らされた。



 指きりげんまん。




「はい、オッケーです!」

 と彼女が明るく言い放つ。
 同時にむくりと起き上がり、さっきまでとは打って変わって明るい表情で笑った。

「さぁ、ちょっと遅れちゃいましたがご飯にしましょう!」

「…あぁ」


 あまりにも明るい声で 普段どおりの彼女の笑顔だったから、
 今までの真意を問えなかった。



 それを知ることは、たぶん
 何も知らずにいることよりも 恐ろしいことかもしれなかったから。








 何より、


 ぽそぽそと、彼女の口の中だけで呟かれた言葉。
 俺の確認も承諾もとらない、 一方的な『約束』。





















『私がいなくなったら、鳴海さんはちゃんと私を忘れてくださいね』



















 そう聞こえた気がした。

 聞こえなかったことにしたくて、
 一瞬で沸き起こった不安を消したくて、消して欲しくて
 彼女の手を握る。


「…? どうしたんですか、鳴海さん?」


 そう言って空いている方の手で更に俺の手を覆った彼女は、
 俺の脳裏に浮かんだ最悪の状況に似つかわしくなく、



 ただ まぶしかった。











   終








いつもお世話になっている美明さんのサイト二周年のお祝いに、無理やり押し付けさせていただきました…!
お祝いだしハッピーなやつを書こうと思ったのに!完全に今月号に影響されてしまった(笑
まだひよのさんの真意とか定かじゃないから微妙なところなんですが…
溝が生まれた瞬間、みたいな。
この場合ひよのさんが弟君を捨てる結果に進みそうですね(笑えない

そして気がつけば記念すべき?螺旋SS第100号です!!
別ページにアプってた企画SSを合わせたらとっくに過ぎてるよ!とかいう突っ込みは却下で。
てか100本以上もうちのへっぽこSSとお付き合いいただいて本当に何と言っていいか…!
自己満足であっても結局は読んでくださる方がいるから書いてるのであって、
感想とか嬉しいお言葉をいただけちゃうから書けると思うんです、私の場合。
だからこれだけの数のものを書けた、ということだけでそれだけたくさんの方々に感謝の気持ちでいっぱいです(*´∇`*)
ありがとうございます!これからも調子乗らせてください(ヒッ)

そして美明さん、二周年本当におめでとうございますー!これからも素敵作品を楽しみにしてます^^*


05/08/14


BGM『つよがり』BY:MR.CHILDREN


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