オオカミは泣いていたか。
+ たとえばの話。 +
「絵本なんか読んでんの?」
「絵本が読みたい、そんな気分のときもあるんですよ」
ひよのの手にある開かれた本の、表紙が目に入る。
赤い頭巾を被った女の子が、森で狼と話をしている絵。
「ガキっぽ」
はぁと呆れた顔で言う浅月に、ひよのが不思議そうに顔を上げた。
「そーですか? 色々考えさせられることは多いですよ」
「例えば? せいぜい寄り道してはイケマセン、くらいだろ」
「ガキっぽ〜」
「あァ!?」
「いえいえ。 このお話、数ある童話の中でもかなり独創的というか、神秘的な理を言っているようなものも感じますよ」
「はいはい。 嬢ちゃん、茶ァ淹れて、茶ー」
「……」
噛み合っていない会話というか意思の疎通に、諦めたような顔でひよのが大人しく席を立った。
奥へ入って行くひよのの背中を見送った後、浅月は机に残された絵本に目を移す。
絵本らしい優しいタッチの色遣いの絵と、少し古ぼけた感じの趣がなかなか良い。
知らない人間はいないだろう、物語だ。
詳しく内容を話せ、と言われればうろ覚えであろうが、恐らくほとんどの人間がどのような話だったか言い表せられるはずだ。
一人の少女が、母の言いつけで祖母の家へお使いに行く途中。
出会った狼に騙され、寄り道をして花を摘んでいる間に、先回りした狼に祖母を食べられ、祖母に扮した狼に少女も食べられてしまう、そんな話。
数度書き直されるにあたり、少女が食べられてしまう前に猟師だか叔父だかが助けに来てくれたり、狼の腹を切り裂いて中の祖母を助けたりと、色々婉曲された部分もあるが、基本的にはシビアな話だ。
「あぁ、知らない人と話をしてはいけませんよ、もあるかな」
心の中で再度呟き、ぱらぱらと絵本をめくってみる。
何か見落としてしまっていることでもあるのだろうか。
幼い頃に読んでから、今までの間に。
幼い心には入り切らなくて、今だから理解できるものでもあるのだろうか。
神秘的な、理を。
神の、悪戯のような作為を。
「狼さんは、どんな顔で赤ずきんちゃんを食べたと思いますか?」
いつの間にか、お茶を淹れてきたひよのが側に立っている。
「は?」
何を言い出すかと思えば、と言った風で返すも、ひよのの顔は真剣で。
とりあえず少し考えた振りをしてから答えた。
「ずっと食いたくて仕方なかったわけだろ、至福満面の笑みだったんじゃねぇの」
「…」
その答えに、酷く複雑な顔をした。
哀しそうだったり、嬉しそうだったり、呆れてそうだったり、どこか 嘲るよう だったり。
「じゃあ どうして、狼さんは最初から赤ずきんちゃんを食べなかったんですか?」
「あー…そういえば、そうだな」
「どうしてすぐ食べれたはずなのに、わざわざいらないお喋りをしたり、おばあちゃんに変装したりしてまで最後まで赤ずきんちゃんを食べなかったんでしょう?」
「さあ…話を面白くするためだろ」
「面白いですか?」
「はは……」
苦笑しながら。
なんだ、そんなことか、と思ったのだけど。
今更突っ込んでも仕方のない、絵本のちょっとした埃が立っている部分が気になっているだけか、と
思ったのだけど。
「たとえばの話です」
ふっと笑いながら、ひよのがまるで小さい子どもに何かを説明するかのような口調で始めた。
浅月も とりあえず聞こうか、と無言で先を促す。
「これだけではなく、すべての物語には、作者とはまた違った神がいるんだと思うんです」
「神?こりゃまた…」
「簡単なものですよ。 桃太郎だったら、おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯へ行くよう指示しているのは神様です。 鬼に村を襲って桃太郎に退治されるよう命じているのは神様です」
「なるほど」
「『赤ずきん』の世界で。 神様は狼に、赤ずきんちゃんを食べるように命令します。 ほんとなら狼は、赤ずきんちゃんがお家を出ることろを待ち伏せてすぐに食べに掛かるべきだったはずです」
「……」
具体的にどう、ではないが、ひよのが言わんとしていることが何となく見えてきたような気がして。
浅月は少しだけ、ひよのに集中する意識を深くした。
「狼さんは、赤ずきんちゃんを食べたくなかたんだと思います。 それどころか、この神様という『誰か』が支配する世界から、抜け出したかったのかもしれません」
だから、誘ったのに。
少女を食べずに済むよう、この世界から逃げ出せるよう、少女の手を引いて花の咲き乱れる世界に行こうとしたのに。
『わたし、おばあちゃんのところに行かなきゃ。 ママに叱られるわ』
だから、少しでも時間を稼ぎたくて。
花をお土産に持って行ったら、なんて心にもないことを言って。
近道だよ、と言って遠回りの、迷いの道を教えて。
少女が迷って、目的地に辿り着けないように。
もしかすると、迷って、二度と自分の目に入ることがないかもしれないから。
それを祈って。
でも、神の命令は狼を自然と少女の目的地へと向かわせていて。
もうすぐ少女がこの場所にやってくる、と悟った瞬間、
少女の祖母を食い殺してその服を自分で纏って。
そうまでして。
そうまでして拒んだのに。
『ねぇおばあちゃん、どうしてそんなに大きな腕をしてるの?』
『それは、お前をより強く抱き締めるためだよ』
『ねぇおばあちゃん、どうしてそんな大きな足をしてるの?』
そうまでして 拒んでるのに。
『より速く走れるようにだよ』
『おばあちゃん、どうして耳がそんなに大きいの?』
お願いだから。
暴かないで。
気付かないで。
気付かれたら、役目を――
『お前の声をしっかりと聞くためだよ』
『じゃあ、どうしてそんな大きな目をしてるの?』
『お前の可愛い顔をよく見るためだよ』
お願いだから。
させないで、そんなこと。
役目を思い出させないで。
『ねぇおばあちゃん、どうしてそんなに大きなお口をしてるの?』
『――――――――――――――』
お願い、したのに。
「………」
「狼さんがどんなに時間を稼いでも、話を逸らそうとしても、神様の命令、神様の世界は絶対で、抗うことはできません」
「…………」
「残酷なものです、絶対という世界は…」
「……ぁ、」
喉が締めつけられるようで、声が出なかった。
「あてつけ かよ、俺達への」
哀しげに顔をしかめる浅月を、ひよのは静かに見据えた。
「非力な狼さんはどんな顔で赤ずきんちゃんを食べたんでしょうか」
その目は笑っているように見えた。
終
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こんなひよのさんイヤだ。(死)
はじめはひよひよが浅月を励ますという話だったんだけど、その方が嘘っぽいので。
こういう絶対的なものをみせつけられたあと、どんな励ましの言葉も意味を成さないと思うので。
ちなみにひよひよは本当こういうこと言わないと思う。だからごめんなさい(土下座)
私の中に、こういうひよのさんもいるんだよ、みたいな。
だからたとえばの話っつってんだろォ!!(そう意味だったんです)
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