世界が崩れゆく音のような、
 あなたの鼓動に私はただ耳を澄ませて。


















  + コクレアート・トロイムーン +


















 ざくざく。 ざくざくざくざく。

 真っ白の絨毯、なんて面白くもなんともない表現。
 でもそうとしか言いようのないほどの、足元に広がる雪の原。


 そこに二人で足跡の平行線を刻んで行く。


 ざくざくざくざく。



「楽しいですねぇ、カノンさん」

 ひよのが声を発したと同時に、白い息が立ち上った。
 真っ白なコート。
 その深く被った白いフードから、彼女の蜂蜜色のお下げが柔らかく見え隠れする。


 寒さのために彼女の肌もまた白く、笑顔を浮かべているその顔がいっそう白い。
 呼吸するたびに立ち上る息も白く。

「…ほんっとに、真っ白だ…」




 カノンが洩らした感嘆のため息も、また真っ白く。 白い空へと昇って消えた。








「あぁ…本当に、すべてが真っ白ですねぇ」
「うん。 それに冷たい」
「こんなところでいなくなってしまったら、きっと誰にも見つけられませんね」
「そうだね」
「もう! こういうときは"僕が見つけてあげるよ"って言うんですよ!」
「だって出来ないことは言わないほうが良いし」
「まぁそうなんですけどね。 大体、私がいなくなっても捜さないでくださいよ」
「うん」


 冗談じゃない言葉を、冗談じゃない表情で返す。
 ひよのは満足そうに頷き、また綺麗な白の絨毯に足跡をつけ始める。




 ざくざくざく。
 ざくざくざくざくざくざく。
 ざくざくざくざくざくざくざくざく


「………ちょっと、耳障りかも、その音」
「え、どうしてですか? 素敵な音と思いますけど…」

 眉をひそめて言うカノンに、きょとんとした顔でそう言うと、ひよのはまた足を大きく踏みしめて歩く。

 ざくざくざくざく。

「ねぇ、何を考えてるの?」

 ざく。
 やっと止まった。

「…私ですか?」
「うん。 なんかうるさいよ、その足音」
 なんか、考えを音で消したがってるみたい。

 そう言うとひよのは一瞬驚いた顔をして。

「この雪の中に埋まってしまえたら、ずっときれいなまま、私もこんな風に真っ白くいられるのかなぁ…なんて思ったんです」

 そう言って、微笑う。
 白くて、きれいな笑みを浮かべて。


 カノンも肩を竦めて笑った。





 そうだね。


 白いコート、
 白い手、
 白い足、
 白い頬、
 白い息。





 君はこの白に溶け合って、誰にも見つからないまま。


 そしてこの白い雪の中でずっと生き続けるんだろうね。



 そう、君がいつも望んでいること。
 誰の目にも留められず、誰にも触れられない。
 何も見ることもないし、聞くこともないし、触れることもない。


 そんな幸せの中、真っ白になって君は、その笑顔をずっと浮かべたまま居るんだろうね。









 あぁ、憧れるよ。
 寒気がする。













 そして、目を開けると。

「―――――…?」

 視界に入ってきたのは、白い空だけ。

「……ひよのさん?」




 名前を呟くと、こんなに白い空にまた白い息がプラスされる。








 どこが境界線かも分からない、白い空に白い地面。
 先ほどまであった白いコートが、消えた。




 耳障りな音と共に付けられた足跡だけ、残して。






「……本当に、埋まっちゃった?」







 雪が、はらはらと降りてきた。










 これ以上、一体どう白くなるというんだ。

 本当に彼女なら、この白に埋まって、溶けて、 永遠に。




 なんて、酷い話。







「ひよのさん」






 ざくざくざく。


 カノンが足早に歩き始める。

 ざくざく、

 あんなに耳に煩かった音が足から発せられるのに。
 その音に混じって、自分の鼓動と荒くなった息遣いが聞こえてくる。





 ざくざくざくざく
 ざくざくざくざくざくざくざくざく







「…ひよのさん、」









 消えたいと 言っていた。

 誰にも触れない場所へ。
 この美しい冷たさの中で、永遠に。












 ざくざくざくざくざくざくざくざく



 カノンの足跡だけが、いびつな円を描く。
 その間にも雪は降り積もる。

 ―――本当に、埋まってしまうじゃないか。
 舌打ちし、どこまでも白過ぎる視界に目を凝らす。










 いつからか彼女が、自分の世界に大きな影を、そして光を落としていたのには気付いていた。




 この白さは、きっと彼女の白さだ。











 ざくざくざくざく









 ざくざくざくざくざくざくざくざくざくざく









 ざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざく









 ざくざくざくざくざく、ざく。




















「―――ひよのさん」





 見つけた。










 もう自分の心臓の音しか聴こえない。













「…カノンさん」
「冗談が過ぎる」
 その冷たい頬に手を当てる。
「冗談じゃありませんよ。 てかカノンさんの手冷たいです…それに、」












 どうして、捜したんですか。











 今にも凍り付きそうなほどに冷たく白い顔で、ゆっくりと笑みをつくり、ひよのが言った。





 この声に色があったとしたら、きっと白なんだろう。





「愛してるからね」
「……冗談が、過ぎますよ」
「うん」

 すぐに頷き、笑う。














 魂の半身だと想うことが、愛だなんて言い切れない。


 でも、魂の半身を繋ぎ止めて、いつでも見つけられるようにしておきたいと思うのは?







「――――――いたっ…」

 ひよのが小さく悲鳴を上げる。
 彼女の細く、白い氷のような手首から赤い血が流れ始めた。


 その場所の雪が紅く染まり、その熱で雪が溶け始める。

 それを見てカノンは安心したように笑みを浮かべ、今度はひよののもう一方の手首に赤い筋を入れた。


 震える足。
 そして頬も。


 血が流れ、次第にその場所が鮮血で紅く染まっていく。


 すべてが白い中、その場所一点だけが、花が開いたように紅く。

















「…あのー…、すっごい痛いんですけど、カノンさん」
 ひよのが掠れた声で、不満そうに訴える。

「良いんだよ。 これで君を見つけられるし、それに…」
 カノンの血にまみれた両手がひよのの頬を撫でる。







「それにあったかいし」










 愛おしさゆえでは決してない執着が。
 ぎゅっと強く自分を抱き締めるのを感じ、ひよのはゆっくりと頷いた。










「そうですねぇ。 あなたは暖かいですね、カノンさん」












 互いが傍に、共に在るという安堵。

 二人の息が白く白く、いつの間にか雪が止んだ空に昇って行った。





















  終







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