自分の正しさなんて信じられるわけない。





 でも間違いであるなんて



 諦めることもできないの。


















  +カペラ+


















 今日はなぜか、やけに目眩がすると感じていた。

 ひどく頭が痛み、体全体がだるくて。
 季節の変わり目で体調を崩しでもしたか。
 と、始めは気にせずに過ごしていたが、時間を重ねるごとにそれがひどくなっていった。
 そして昼休みが終わろうとしている時間。歩は保健室を訪れた。




 生憎、せっかく訪れた保健室には保健医の姿はなくて。
 しばらく待とうと、花瓶の飾られた机の横の長椅子に腰掛ける。

「……ふぅ」
 消毒液の独特の匂いが漂う、静まり返った室内にため息がやけに大きく響いた。
 しばらくぼんやりと、壁に貼られている衛生についてのポスターを眺めていると、授業開始のチャイムが鳴って。
 ちょうどサボるのにいい口実になった。
 などと歩が考えていると。聞こえ覚えのある声が掛けられる。



「…あれ、鳴海さん……?」



 シャッとベッドを隠しているカーテンが開けられ、ひよのの顔が覗いた。
「?…なんだ、あんたか…」
「鳴海さん、どこかお悪いんですか?」
「まぁ、大したことはない…薬をもらいたくてな。あわよくば寝て授業を過ごせないか考えていた」

 肩を竦めながら言う歩に、ひよのはクスリと笑うと、ゆっくりと体を再びベッドに預けた。


 開かれたままのカーテンの向こうに、ひよのが目を閉じて横になっているのが見える。
 しばらく沈黙が続いた後、歩がぽつりと尋ねた。
「あんたは?あんたこそ、どこか悪いのか」

「…いえ、少しだけ気分が悪いだけです」

「……?」



 ひよののその言葉に、少しの棘を感じた気がして。

 そしてそれは、体調が悪いだけの原因ではないような気もして。
 歩は首を傾げ、「機嫌悪いのか」と尋ねた。

 ひよのはその問いには答えず、天井を見続けたまま、やがて独り言のように呟いた。




「……偽善者、って。」

「…は?」


「言われたんです」



 表情のない声で呟かれた言葉。
 しかし歩もまた、表情を少しも変えずに肩を竦めて。


「あんたはその言葉、言われて嫌なのか?」
「……面白いことを訊きますね…鳴海さん」
「そうでもないさ」
 苦笑するひよのに、「で?」と歩が続きを促す。



「…偽善者って。言われたらどんな気分なのかなって、考えたんです」


「どんな気分って…それはあんたしか分からない」
「私にも分かりませんよ。私の前の席の娘が言われたんですから」
「…………」

 あんた、バカか?と、目で訴える歩にひよのが苦笑して。




「……でも、吐き気がしたんです、その言葉に」






 自分のしたことが、気持ちが嘘のものだと決め付けられる
 その気分は。


 どれほどのものだろう。








「俺なら気にしないがな…」
「なんでですか」
「人は考えたいように考える。それなら悩むだけ無駄だろ」
 さらりと言う歩に、やはり機嫌が悪いのか、ひよのが普段よりトーンの落ちた声で返す。

「…だからって、それで悩まずに済むなら人間やってられませんよ」

「それなら俺は人間じゃないんだろうな」

「…………すみません、鳴海さん」


 無表情に言う歩に、ひよのがすまなさそうに謝る。

 なんでそこで謝るんだよ…と歩が苦笑して。
「気にするな、否定できないしな…」

 普段ならあんたが否定してくれるんだろうけどな、と。
 少しだけ、寂しさに似た違和感を覚えた。






 昼休みが終わり、午後の授業が開始して十分ほど経った。
 保健医はまだ戻って来る様子がなくて。

 少し寒くなってきたな、と感じながら歩は、天井をただ遠い目で眺めているひよのを見つめていた。




「やっぱり、その言葉を言われて気分が悪くなったなんて、私が偽善者だからなんでしょうか…」
「さぁ…そうかもな」
「…ひ、否定してくれても……」

「…まぁ、俺の場合は本当のことを言われたって別に痛くは感じないぞ?自覚済みというか…開き直ってるからな」
「じゃあ、私も自分が偽善者だって自覚して開き直れば、痛く感じることもなくなるんでしょうか…」
「あんたは俺とは違うからな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。っていうか…」

 そこで一旦言葉を切り、歩は小さく嘆息して立ち上がると、ひよのが横になっているベッドの横に歩み寄った。


「…あんたって、そもそも偽善働いてんのか?」



 横に添えられている椅子に腰掛け、ひよのの顔を覗き込むように尋ねる。
「……わからないんです、自分でも」
「じゃあ、普段俺や浅月達や…とにかく他人に色々お節介焼いてるとき何考えてんだ?」
「…そりゃあ…みなさんを喜ばせたい、みなさんの笑顔が見たいって、それだけですよ」
 歩と目を合わさず、ずっと天井を見つめながらひよのが呟くように言う。



 その言葉に歩は、「…じゃあ、」目を閉じて嘆息する。
「あだっ!」
 ぺちん、とひよのの額を軽く叩いて。

「だったら偽善だの何だの考えてないで、そんなの関係無くただお節介焼いてりゃいいだろ」
「…………」
 叩かれた額を抑えながら、ひよのは驚いたような目で歩を見つめて。











「…本当は。 本当は、分かってます。もし本当に私が何か見返りを希望していたり、打算に基づいて誰かに尽くしていたなら、『ありがとう』って言ってもらえたとき、もっと…胸が痛くなるはずだって」



 でも、いつも。
 誰かにありがとうと 言ってもらえたときには。
 とても暖かい感情が 自分の中を駆け巡るから。









 自分でも自分のことがわからない、それはよくある話で。
 自分の言葉や行動が心からのものであるのか 嘘のものであるか

 それは分からないけれど。




 だから















「やっぱり、『偽善者〜!』なんて言葉には胸が悪くなりますが、今は…鳴海さんに、ありがとうと言いたいです」
「・・・そうか」









 漸く普段の笑顔を取り戻したひよのに、歩も少しだけ。本人にしか分からないくらいに、笑って。


「…でも、今日は普段と違うよな。 いつもはあんたが、何やら考え込んでるやつに声を掛けて能天気に励まそうとしてる立場なのに」
「む、能天気とはなんですか…。でも、本当。今日は私らしくなかったですねぇ」
「きっと具合が悪いからだろ」

 歩が肩を竦めると、ひよのが
「でも、それを言うなら鳴海さんもですね。何だか今日は優しくて普段の鳴海さんらしくありませんよ」
「…そうか?まぁ、これも…」



 くすりと笑って言うひよのに、歩が再度、肩を竦めて。
 ひよのの頬に手を伸ばし、「……」そのまま蜂蜜色の髪を梳くように撫で始める。

「な、鳴海さん!?今日は本当に……」

 突然の予想外の歩の行動に、ひよのが少し顔を赤らめて焦ったように声を上げた。
 そんなひよのに顔を近づけ、くっと静かに笑って歩が言った。





「きっと、具合が悪いからだろ」





















 終







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