わかって?

 ほんとうは・・・・・・






  +パスカルの群れ+






 季節外れの雨が降った。



 ここ最近 雨が降ることなんてなくて。
 考えてみれば 学校にいる時に雨が降ったことは今までなかったように思う。

 だから気付かなかったんだ。






 『彼女』の  『変化』に。



















 時間潰しにと広げていた雑誌を読み終わり、顔を上げた。

 ・・・・・・しばらく止みそうにないな。


 ざあざあと土砂降り状態の真っ暗な窓の外を見て、歩は嘆息した。



 朝は天気は悪くもなく、よくもなくといった感じで。
 ここ最近雨なんて降ったことなかったわけだから、傘なんて当然持ってこなかった。

 すると午後の授業から雨が降り出し、あっと言う間にそれは勢いを増して。
 見たい料理番組があったのだが、帰ることもできず、とりあえず時間を凌ごうと新聞部室にやって来たのだった。




 ・・・そのときに、この部屋の主の様子が、
 普段と少し違うかな、とは思ったのだけど。










「・・・なぁ、あんた今日何かあったのか?」
「え?」
 パソコンに向かって何やらレポートを作成してるらしきひよのに、歩が声を掛ける。

 ひよのは目を丸くし、首を傾げると、どうしてですか?と返した。

「いや・・・何か今日、違う感じがしたから・・・・・・」
「・・・・・・・・・そうですねぇ・・・」



 歩が遠慮がちに言うと、ひよのがどこか遠くを見るような目で曖昧に答える。












 部室の扉を開けると、あ、鳴海さん!と、笑顔で駆け寄ってきたのも。

 普段通り。

 雑誌を広げる歩に、横からくるくると変わる楽しげな表情で、しきりに何かを話し掛けていたのも。

 それも普段通り。

 反応のない歩にぷぅと頬を膨らませ、いいですよーと拗ねながら離れていったのも。



 全部普段と同じで。
 何も変わらないはずなのに。





 普段と違うことといえば、窓を叩く激しい雨音と
 黒い雲に覆われた空からは陽光は届かず、じゅうぶんなはずの部屋の明かりが妙に寂しく感じた ということだけで。







「雨、が・・・」
「?」
 ぽつりと呟いたひよのの声。
 歩がひよのを見やると、彼女のほうは窓の外の降りしきる雨を見つめていて。






「・・・・・・雨が、・・・嫌いなのか?」



 そのまま何も言わないひよのを訝んで、歩が尋ねる。
 ひよのは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりと首を横に振った。



「いえ・・・雨は嫌いじゃないです。・・・・・・・・・ただ、」















 おぼえているのは




 やける ような


















「鳴海さん、知ってますか?こんな風に空が真っ黒になるくらい、大雨が降る日は鬼が来るんですよ」









「・・・・・・は?」





 いつもの冗談だと思ったのだけれど。

 ひよののその目は 冗談は言っていないようで。







 歩の脳の一部をある感覚が支配した。



 不安でもない、焦りでもない。
 異常でもない、奇異でもない。



 あるのは 違和感。



















「・・・あんた、どうしたんだ?」
「鬼がくるんですよ、鳴海さん」
「おい、」
「大雨が止んだら、鬼がきて、子どもを連れていってしまうんです」
「・・・・・・・・・・・・・・・」



 ひよのは依然として窓の外を見つめていて。
 その様子がただごとには感じられず、歩の背筋を一種の寒気が走った。


「おい、こっちを向け」
「鳴海さん、鬼に連れていかれた子どもはどうなるんでしょうか・・・?」















 わからない、わからないけれど。







 おぼえている。









 やけるような 腕。




 かすんでゆく意識に、痛烈な痛みだけが脳を支配して。



















 その冷たい腕に掴まれて 私はただ 許しを請うて。











 どうして?


 どうして?


























 何もわからなかった。

 何も言えなかった。
























 私はただ、―――、欲しかっただけなのに。






















 覚えているのは あの空の黒さと 地面を叩きつける雨のうるささと、






「・・・・・・っ」








 掴まれた腕の 氷のような冷たさだけ。








 制服の上からぎゅっと自身の腕を握り締めているひよのに、歩が近寄って何か声を掛けようとしたとき。















 ひよのが顔を上げ、はっとした顔で歩を見据えた。

「雨が・・・止んだ」

「え・・・?」




















「あ、あ、・・・鬼が・・・来てしまいます・・・・・・・・・」


 がたがたと震えながら、怯えた目でひよのが歩にしがみ付く。

「お、おい、落ち着け!」


 ひよのの肩を揺する歩の声も、ひよのには届いていないようで、うわ言のように何かをしきりに呟いている。











「どうして・・・雨が・・・」




















 あの日も そうだった。

 大雨が止んだあと

 おにはやってきて。





 子どもを連れていく。























「何言ってる!雨は止んでない!・・・こんなに土砂降ってんのに・・・・・・」

 窓を相変わらずうるさいほどに叩きつける雨を見、歩が舌打ちする。










「なる、みさん・・・わた・・・連れて、かれ・・・・・・」

 人の話を聞け、と突っ込んではみるが、心の底から何かに怯えている様子のひよのに届くわけはなくて。
 普段から人の話を聞かないではあったものの、こんな彼女は初めて見た。


 戸惑いながらも、歩が声掛けを続ける。

「・・・だったら、なんであんたが連れていかれるんだよ!」








「私、は・・・・・・・・・」























 資格がないから。


 居場所がないから。

















 『愛されない子どもは鬼に連れていかれてしまうのよ』





























 どうして?ねぇどうして?






 私は、ただ愛して欲しかっただけなのに。




























「あんた、本当に今日はいったい何だってんだよ・・・!」


 一向に窓の外だけを虚ろな目で見続けるひよのに、歩が眉を寄せる。













 こんな彼女は初めて見た。


 何かに取り乱したり、怯えたり

 弱さを見せることなんて 今まで一度も――――――







「・・・・・・・・・・・・そうか」

 暗い、窓の外を見て、歩が呟く。











「今日は出てない・・・」






















 太陽が。

 目を細めてしか見れないほどの、眩しい光が






 出てなくて。

















「なるみさん・・・どうして私、連れてかれちゃうんですか・・・?」




 弱々しく伸ばしてきたひよのの手を握ると、氷のようなその冷たさと白さ。
 驚いて目を見開く。


 がたがたと震えるその手をぎゅっと握り締めて。

















「何言ってんのかは知らんが・・・・・・大丈夫だ、あんたは子どもじゃない」
















 幼いころに振り切ってきたのだろう、何か。




















「大丈夫だ、あんたにゃ居場所があるだろ、行けるところだってある」





















 心の奥底に隠して、普段自分が放つ光で燃やしてしまおうとでもしているのか。
















 だから、いつも あんなに。




















「大丈夫だ」




































 しきりに呟きながら、歩が窓ごしに空を見上げる。









 未だ止みそうにない、雨。












「・・・いったい誰が何のつもりで降らせてんのかは知らねーけど・・・」









 早く太陽を返してくれ。
















 なぜか 怒りにも似た思いを抱きながら。

 歩は目を閉じて息を吐いた。




















 終










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