その静寂はまるで
 あなたの心臓の音のよう。






  +イリス+






「何だこりゃ?ったく・・・」
 花瓶に咲く菖蒲(あやめ)を一瞥し、浅月は嘆息した。
 花を生けた張本人であるひよのは浅月のその態度に目を丸くし、首を傾げる。
「あれ?浅月さんも、このお花嫌いなんですか?」
 以前歩も菖蒲が嫌いだと言っていたことや、同時に浅月は自分が殺した死体の横に菖蒲を散りばめていったこともあるということを思い出す。
 ひよのの言葉に浅月は頭を抑え、
「いや・・・嫌いとかじゃなくて・・・清隆のやつもよく言ってたこの花言葉がよ」



 『信じる者の幸福』?

 つまりそれは、人を信じることなどできない自分には
 幸福など決してありえないと
 そう言っているようで。



 無言で菖蒲を睨んでいる浅月に、ひよのがくすくすと笑いながら言う。
「それなら浅月さんも誰かを信じれば良いじゃないですか。きっと救われますよ〜」
「聖者みたいなコト言ってんじゃねぇよ・・・」


 っていうか、なんだよ。
 その
 自分は人のことをいつでも信じているから

 いつも幸せで
 不幸になることなんてあり得ない、そう分かってるような
 そう言う態度は。


 菖蒲に向けられていた浅月の視線がいつの間にか自分に向けられていることに気付き、ひよのが首を傾げる。
「なんでしょう?」
「別に。良いよな、嬢ちゃんみたいに、自分が幸せであることに自信を持ってられるやつはよ」
「・・・」
 浅月の嘲笑混じりの言葉に、ひよのが眉を寄せた。

「もしかして、私が簡単にだれ彼構わずにとりあえず信じているとでも思ってらっしゃるんですか?」
 急にひよのの声から笑みが消える。
「・・・・・・」
 それでも浅月は顔から嘲笑を消すことはせず、ひよのの言葉を肯定する代わりに沈黙する。


「怖いですよ」


 人を信じることは。



 菖蒲の花びらを指先で撫でながら、ひよのがそれに話し掛けるかのように呟く。
「・・・・・・」
「だから、あなたは人を信じることができないんでしょう?浅月さん」
「・・・・・・・・・」

 他人に心を許せない理由。
 それが恐怖心であると気付かせないために、
 嘘を吐く。

 自分は慎重だから  そう言って。



 そうして皆 互いに離れていく。
 厚い鎧を着て
 誰かに知って欲しい思いもみな 押し殺して
 隠して。

 けれど。


「でも、信じなければ人は信じてくれないんです」
「・・・?」


 先に自分から心を許さなければ
 その厚い鎧を外してはくれない。

「だって・・・私が信じなければ、鳴海さんは私を信じてくれなかったでしょうから」


 『信頼している』
 そう 言ってくれた。

 それが すごく嬉しかったから。


「だから私は、信じますよ。」


 信じるのは怖いけれど。
 信じてくれる誰かがいれば、怖いものなんて 何も



 そういうものだから。





 それじゃあ、と小さく会釈し、ひよのは部屋を出て行った。
 ぱたん、と音を立てる扉を見つめながら、浅月は一人黙って。


「・・・・・・・・・・・・・・・」












 『それ』が一番、むかつくんだよ。












 ぐしゃり。




 小さな菖蒲が、ひらひらと朽ちた。











 終


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