世の中っていうのは、うまいぐあいに残酷に成り立っているから。
+サンクチュアリ+
「やっぱり、行っちゃうんですか?」
背中に浴びせ掛けられた声。
それだけで全身が震えるような感覚に襲われる。
今にも後ろを振り返って そのまま逃げるように走り出したくなるような そんな。
逃避を願う心が暴れ出す。
「・・・うん。ごめんね」
無表情で問い掛けてきたひよのに、カノンは笑顔で頷いた。
「『ごめんね』は・・・少しでも申し訳ないと思っているひとの言う言葉ですよ」
「はは、そうだね」
ぷぅ膨らんだひよのの頬を指で突付きながら、カノンは困ったような顔で笑った。
「『君は』僕のことを止めないでいてくれるって・・・知ってるからね」
「止めるお手伝いなら全力を尽くしますよ」
無表情で交わされる会話。
悪意も
敵意も
焦燥も
悲愴も
なにもない、ただ声と声が行き交うだけの会話。
「人を殺すのがあなたの大儀だと言うんでしょう?」
「・・・そうだね」
「なら私は何も言うことはありませんよ。ただ・・・大儀の果てに何があるんですか」
カノンが肩に掛けた黒く光るそれを見つめながら、ひよのが独り言のように呟く。
その果てには。
自分という人間を否定して 他人の息吹までも否定して。
そうやって辿り着いた果てに何かがあるとして、それのために命を掛けるというのなら、誰がその人を止めることができるだろう。
けれど。
「何もないよ。・・・何もないから意味があるんだ」
カノンが静かに首を振る。その様子を見て、ひよのが少しだけ眉を寄せた。
「人間は、幸せになるために生まれてきたんですよ?」
「・・・それは、君たち『普通の人間』たちだけの話だよ。君は幸せになって。」
運命なんだ。
遠くを見て、小さく呟くと、カノンはひよのの横を通って扉に手を掛けた。
ノブを回そうとしたとき、ひよのが振り向かずに言った。
「『自分たちは特別』ですか?意識過剰と被害妄想の馴れの果てですね。」
何が違う?私たち『普通の人間』と、『呪われた子供』と。
髪の色?
肌の色?
そんなのは普通の人間だって分かれている。
この大地を分けたように、人間は色で分けた。人種という名前をつけて。
なら、ひよの達とカノン達の間に引かれている境界線の名前は?
ほんとうはすべて同じ。
哀しいと感じる心がある。たとえ泣けなくとも。
何かを大切だと感じる心がある。たとえそれを守れずに壊したとしても。
「私に・・・・幸せになって、って・・・仰ったじゃないですか・・・・・・」
愛しい人に、幸せになって欲しいと願う心がある。たとえそのときに自分が傍にいなかったとしても。
「・・・・・・そうだね。僕の最初・・・ではないけど、最後の我侭だから。」
ドアノブに手を掛けたまま、カノンが苦笑するのが分かる。
ひよのの声は震えても、掠れてもいない。
ただ、無表情で。その声すらも。
「・・・・・・・・・・・・じゃあ、ね」
扉を開け、振り向かずに軽く手を上げる。
ひよのも振り返らなかったが、扉が閉められるその直前に、きっぱりと言った。
「ひとは、幸せになるために生まれてきたんです。それは誰にも否定することはできません。たとえあなたにも。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「私があなたの幸せを願っているんですから」
カノンは振り返らずに、何か言おうと口を開いた。
しかし何も言わずに、しばらく躊躇ったようにして口を閉じ、ゆっくりと足を踏み出した。
―――『境界線』を越えるために。新たな線を引き、壁を積み上げるために。
すべての無意味と無価値を証明するために。
ぱたん。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・人間は・・・もう少し賢い生き物じゃないんでしょうかねー・・・・・・」
やけに長引く扉の閉まった余韻を聴きながら、ひよのは小さく息を吐いた。
終
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
*閉じる*