たとえばこんな日。

 変わらずに
 いつまでも。






  +べリング・デイ+






 今日は特別な日だ。

 特別な日だからといって、学校の登校時間が遅くなるわけでもない。早くなるわけでもない。
 授業時間が長くなるわけでも短くなるわけでもなければ、購買のメニューが大変動するわけでもない。
 ゆえに今日が特別な日であるということを知っている者も、至極少なかった。


 そんな今日は、誰もが恐れる情報通にして月臣学園新聞部長、結崎ひよのの誕生日である。



「ひよのさん、誕生日おめでとうございます〜!」
「おめでとう!」
「わー、私の誕生日覚えててくださったんですか!?」
 放課後、新聞部室にて理緒と亮子にプレゼントを手渡され、ひよのが目を丸くする。そしてすぐに嬉しそうに顔を綻ばせ、プレゼントを受け取ってぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます!」
 その笑顔に贈り主の二人も満足そうに笑み、もう一度おめでとう、と言った。

「一緒に買いに行ったんだけど、やっぱりあんたにはこれが一番良いと思ってね」
 嬉しさで顔を紅潮させてプレゼントのリボンを解くひよのに、亮子が説明する。
 小さめの箱に丁寧にラッピングされていたのは、滑らかな手触りに上品な色遣いの高価そうなメモ帳に、手によく馴染む重さの、これまた高価そうな万年筆だった。
「わぁ、本当にありがとうございますー!大事に活用させていただきますね!!」

 部室の机には、すでにクラスの友人からもらったのか、幾つかのプレゼントの箱が並べられていて。喜びを顔中に浮べながら、ひよのがその中に二人からのプレゼントの箱を大切そうに並べた。
「すっごく嬉しいです〜」
「喜んでもらえてあたしたちも嬉しいです」
 二人からプレゼントをもらえたということが嬉しいのか、そのあまりの嬉しさにへにゃらと顔を緩めているひよのに、理緒も嬉しそうに笑顔を向けた。

「しっかし・・・本来真っ先にここに来てそーな二人がいないんじゃないかい?」
 亮子が腕を組み、首を傾げる。
「?」
「そうだよねー」
 疑問符を浮べるひよのの横で、理緒も神妙な顔をして頷いた。




 その頃。



「よし、完成だ!」
 調理室に浅月の歓声が響く。
 そこには甘くて香ばしい匂いが漂っていて。
 調理台の上には、苺で飾られた上にチョコで「HAPPY BIRTH DAY」と書かれたショートケーキがあった。
「我ながら上出来だぜ」
 料理の本のモデルに出てきていてもおかしくないぜ、などと自画自賛している浅月だが、すでにこのケーキを失敗しないために、家で何十回と練習していたのだ。
「ったく・・・今日この日のために一体何日間ケーキばかりで食いつないできたことか・・・」

 思えば朝晩だけでなく、弁当もケーキだった。
 弁当箱を開ければ試作を重ねたケーキが詰まっていたりしたのだ。食費をすべてケーキの材料費に回していたし、毎日ケーキばかりが増えていき、毎食をケーキにしなければとても減らなかったのだ。
 クリームを失敗すればスポンジだけ。スポンジも焼き損ねてしまえば弁当箱には苺だけがぽつねんと入れられるはめになったし、最悪の場合スポンジだけを失敗すると、ぎっしりと、それでいて重くない生クリームが詰められた弁当になってその日胸焼けを起こす日々を送った。

 しかしその苦労の日々も、今日で終わり。
「これで嬢ちゃんのハートは俺のもんだぜ!」
 ひと昔前の台詞を叫びながら浅月がガッツポーズをとると、浅月は鼻唄を唄いながらケーキを箱に詰め始めた。
 器用な浅月なので見た目のデコレーションは言うまでもなく、歩に書いてもらったレシピ通りに練習を重ねたので、味も格別だった。
 相手である甘いもの好きなひよのが喜んでくれることは間違いない。


 その前にどんな障害が待ち受けているかは置いといて。


 青いリボンで飾られた白いケーキの箱を大事に抱え、浅月は新聞部室に向かって急いでいた。
 早く力作であるケーキを渡してひよのの喜ぶ顔が見たいという思いで心が逸り、走れないことが少々いやかなりじれったい。
「くそ・・・こんな箱持ってなきゃ猛ダッシュで20秒で着いてやんのによ・・・」
 箱持ってなきゃ行く理由ないですよ浅月さん。誰もがそう突っ込みたくなるような台詞を呟き、浅月はできるだけ早めに足を動かしていた。部活生以外誰もいないであろう静かな校舎の中で、二つの教室の前を通り過ぎ、次の廊下の角を曲がれば新聞部室―――。

 その時。

 がっ。
「うぅわッ!!!!」
 廊下を曲がりざま、足を掛けられた。
 かなり早足で歩いていた上に、頭の中はひよのにケーキを渡すことでいっぱいだったいわば乙女的思想(違)の浅月はそのまま勢いよく転んでしまう。
 べしゃりと盛大に倒れてしまったが、とっさに箱を抱える両腕をを高く上げたので、箱は無事だった。
「おぉお危なかったーー!!」
 こんな状況でも、いやこんな状況だからこそ、ケーキを死守した自分に盛大な拍手を贈りたい気分だ。
 ケーキを死守したため、倒れたときにまったく受身が取れず、したたか体を床に打ち付けてしまった。痺れに顔を歪めながら、浅月がゆっくりと起き上がる。
「ったく、誰だよ足掛けやがったのは―――――」

「あぁ無事なの?残念」

 ケーキの箱を抱え、膝立ちの浅月を、にっこりと満面の笑みでカノンが見下ろしている。
「カッ・・・カノン!!!」
 反射的にがばっと浅月が立ち上がり、後退さって距離をとる。

「そのケーキ、ひよのさんにあげるつもりなんだろ?」
 両手に抱える箱を指差すカノンに、浅月が警戒心剥き出しの目を向ける。
「・・・そうだよ――――って!!」
 浅月が答えるより先に、カノンの飛び膝蹴りが飛んでくる。
 不意打ちではあったが、浅月が何とか横に跳んで紙一重で避ける。あと一瞬反応が遅れていれば、ケーキの箱が中身もろともぺっしゃんこになっていたことだろう。
 ほっと小さく安堵の溜め息を吐くと、浅月が額に青筋を立てて怒鳴った。
「おい!!何すんだいきなりッ!!」
「愚問だね」
「ああ!?」
「物というのは何でも、少なければ少ないほど価値が出る。つまりはそういうことさ」
「意味わかんねえよ」
「お嬢さんのプレゼントも、少ないほど嬉しさアップだろ?潰させてもらうよ」
 いやそれは違うと思いますカノンさん。と、誰もがそう突っ込みたくなるような台詞を言うが早いか、カノンが再び浅月に蹴り掛かる。
「わーーッ!!って、お前も嬢ちゃんに何かやるつもりなのかよ!?」
 浅月の台詞にぴたりとカノンの動きが止まる。そして嬉しそうに照れ笑いを浮べると、どこからともなく大きな紙袋を取り出した。

「何だと思う?」
「さぁな」

「あーあ。陳腐な想像力だね。だからお嬢さんへのプレゼントも惚れ薬ケーキなのか」
「入ってねぇよッ!!」
 やれやれと嘆息混じりに肩を竦めるカノンに、浅月が更に額の青筋を増やす。
 浅月がひよのに対して持っているのはとりあえず歪んだ愛情などではないので、惚れ薬などは使っていないし思いつきもしなかった。
 ・・・まぁ、何日間もケーキだけの生活などしてまで練習していた時点で彼は微笑ましいまでの純粋少年であろうが。

「お前のことだから自分にリボン巻いてプレゼント〜とか言って嬢ちゃんに向かって行ってもおかしくねぇとは思ってたけどよ」
「あぁ!!その手があったかッ!!!」
 半眼で言う浅月の言葉に、カノンは心から悔しそうに手を打ち付けた。

「・・・こンの変態が・・・・・・」
「はっはっは冗談だよ。正解はこれさっ」
 決して冗談など言っていない目ではあるが、とりあえず爽やかな笑みを浮べるカノンが、紙袋からばっと取り出したのは。

「・・・・・・・・・・・・」
「お嬢さんによく似合うと思わないか?」
「・・・いや・・・あんまり・・・・・・」
 得意満面のカノンに、汗を浮べて浅月が曖昧に首を傾げる。

 真っ赤。そりゃもうポストも真っ青のド派手な赤のドレスだった。
 とても普通の高校生、しかもひよののような純朴・・・ではないがお下げの似合う飾らない「天然の可愛さ」を持つ女の子に似合うものとは思えない。

「しかもお前・・・コレ一体どこから手に入れたんだよ・・・」
 嘆息混じりに呆れ声で言ってくる浅月に、笑みを浮べながらカノンが再びドレスを紙袋にしまう。
「はっはっは。真似するから教えない」
「何の話だよッ」

 と。そんなとりとめもない言い合いが続いている中、そこにやって来たのは。

「・・・・・・何やってんだ?あんた達」

「おや」
「鳴海弟!」
 訊いたはいいが、まったく興味のないことだった。歩は二人の顔を交互に一瞥すると、その間を通って新聞部室に向かう。
 何も持たず、手ぶらで歩いている歩の背中に浅月が尋ねた。
「お、おい弟。お前も嬢ちゃんに何かやるんだろ?」
 その言葉に歩は振り向き、「?」首を傾げる。なぜ?を顔中に浮べて。
「・・・お前まさか、今日が何の日か分からねえんじゃ・・・」
「?今日何かあるのか?」
 とぼけた様子もない歩の言葉に、思わず浅月とカノンが顔を見合わせる。
「マジかよ・・・」
 普段の歩とひよのの位置関係から見て、歩からのプレゼントをもらうことがひよのにとって一番嬉しいであろうことは誰もが知っている。それは浅月やカノンでさえも。
 信じられない、といった風に息を飲む浅月に、歩が訝しげに眉をひそめる。
「何なんだ?」
「今日はお嬢さん・・・ひよのさんのお誕生日だよ?歩君」
 珍しくカノンが遠慮がちに言う。心の中はたぶんざまあみろといわんばかりに高笑いしているだろうが。

「へぇ。あいつ今日誕生日なのか・・・」

「「へ?」」
 なんでもないことのように言い放ち、そのまま行こうとする歩に、思わず間抜けな声を出す二人。
「い、いいのかよ・・・?」
 浅月の呟きも、すでに廊下の角を曲がった歩には届かず。
 そこでやっと浅月は自分の両腕に抱えるケーキの存在を思い出し、慌てて部室へと向かう。拍子抜けしたように、カノンも紙袋を持ち直して後を追った。


「あ、鳴海さん!」
 部室の扉を開けると同時に、ひよのの元気な声が飛び込んでくる。
「・・・・・・」
「え?」
 歩は駆け寄ってきたひよのの手を掴むと、無言で部室を出た。
「鳴海さん?」
 部室を出てすぐに浅月とカノンとすれ違い、何か言おうと口を開く二人を無視して横を通り抜ける。
「え?え?鳴海さん、いったい・・・」
「ちょっと口を閉じて歩いてろ」
 疑問符を並べるひよのにそう言うと、歩は廊下を歩き、角を曲がり、階段を昇り、角を曲がり・・・ちょうど新聞部室の真上にあたる教室―――音楽室の扉を開いた。

 わけがわからないと言った風のひよのの手を漸く離すと、歩は薄暗い音楽室の真ん中に位置するグランドピアノに歩み寄った。
「人前で弾くのは、これっきりだ」
 椅子に座り、ぼんやりと独り言のようにそう言いながら、鍵盤の蓋を開ける。
「?どういう――――――」
 問いかけようとしたひよのが、すぐに言葉を奪われた。

 鍵盤に添えられた歩の指が、流れるように鍵盤を滑り出した。
 軽やかな、しかし重量感を持った洗練された音色がひよのの耳に届く。
 慈しむように、ひとつひとつの鍵盤が身体の一部であるかのような錯覚を起こすほど、喜び、あるいは寂しさや哀しさ、楽しさ、色々な感情を持って鍵盤が唄う。

 ひよのは何も言わず、しかし今にも泣き出しそうなほど幸せな表情で、目を閉じてそのメロディに聴き入っていた。





「ちっ、まさか弟の奴がこうくるとはなー」
 音楽室の真下、新聞部室へも、その音は届いていて。天井を見上げ、ぼそりと浅月が呟いた。
「仕方ないよー。それよりこーすけ君のケーキ食べたい〜!」
「そうそう。早く切ってよ」
 にこにこ顔で浅月の前に置かれたケーキの箱を指差す理緒と亮子に、慌てて浅月がケーキを抱き締める。
「だーめだッ!これは嬢ちゃんにやるんだからそれまで絶対誰にも触らせねー!」
「そんな固いこと言ってないで」
「あーッ!!なんでてめえまで混ざってんだよッ!」
 はははーと爽やかに笑いながらケーキの箱を取り上げるカノンに、浅月が額に青筋を立てて怒鳴る。


 特別でも変わらない、そんな日々。
 毎日が変わらず、毎日が特別な、そんな毎日。
 そんな中で一生忘れない時を、いくつ心に刻むことができるだろう。

 けれどひよのにとって、この日はそのひとつになるはずで。




 流れる水のように幸せを運ぶ音楽は、誕生の祝福、ハッピーバースデーソング。









 終


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