お前に何も望みたくなんてない
 与えてだけいたい
 でもそれだって望みだ













            無償の愛を下さい












「お前なぁ、プライスレスって言葉を知らんのか」
 目の前に差し出された高級そうなケーキの箱を半眼で一瞥し、俺は嘆息した。

 部屋に入ってくるなり無言でずいと差し出された箱。恐らく土産だとでも言いたいんだろう。
 それを受け取りながら箱の下のシールを見て、やはり高級洋菓子店のそれだと確認して更に嘆息する。
 事実こいつは金持ちだからこんなの何ともないんだろうけど。
「これ一体幾らしたんだよ」
「…俺が買ったわけじゃない。差し入れに貰ったんだ」
「もしかしてファンからか?」
「ああ」
「……」
 なんてデリカシーの無い奴だ。
 こいつが部屋に入ってきて三分も経たない内に俺は三度目の嘆息を余儀無くされた。
 そんな俺を意に介することもなく、ラザフォードはスーツのジャケットを黙々とハンガーに掛けている。

 そして呆れ顔でベッドの淵にばふと座り込む俺に、ふと思い出したように問い掛けて来た。
「プライスレス…と言うのは?」
「いや…愛情はお金には換えられないから、高級なプレゼントなんていらないのよ、って言いたかったんだけど…いいやこの場合なんか違うし」
 完全に脱力し切っている俺に、こいつは短く「そうか」とだけ言った。
 そしてしばらく静止したまま明後日の方を眺めていたと思うと、真顔で口を開く。
「無償の愛なんて存在しない」

「……」
 なんだこいつ。
 一体俺はどういう反応をすりゃ良いんだ。
 このケーキに見返りを求めてるって意味か?
 どう言葉を返そうか悩んでいると、更に畳み掛けられる。

「俺が、お前に、何も望まずに何かを渡すことは無い」
「………」

 なんだこいつ。




「えーと、つまりラザフォードさんは…このケーキを受け取った俺に何かして欲しいってことですかね?」
「何でそうなるんだ」
「あーもう」
 こいつ外国人だからか?時々素で会話のキャッチボール出来ねぇんだけど。
 これで可愛く頬を染めながら「ばかっそんなんじゃない!」とか言われたりしたら、あーつまり無償じゃない、期待してる愛ってアレね、あんなことやそんなことね、とか思えるんだけど。
 今回の場合の、あくまで真顔なこいつは具体的でないもっと抽象的な思慕とか言った「愛」の話をしてるんだろう。

 そして言った。
 『無償の愛なんて存在しない』と。はっきりきっぱりと。

 ちょっと俺はショックだった。
 俺はこいつに何も望まずにただこいつが好きなだけなつもりだった。
 『無償の愛なんて存在しない』『俺がお前に何も望まずに何かを渡すことは無い』こいつが言った言葉に、何故か俺の方が違うんだと言うような気がした。

 確かにな。プライスレスって、値がつけられないって意味だもんな。
 女子がデートで着飾るのも男子が高級レストランで頑張ったりするのも愛情を金で演出しないと出来ない。
 プレゼントだってそうだ。今時道端に咲いてる花摘んで来られたって引くだけだ。
 タダの愛なんて無いな。
 常に何かと引き換えになってる。

 こいつの言う通り、無償の愛なんて存在しないとして。
 それじゃあ、無償で愛を与えることなら出来るのか?それなら正しいのか?いや何が間違ってるのかは知らんけど。「愛を金で買うな」ってよく言うから、タダじゃない愛は良くないってことになるじゃんね。

 大体無償で愛を与えるメリットって何だ?
 以前嬢ちゃんが言ってたっけ。『愛は見返りを求めないものですよ』とか何とか。
 バカじゃねぇの。
 あんな言葉を、ボロボロの身体で凄く幸せそうに言ってたじゃねぇか。満面の笑みで言ってたじゃねぇか。
 それなら嬢ちゃんは弟の奴に尽くすことで、何らかの見返りだかメリットだかを得てたってことだろ。有形のナニかじゃなくても。

 じゃあ一体今の俺は何だ。今のこいつは何だ。


 先刻からずっと黙りこくったまま脳内でぐるぐる自分会議してる俺に、遠慮がちにラザフォードが声を掛けて来た。
「……浅月、お前は俺に何を望んでるんだ?」
「俺は何も望んでねぇよ」
 反射的に飛び出した言葉。
 するとこいつが一歩俺に近付いて真面目な顔で訊く。
「俺は、お前が何を望んでるかを知りたい」

 俺が何を望んでるかを知りたいとこいつは望む。

 俺は笑った。
「俺は…お前から何も望まないということを望んでる」

 搾り出すように言った言葉。
 グチャグチャなままの頭から出した言葉にしてはあまりにも適切過ぎて自分でもスゲー俺と思った。
 そう、俺はこいつから何も望まないということを深く深く何よりも望む。そう、望む。
 するとこいつは笑った。俺と同じように。
「何で俺から何も望まないんだ」
「お前がお前だからだよ」
「…答えになってないな」
 全くだ。
 ただ頭をぐしゃと掻いた俺に、目の前のこいつはまた笑って「…だが」と付け加えた。

「その気持ちは…よく解る」

「……はぁ?」
 気持ちが解るとか。 こいつに言われるとは思ってもみなかった。
 それも俺ですらよく理解出来ていない、整理すらされていない散乱された脳内から溢れてきた感情を表しただけの言葉を。
「出来るなら俺も…お前に何も望みたくはないからな」
「…何でそう思うんだよ」
 さっきから予想だにしない言葉をぽんぽんと吐き出すこいつの顔を凝視しながら俺が問う。
 するとこいつは少し困ったように肩を竦めた。
「お前と同じじゃないのか」

 ベッドに腰掛けたままの俺は、さっき受け取ったケーキの箱を床にゆっくりと置いた。
「俺と同じ…ね」
 へへと笑う俺に、「疑うか?」とこいつも薄く笑いながら言う。

 出来るなら俺はこいつに何も望みたくなんてない。
 その気持ちを解ると言ったこいつ。
 そしてその理由は俺と同じだとも言った。

「答えを言ってみろ。…俺に、何も望みたくない理由」
 そう言って俺を見下ろしてくるこいつに手を伸ばすと、ゆっくりとこの手を取って来た。
 俺はそのままこいつの腕をぐいと引っ張って抱き寄せてよろけた身体を受け止めてついでにベッドに仰向けに押し付ける。

 俺が、こいつに何も望みたくない理由。


「お前の全てを望んでるからだよ」


 無償の愛を無償で与えることは出来ない。
 でも互いのソレを同じ分だけ与えて同じ分だけ掠め取って交換することは出来るわけだ。

 …いや、むしろそれしかありえないのかもしれない。そう考えて少しだけ胸が詰まった。
 俺は何も望みたくないとか言ってこんなにも必要なものを望み欲しているのか。





「同じだったか?」
 組み伏せたまま問う俺に、こいつはただ笑ってその腕を背中に回して来た。













   終











09/09/24




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