人間の感情とは心の奥底にある泉のようなものだと。
 そう誰かが言っていた。




 哀しみや怒り、あるいは喜び。
 そんな感情が興る度に泉は波紋を生じさせ、その水嵩を増していったりあるいはその逆であったり。





 そして 感情でいっぱいになって
 泉が溢れ出すと。


 頬を涙が伝っているらしい。











 自分にその泉があるかは 別として。











     +フロウ+











 泣かなくなったのはいつからだろう。









 答えの分かりきっている自問。



 歩はふ、と自嘲の笑みを浮べた。













「うぅう・・・やっぱりこの映画は何度観ても泣けますね・・・」
 ポケットから白いハンカチを取り出し、ひよのがとめどなく溢れ出る涙を拭う。
「・・・・・・・・・」
 そんな様子を半目で眺めながら、歩は頬杖をつき、ぱらっと本のページをめくった。






「あ〜!!やっぱり鳴海さん、泣いてません!!」
 びしっと自分に指差して非難の声を上げるひよのに、歩はふん、と鼻を鳴らすと肩を竦めて見せた。
「あのな・・・今週に入ってその映画何度観てると思ってるんだよ・・・」
「五回目ですよ」
 右手の指を五本立て、きっぱりとひよのが言い放つ。
「何度観ても名作は名作です!」
 涙をハンカチで拭いながら、名残惜しそうにエンドロールが流れている画面を見つめるひよのを、歩が呆れた目線で見やる。
「週に五回も観せられたら飽きだってする。台詞だってほとんど覚えたぞ・・・」
「でも鳴海さんは初めて観たときだって泣いてなかったじゃないですか」
「あんたが泣きすぎなんだ」
「泣いてますよ。泣くことの何が悪いっていうんですか!!」
「ぎ、逆ギレはよせ・・・」


















 心の奥底に沈めた泉。
 閉じ込めたはずなのに、

 もしかしたらそこに沈んでいるのは自分なのかも知れない。


















「私鳴海さんが泣くところなんて一度も見たことありませんよ」
「泣くかよそう簡単に・・・」
「男の子だからですか?」
 ひよのの口調に段々と冷たさがこもってくる。









 泣かない理由?


 別に理由があって泣かないわけじゃない。







 泣きたくなくて泣いてないわけじゃない。










 いつから泣かなくなったのか?




 考える必要もない。











 何か言おうと口を開きかけ、歩は首を振って言った。
「・・・なんでそんなに泣く事にこだわるんだよ」
「こだわってませんよ別に」

 素っ気ない返事を返し、ぷいと横を向いてしまったひよのに、歩がうー、と唸って頭を掻く。

「俺の泉には、水がないんだ」





「え?」








 ひよのが目を丸くして歩の顔を見つめた。









 あまりに長い時間きょとんと驚いたような目で見つめられ、歩は今の自分がどんな顔をしているのだろうと疑問に思ったほどだった。











 結局、どう受け取ったのかは知らないが、ひよのは歩の泉うんぬんの話は聞き流す事にしたらしい。意味の分からない事を口走ってしまった、と胸中で舌打ちしていた歩にとってははっきり言ってありがたいことであったし。

 そして、ひよのがさっきと同じ台詞をもう一度呟く。


「こだわってませんよ・・・泣くことになんて」












 見たことがないのは、涙だけじゃないから。














「お兄さんに勝つことが出来たら、自分を押し潰すものから抜け出すことが出来たら。鳴海さんの泉には水が湧き出すんですか?」







 不意に放たれた言葉。

 今度は歩が驚愕の眼差しでひよのを見やる。











「・・・そんなに俺が泣いてるのを見たいのか?」
 歩が半目になって嘆息交じりに言う。

「いーえ!だから泣いてることにこだわってませんよ」

「?」



 にっこりと人差し指を立てて言うひよのに、歩が首を傾げる。













 打ちひしがれて涙を流すこと。












 怒りに任せて叫ぶこと。












 千切れそうになるほどに手を伸ばし
 喉が枯れるほど叫んで助けを求めること。




















 見せて欲しい。












 例えそれがどんなに醜い感情でも。

 それが自分自身だといえるものなら



 見せて欲しい。
















 その












 感情の揺れる波紋を。

























「一番見たいのは鳴海さんが楽しそ〜に嬉しそ〜に、笑ってらっしゃるところですよ」

























 人間の感情とは心の奥底にある泉のようなものだと。
 そう誰かが言っていた。


















 終


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