そら薫り 刻を持ち去る 風鬼の
            その名紡げど 色のなき風




自由を刻んで





 旅に出るときは、共にではないと。
 どちらからともなく分かっていた。

 ただ離れていてそれでも互いを想っていられるかどうかは、相手のことは分からない。

「きみにはイメージがあるからいいよね」
 戦争が終わり、活気に湧く同盟軍の城の屋上。
 蒼穹を仰ぎ、風に乗って行く鳥を見詰めながらエンジュが呟いた。
「…イメージ?」
 隣に立つルックが翠の目で見上げる。
 ルックが素直にエンジュの呟きや問いかけを拾い上げるのは珍しい。
 それだけに分かっているのだろう、どちらからともなく。
 旅に出る、つまり離れるときは来るのだと。
 出会えた由縁は、右手に刻まれた紋章。 そして分かたれる由縁も、右手の紋章。

「きみのイメージは風」
 左手の人差し指を立て、風を切るようにくるくると回しながらエンジュが言う。
「…まんまだね」
 ぼくは風使いだし。 むしろイメージはそれだけしかないんじゃないの。
 不機嫌そうにルックが返した。
「でも分かりやすいイメージで良いだろ? 僕は風が吹く度にきみを思い出せるよ」
「……」
「僕はそういうのないから。 少なくとも…きみよりは忘れられてしまう」
 寂しげな風を装うでもなく、淡々と言葉を紡ぐエンジュの声。
 ただ単に事実を述べたいだけなのだろうけれど、きっと意図があるはずだ。

 忘れて欲しくないんだという、意図が。

「…ふうん」
 ルックはそうとだけ答え、それ以上は何も言わない。

 真の風の紋章を持つルックのイメージが風と結び付くのなら、エンジュは。
 生と死の紋章をその右手に刻んだエンジュは。

 ひとの最も深淵で、且つ最も近い場所で闇や光として苛む生や死。
 それに触れる度に、ルックはエンジュを思い出すということになる。
 けれどそれを彼に告げていいのか、少しだけ迷った。
 だから結局そのことを告げずに別の言葉が口から出てしまった。

「…そもそも、どうしてぼくがきみのことを事あるごとに思い出さなきゃなんないのさ」
 嘆息混じりに言うルックに、エンジュが目を丸くした。
「あははひどいな、そー来たか」
 わかってたけどね、と付け加えながら眉を寄せてエンジュが笑う。
「………」
「忘れなければ思い出す必要はないと、分かってるんだけどね」
「………」
「でも忘れないなんて無理な話だって、そっちの方が分かってるんだ」
「………」
「だから忘れてしまったとき、思い出す方法を探してるんだよ」
 これから永い時を生きることになる、僕だから。
 最後にそう呟いたエンジュの声は複雑な感情が込められていた。

 憂いや哀しみは勿論だろう、けれどそれ以上に彼の中から消えない、『俺の分も生きろよ』そう言った、彼に紋章を託した親友。
 そしてその紋章が魂を掠め取った女性や父や、彼にとって最も近しく親しかった者の存在。

 彼はきっと永い時を生きることになる。
 同じように真の紋章を持つ自分よりも。 どこか遠い瞳でルックがエンジュを眺める。 その翠の瞳に焼き付けるように。
 次はいつ出会うか解らないから。
 たぶん次は無いのだろうという予感もしているから。
 この身体の持つ意味を、予め定められた宿命を。 知ってしまったときからこの胸に突き刺さった楔。


「…」
 意を決し、ルックが風を纏う。
「行くのか」
「うん」
「レックナート様の元へ?」
「……とりあえずは…ね」
「…そっか」
 含みのある言い方をしたものだと自分でも思うが、エンジュは何も追及しなかった。

 エンジュは右手の紋章を持つがゆえに、何にも縛られない自由と、常に自らを縛り付けている鎖を持っている。
 だからどこへでも行けるし、そしてどこへも行けない。
 それが彼が与えられた宿命。
 そんな彼に別れ際に何か言えるとは思っていない。 三年前もそうだった。 だから何も告げなかった。
 けれど今回は、もう会えない予感があまりにも確信めいているから。 目を閉じてルックが「…エンジュ」口を開く。
「ぼく達みたいに時間の止まった人間なら、死なない限り…もう会わないと決めない限り、いつかは会うことになるかもしれない」
「うん…?」
「いつか会うなら、それ以外のとき思い出す必要ないだろ」
「…ルックらしいな」
 寂しげにエンジュが笑った。 そして僕はきみを忘れないよと言う。
 彼なら本当にそうだろうと思う。 風が吹く度に自分を思い出してくれるのだろう。
「…ぼくは、」
「……」
「きみのことなんて忘れるよ」
「うん」
 真顔で述べた言葉に、エンジュが笑った。 先ほどとは違い、満面の笑みで。
 嘘に決まってると思われたのだろうか。
 そして本当にきっと、嘘に決まっている。
 彼の右手に持つ生と死の紋章、その生と死という言葉が彼を彷彿とさせるのであれば、自分はそれに触れる度。 もといそうでないときにもそれなりに彼を忘れ、それなりに彼を思い出すだろう。
 この身に宿る生命は不自由だ。 しかしこの身が操る風が自由であるならばせめて、想うものは自由に想う。 自由に刻み自由に忘れる。

「……それじゃ、また」
「うん、またね」




 もう会わない、その表明として『さよなら』と言うべきだったものを。
 碧の風に包まれ視界が自らを主人の元に移して辺りが静まり返ってはじめて。
「ぼくは一体何言ってんだ…それも自分から」
 ルックは舌打ちして蹲った。
 それじゃ・また、なんて言ったって、会えないことは知っている。

 だからこの足はもう少し立ち上がれないと思う。 もう少しだけ。







end.




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サイト8周年記念!「空的なお題でSS」で、「風」テーマのSSでした。
あまりにもそのまんまな感が否めないんですが(´∀`*)でも「風」をイメージして短歌つくったら思いの外坊ルクっぽくていい感じだなと思ってます(ハイ自賛乙)

3が発売されたことによってルックと坊が不毛な関係になったということが凄く哀しい…というか寂しい!
でもそんなんでもキュンキュン出来る自分はやっぱり人でなし(笑)

 09.09.09





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