みることのない夢を夢みてるんだ。
+ネムの木+
「あれ?エンジュはどうした?」
エンジュはいつも朝が早い。
以前は寝起きが良いとはいえなかったのだけれど、そしてそのたびに『彼』がエンジュを起こしに部屋に向かったものだけど。
今はそれはないからか。
とにかく、エンジュは朝早くから目が自然に開くというのが常だった。
そのエンジュが、もう完全に日は昇っているというのに起きてくる様子がない。
「おいルック、エンジュは?」
いつもエンジュを気にかけるビクトールが辺りを見回しながら尋ねた。
「・・・なんでぼくに訊くのさ」
気だるそうに石板の前から視線だけをよこし、ルックが静かに返す。
「だっておまえら、最近よく一緒にいるじゃねぇか」
「・・・知らないよそんなこと」
「それはどれを否定してる言葉なんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
からかうような表情で言うビクトールを一瞥した後、知らないよ、と肩を竦めてみせる。
「じゃ、おまえエンジュの部屋行って様子見てきてくれよ」
「・・・は?なんでぼくが」
「おれはこれから朝飯なんだよ」
適当なことを笑いながら言うビクトールに何か言い返そうとしたが、「・・・」なぜかルックは何も言わずに階段へと足を向けた。
最上階の一際大きく、閉ざされた扉の前で立ち止まる。
数回ノックしてみたが、返事はない。
中にいるのなんて気配で分かるのに。
「・・・入るよ」
大きく嘆息すると、ルックは扉に手を掛けた。
エンジュは寝巻きのままにベッドに横たわり、目を閉ざしていた。
怪訝そうな目を向けながらルックが近寄ってくると、ゆっくりとその黒褐色の目を開く。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・起きないの?」
長い沈黙に、ルックが嘆息混じりに問う。
その言葉にやっとエンジュは天井に向けていた目をちらとルックに向け、自嘲の笑みを浮かべながら言った。
「・・・すごくいい夢だったんだ」
「・・・・・・・・・?」
「目が覚めて何の夢だったか忘れちゃったんだけど、もう一回見れないかなと思って・・・こうして寝ようとしてるんだけど、寝付けなくて」
「・・・・・・ふぅん・・・」
興味もなさそうなルックの相槌に、エンジュが苦笑する。
「どうしたら同じ夢をずっと見続けることができるんだろう」
あんな幸せな夢。
醒めることのほうが悪夢だってことがあるのに。
「そんなことできないよ」
ルックのあくまでも無表情な声が響く。
「・・・そんなこと許されない」
呟き、ゆっくりと首を振りながら、ルックが横たわっているエンジュの手首を掴んだ。
「・・・起きて」
「・・・・・・・・・・・・」
「起きて」
光の降り注ぐ道には歩いて行けない。
なのに道を引き返すこともできない。
そして立ち止まっていることもできない。
どこにも行けない。
それなのに歩かなければならない。
前に。
前に。
「・・・ぬくもりを手放してでもきみは歩かなければいけない」
前に。
「・・・・・・・・・うん」
そうだね、と掠れた声で呟いて。
いつものように、腕に力を込めて起き上がり、ベッドの淵に座って右手の甲をさする。
「・・・ぼく先に行くから。・・・あと、ビクトールが呼んでたからね」
寝癖のついたエンジュの黒髪をぼんやりと眺めながらルックが言う。
「わかった」
軽く笑みながら頷くエンジュの声を聞くと、ルックは小さく嘆息し、踵を返して扉に向かう。
「・・・ねぇルック?」
「・・・・・・なに」
「ぼくが歩いてる先は・・・本当に『前』なのかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
長い、ながい沈黙を残し、結局ルックは何も答えずに部屋を後にした。
倒れる身体を支えるように、そのまま廊下の壁に寄り掛かる。
自分の見ている先は。
歩いていく先は。
―――――本当に『前』なのかな?
「・・・そんなの・・・ぼくだって知りたいよ・・・・・・」
『ぬくもりを手放してでも、きみは歩かなければいけない』
あの言葉は、誰に向けて放たれたものだったのだろう。
自分の進む先は『前』だと信じて
海を漂う舟のように
進んでいるのか 退いているのか
それすらも分からずに。
どこにも行けずに。
それなのに歩かなければならずに。
痛む心を持て余して
血の流れる足を引き摺って
それでも ただ
前に。
前に。
終
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