泣かなかった。泣けなかった。





  +スターダスト+





 戦争も刻々と優勢に終結に向かっている同盟軍。
 本拠地であるノースウィンドウ城には、軍主に呼ばれてトランの英雄、エンジュが来ていた。

 ・・・来ていた、といっても、部屋を割り当てられ、泊り込んでから三日になる。
 今日は戦地に赴く事もなく、時間を持て余してうろうろと散歩をしていたエンジュの耳に聴きなれた声が届いた。
「だーめ!絶対だめ!!」
「どうしてさ〜!いいじゃん!!」
 軍主であるフレイと、その姉であるナナミ。
 いつもとても仲睦まじい二人が、今日は何やら言い合っているようだ。エンジュは興味深そうに足を止めた。
「どうしたの?」
「あっ、エンジュさん!」
「「どうもこんにちわ!」」
 同時に笑顔を浮かべ、同時にお辞儀した二人の声が見事にハモった。
 エンジュがおお、と感心していると。
「エンジュさん!聞いて下さい!ナナミが・・・」
「だから!だめって言ってるでしょ!誰が何と言おうと絶対だめ!エンジュさんに頼るなんて卑怯よ、フレイ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 話の筋が全く見えない。エンジュが腕を組んで苦笑すると。
「ホラ!エンジュさん困ってるじゃない!」
「それはナナミが話を中断するからだろ!」
「・・・・・・あのねー・・・;」
 更に言い合いを展開させようとする二人をついにエンジュが仲裁に入った。
「何がだめなんだい?ナナミさん」
「あ、えっと・・・」
 穏やかな口調で問われ、ナナミが少し照れたように俯き、続けた。
「昨日の大雨で、近くの崖が土砂崩れを起こしたみたいなんです。フレイがそこに行くって言うから・・・」
「いいじゃん!ビクトールさん達も行ってるのに、どうしてぼくが行っちゃだめなのさ!?」
「ビクトールさん達が行ってるから、フレイは行く必要ないって言ってるの!」
「まあまあ。落ち着いて、二人とも」
 油断するとまた言い合いを始めようとする二人を制し、ナナミの方を向きながらエンジュが言った。
「行きたいって気持ちも分かるよ。フレイは手伝いがしたいんだろう?」
 笑顔で言うエンジュの言葉に、フレイがこっくりと頷いた。
 その仕草にエンジュが可笑しそうに微笑うと、今度はナナミに向き直って続けた。
「ナナミさんはフレイに何かあったらって、心配なんだよ」
「・・・・・・それは分かってるけど〜・・・」
 どこか不満そうに顔を膨らますフレイを満足そうにエンジュが微笑って見ていると。
「フレイ〜!フレイ、いるー?」
「あっ、アップルちゃんだ!」
 聞こえて来た声に真っ先にナナミが反応する。
「あ、いた!フレイ、シュウ兄さんが呼んでるわよ。今度の戦線についてですって」
「え〜〜〜」
「そんな事言わないで!ほら、早く!」
 いやそうに足を引きずりながら歩くフレイを急かしながら、アップルが残ったナナミとエンジュに手を振った。
 ナナミもそれに笑顔で手を振って応え、しばらくして大きくため息を吐いた。



「ふぅっ・・・アップルちゃんのお陰で助かったわ」
「ナナミさんはフレイが本当に心配なんだね」
「当たり前ですよ!わたしはフレイのお姉ちゃんなんですから!」
 誇らしげに胸を張るナナミに、エンジュがそうだね、と、笑みを溢しながら頷いた。

 ・・・ふと、エンジュの脳裏にかつての自分の姿が思い浮かんだ。

 いつも隣にいて、過剰なほどに自分を気遣い、心配していた・・・・・・・・・。

「?エンジュさん?どうかしたんですか??」
 急に遠い目になったエンジュの顔をナナミが不思議そうに覗き込んだ。
「え?ああっ・・・。なんでもないよ」

 ただ少し。
 昔の事を想い出して。

 思いを払うように大きく首を振ったエンジュを見て、ナナミが首を傾げた。


「・・・ナナミさんは・・・やっぱり・・・フレイがここで軍主として戦っているのは・・・反対かい?」
「・・・・・・今更ですよ。もうこのお城もここまで大きくなっちゃったし」
 呟くように掛けられたエンジュの問いに、ナナミは寂しげな笑みを浮かべ、小さく首を振った。

 でも、
 本当は

 ・・・・・・・・・・・・今でも。


「戻りたい?」


 ―――『あの頃』に。


「・・・・・・はい。」
 儚げな笑みとは裏腹に、紡がれた言葉の意思はとても剛いものだった。


「わたし・・・嫌な予感がしてるんです」

 このまま、たぶん。
 ジョウイだけじゃなくて

 フレイまでもが
 どこかへ行ってしまうような

 そんな 最悪の予感。


 返す言葉が見つからず、エンジュはただ俯いた。

「エンジュさんは、どんな気持ちで戦争に出ていたんですか?」
「・・・解放戦争の、時?」
「はい」
 もしかしたら、フレイの気持ちと、同じなのかなって。
 寂しげに微笑いながら、ナナミが付け加えた。

「・・・ぼくは、誰かを助けるために戦線に出た事なんか、一度も無かった」
「え?」
「自分なんか大嫌いだったよ。何一つ守れない。大事なものを大事にする事も出来ない」

 ただ 奪って
 奪われて

 壊されて。

「フレイは凄いなって思うよ、いつも」


「ぼくが生きる為に、あまりにたくさんの犠牲が出てしまった。それだけだよ、三年前を思い出して想う事は」
 呟くようにそう言って微笑ったエンジュの顔をぼんやりと見つめながら、ナナミは何となく分かったような気がした。

 どうしてエンジュは いつも
 こんなにも
 こちらの胸が痛んでくるくらい

 寂しそうに微笑うのか。


「エンジュさん・・・わたしさっき、言いましたよね?フレイがどこかへ行ってしまうんじゃないかって」
「・・・うん」
「でも、もしかしたら、行っちゃうのはわたしの方なんじゃないかなっても・・・思ってるんです」
「・・・・・・・・・・・・」

 冗談なんかじゃない、ナナミの真剣な瞳。
 思わず、右手の紋章を気に掛けてしまった。
 そっと触れた右手の甲にある紋章は・・・今、何を思っているだろう。


「もちろん、今も思ってます。戻りたいって。戦争なんかにフレイが関わるのはいやだって」

 でも

 現実に起こっているこの惨状から
 目を離さずに生きる道を選んだのが

 誰でもない
 大切な―――――


「だからわたしは、フレイが思う事、やりたい事は全部・・・笑って支えてあげられたらなって思うんです」
「・・・・・・・・・」

 似てる。

 だれかに。

 『誰』って?決まってる。


 似てる。『彼』に―――――。


「フレイやジョウイが元気で幸せなのが、やっぱりわたしの一番嬉しい事だから」
 だから 二人の為なら。

 傷付くくらい。
 我慢するくらい。

 なんでもない。


「だから もし・・・わたしがいなくなっても」
「・・・ナナミさんっ」
 急に発せられたあまりの言葉にエンジュが非難の声を上げる。
 しかしナナミはそれを笑顔で制した。

 生きてる時にしか 云えない事だってある。
 生きてるうちに 伝えたかった事だって あったはずだと

 思うから。


「エンジュさんの大事な人は・・・それをエンジュさんに 伝えてないんだと思うんです」

「え・・・」



 ここでやっと

 エンジュは
 今までナナミが言ってきた事がすべて
 ナナミ自身へ
 そしてフレイへ

 そして・・・エンジュへの言葉だったと
 気付いた。


 大事な人に助けられて生き延びたなら、幸せでいて欲しい。
 誰だってそれを願うはずなのに




 エンジュは。今、どうしてる?
 笑い方も忘れた。
 人と接する事もどこか線を引いて、何かに怯えている自分がいる。


 せっかく助かったのに?

 否、せっかく


 生かされたのに?













 エンジュは今まで、涙を流した事が無かった。

 枯れたわけじゃない。

 最初から

 この心には
 涙を生み出すような泉は無かった。


 そう。『彼』が死んだ時だって

 泣かなかった。泣けなかった。



 なのに。

「・・・・・・・・・・・・エンジュ、さん?」
 今、はじめて
 エンジュの頬を

 忘れていた何かが伝った。


 今まで周りで流れてきたような

 暖かなものとは ほど遠い冷たいものだと思うけれど。



 心が少しだけ
 解けたのは確かだった。



 かつてエンジュの傍から片時も離れずに心を汲み取ってくれた


『彼』によく似た

 少女によって。


















 ナナミの殉死をエンジュがフレイから聞かされたのは、

 それから一ヶ月後の事だった。










 ―――――大事な人が元気で幸せなのが一番嬉しい事だから。
 だから、わたしがいなくなっても・・・―――――










 終


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