手をつなごう。





  +エイエンの詩+





 すぐに離れて行かなきゃいけない。
 こいつといるとそういう思いが日に日に強くなって行く。

 こいつとは離れたくない。
 ・・・だから、離れなければいけない。


 なのに、心がいつも軋むんだ。
 ―――もう少しだけ、あとちょっとだけ。

 ここにいさせて
 って。



「テッド?どうしたの??」
 エンジュの明るい茶色の目がテッドの顔を不思議そうに覗き込んだ。
「あっ・・・ああ、なんでもねえよ」
 テッドはぼんやりとした意識を振り払うように頭を強く振った。

 釣り竿を手に、静かな湖畔のほとり。
 こうして週に何度か、テッドとエンジュは釣りをしに湖へと遊びに来たりした。
「なんか最近、テッドよくぼ〜っとしてるよねぇ」
「そんなことねえよ、ただ今日は全然釣れねえから待ちくたびれてさ」
 そう言ってテッドは、エンジュの横の大量に魚が入れられた籠を見やる。
「ったく・・・釣りは俺が教えてやったってのによー。少しはエンリョしろよな」
 エヘへー、とエンジュが屈託のない顔で誇らしげに笑った。

 そんな顔するから。
 ・・・そんな顔できる人間の傍に、俺がいていいはずないんだ。
 だから 早く離れなきゃいけない。
 なのに・・・

「・・・俺がお前の親父さんに助けられてからもう2年経つんだなぁ」
「そうだねー、早いね。」
 空を仰ぎながらテッドがポツリと言うと、それに応えてエンジュが微笑って言う。
「テッドが初めてうちに来たときも、こんな雪もすっかり溶けて春が間近ってときだったもんね」

 初めは、こいつのこと あんまり好きじゃなかった。

 裕福な家庭
 暖かい家族
 幸せな 境遇。

 辛いこと 何一つ 知らないで。

 でも
 そうやってこいつにやきもち焼いて羨んでる自分は
 もっと嫌いだった。


 自分は嫌い。
 でも好きなものなんて別にない。
 だったら
 自分は何のために生きてる?
 呪われた紋章を手に
 何も愛せずに
 誇りも 夢も 自由も
 何も持たずに
 手ぶらなまま 空虚なこころを連れて

 300年も。


「ぼく、テッド大好きだよ」
 ふと、突然笑顔でエンジュが言った。
 釣るだけ釣って(エンジュだけ)、夕飯の時間になって帰る道の途中。

 一瞬、声が出てこなかった。
「・・・は、はあ?何言ってんだよ、恥ずいやつだな」
 ようやく搾り出した声は焦りでどこか掠れていて。
「別にー。そう思ってるから。言ってみようかなって」

 顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
 初めて言われた。

 ―――大好きだよ。

 なんで
 こんな俺には
 呪われてる自分になんか

 そんな暖かい言葉を掛けられる資格なんてないのに

 自分でもこんな自分は大嫌いなのに
 なんでこんな俺に
 好きだって


 ・・・泣きたくなるような言葉を 掛けてくれるんだ



「テッド?どうしたの?」
「・・・なんでもねえよッ」
 赤い顔でそう言うテッドに
 エンジュは心からの笑みを向けた。

 ――癒しの
 救いの
 心を全て洗い流す ような
 そんな。

「じゃあテッド、手つなごう!」
 笑いながらそう言うと、左手を差し出してきた。
「・・・・・・ッ」
 テッドの胸が一瞬鈍い痛みを放った。

 だって
 この右手は
 きれいなものにはさわれない

「だって、テッドなんか寂しそうなんだもん」
「・・・え?」
「ぼくがとなりにいるのに、これからも一緒にいるのに、テッド寂しそうなんだ」
 言いながら、エンジュがテッドの右手をそっと握った。
「あ・・・」

 手袋の下から感じる
 ぬくもり。

 長い事忘れていた
 とても暖かで

 泣きたくなるような。






 ―――ぼくがとなりにいる。

 これからも
 ずっと一緒だよ。







 それは

 解放戦争勃発の
 一年前の

 ほんの
 ほんの小さな出来事だった。









 終





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