泣けない自分に泣きたくなる。





  +時計じかけのオレンジ+





 エンジュの親のような存在であったグレミオが死んだ。
 自分の肉親とも言える彼が死んだと言うのに、エンジュは涙を流す事をしなかった。

 戦争はずっと続いていて。
 戦争で人が死ぬのは当たり前で。
 だから立ち止まってはいられない。
 それがどんなに自分の大切な人間であったとしても。
 幼くして、解放軍のリーダーであるエンジュは、それを分かっていた。
 だから、気遣う仲間達にも笑顔を向け、決してその心のうちを人に見せる事はなかった。

 そして。オデッサという女性、グレミオに続き父親や親友と、次々にエンジュは『大事な人間』を失って行った。
 ―――彼本人が手にする、忌まわしき紋章によって。

 それでも、エンジュは涙を見せなかった。
 戦いへと出向く足を止める事はなかった。
 どう声をかけて良いかすらも分からなくなってきた仲間達に相変わらずの仮面のような笑顔を見せ、自分の感情を人に見せる事を日に日に忘れていった。

 そしてついに、水砦シャサラザードでの戦いで、彼は軍の柱である軍師マッシュを失った。



「やぁ、ルック」
「・・・・・・・・・なに?」
「冷たいなぁ。・・・明日がいよいよ決戦だから。みんなと話して回ってたんだ」
 決戦前夜。
 軍師が瀕死のまま、グレッグミンスター攻略が決定され、トラン城では解放軍の人間達がそれぞれの夜を過ごしていた。
 エンジュは軍の人間達の様子を見て回った後、ふと屋上へ出向いたら、普段石板の前にそれこそ石のように佇んでいるルックが、そこにいたのだ。

「ねえ」
「うん?」
 ふとルックよりかけられた声に、彼から話し掛けられた記憶などほとんどないエンジュが少々驚きながら顔を向ける。
 漆黒の空に浮かぶ満月の光で、ルックの翠の目が金色に光って見えた。
「なんで泣かないの?」
 思いもよらぬルックの問いに、エンジュが一瞬絶句する。
「泣く・・・って?なんで?」
 感情を見せずに、また作り物の笑顔をルックに向けながら。
「大事な人だったんじゃないの、みんな」
「・・・・・・・・・・・・・・・うん。大事な人だよ。みんな」
 だったら・・・と続けようとして、ルックが言葉を止める。
 自分を真っ直ぐに見つめ返すエンジュの褐色の瞳が、寂しい笑みを湛えていた。
 いつもの仮面を被ったような笑みでなく、心からの哀しさを出した笑顔。
 ルックは言葉を捜した。何も出て来はしなかったが。
「ルックには、いる?死んじゃったら涙が止まらなくなるくらい、大切な人」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 そう問い掛けてきたエンジュの目があまりに真剣だったから。
 ルックも、真剣に考えてみた。
 でも、思い当たらない。
 靴の先で下の石をコツコツと叩きながら、知っている人間を思い出してみたが、みんな名前すら記憶に必要ないような人間ばかりだった。
「・・・いない、と思う」
「じゃあ、ぼくがいなくなったら、泣く?」
「・・・たぶん、泣かない」
 ルックの答えに、エンジュがふっと穏やかに微笑った。
 そのあまりにもの儚い笑顔に、ルックが思わず不安になってしまうくらい。
 エンジュが右手の手袋から手を引き抜きながら言った。
「ぼくにとって、みんなは本当に、本当に大事なんだよ。いなくなったら、ぼくも死んでしまいたくなる、ってくらい」
 満月に紋章をかざして、眩しそうにそれを見つめて。
「ぼくの周りの人間は、この紋章に魂を食べられちゃったけど」
 ―――頭では哀しいことって分かってるのに、涙が出てこない。心が哀しんでない。
「・・・・・・・・・」
 人の顔など滅多に見ることのないルックだが、何故かこのときエンジュから目が離せなかった。
「ぼくはたぶん、涙とか心とか、そういうの食べられちゃったのかもしれない」
 じゃあ、ぼくも同じかも。
 ルックが下を向き、呟いた。
 でもその声を聴いて、エンジュが微笑って言った。
「ルックは、違うよ。ぼくはルックの暖かい所、いっぱい知ってる」
 違わない。
 ルックは思った。
 エンジュと違って大事だと思える人間すらいない。
 こんな自分に感情なんてものがあるのか、必要だってあるのかどうかさえ、時々疑わしく思えてくる時がある。
「それに、涙なんて流れなくて良いんだ。頭で哀しいと思ってる以上に、心が哀しんでれば。そうでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 そうやってまた微笑ったエンジュの顔が月の光に照らされるのを見て、どうしてエンジュから目が離せないでいるか、ルックには分かったような気がした。
 そうして微笑むエンジュの表情が
 まるで月の光と夜の闇に溶けて消えて行ってしまいそうなくらい
 寂しくて
 か細くて
 儚くて
 きれいだから

 たぶん そうだと思う。




 帝国の城の頂上に解放軍の旗が誇らしげに風に揺れている。
 解放軍は赤月帝国を破り
 後に門の紋章戦争と呼ばれる戦いは激しく幕を閉じた。

 皆が勝利の祝いで騒いでいる喧騒をかき分け、ルックは走っていた。
 自分が走るのなんて、今までの人生で何度あったか、それ位なのに。
 でもルックは、走るのを止めなかった。
 息が上がって、苦しいと脳が苦情を体中にぶち撒けている。
 それでも、ルックは急ぐ足と急速に進行して行く不安の念を止める事が出来なかった。

 行き着く先は、グレッグミンスターの・・・今では大統領、英雄の生まれ育った家。

 でもそこには
 もうどこにも
 エンジュの姿は無かった。


「なんでさ・・・・・・」
 弾む息を抑えながら、ルックが呟いた。
 ―――同じだと 思った
 ぼくはきみと同じで
 だからきみもぼくと同じで
 だから解ると思った
 きみのこと
 ぼくは理解できると思った

 だから ほら
 ぼくの言った通り


 きみがいなくなっても
 ぼくは泣いてない。


 頭は分かっている。これは哀しいことだと
 でも
 涙は流れてない

 だから ほら 
 ぼくの言った通り


 ぼくはきみと同じだろ?
 消え入りそうに寂しそうで とてもきれいだったきみと ぼくは同じが良かったんだ

「なのに・・・・・・なんで・・・」
 ルックはその場にしゃがみ込んだ。

 涙が頬を流れてくる事は無かった。

 ただ


 嗚咽が漏れてくる事はないこの喉が



 火を飲んだように熱く乾いて
 灼け付くようだった。












 ――――涙なんて流れなくて良いんだ



 頭で哀しいと思ってる以上に、心が哀しんでれば。







 ――――――そうでしょ?











 終







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