想いが重なることに意味はあるんだろうか。
 そんなことを考える。
 考えて詮無いと気付く。
 その繰り返し。




クロユリハカレルカ








 セシルは滅多に機嫌が悪いところを見せない。
 感情に起伏が無いわけでは決してなく、むしろ底知れなかったり掴みどころのないような波が俺なんかでは把握できないところで起こっていて、そしてセシルはそれを持て余すことなく自分で片付けてしまう。
 そして今日は授業が終わってはじめて顔を合わせたときから帰るまでの間、ずっと顔に笑みを貼り付けていた。そんな風に示していた。セシルの今の機嫌だとか、感情のベクトルだとか。無表情でない以上、良いとか悪いとかという方向に機嫌が波打っているのだろうが、気にしたって俺には掴めない。掴めないことを気にするのは何となく癪だから俺は気にしない振りをする。それが常だ。

「ね、カインさぁ」
 人気のない歩道を並んで歩く途中、セシルが前を向いたままぼんやりと切り出した。俺もまた前を向いたまま「あー?」と生返事を返す。
 するとぴたとセシルが足を止めたので俺も二、三歩遅れて足を止めた。斜め後ろを振り返ってセシルの顔を見ると、ニコリと首を傾げられる。
「今日、歩兵クラスの子に告白されてたでしょ」
「…あぁ」
 実際にあったことを否定する理由もない。首を縦に振り、そして何で知ってるんだと尋ねた。呼び出されたわけでなく、机の中に手紙が入っていて、昼休みに返事を聞きに向こうから来られただけからこいつが知ってるはずないのに。
「その子が僕のところに来たんだよ。カインの好きな人って誰か知ってるって訊かれた」
「…ふーん」
「断ったんだね。好きな人がいるからって」
「………」
 苦手な話題だ。言葉を返すのが億劫で、どう答えたものか迷っているとセシルは尚も続ける。
「今月入って三回目だからさぁ、カインが女の子から告白されるの」
「そうだっけか…」
「カインさぁ、それで僕の機嫌が悪いって分かってる?」
「……」
 不意に予想外の質問をされて内心戸惑った。やっぱり機嫌は悪かったらしい。
 こいつの機嫌が悪いと分かっていたかと訊かれれば、薄々感じていた。そして俺が『女の子から告白された』ことでこいつの機嫌が悪くなるということについて分かっていたかと訊かれれば、思いも寄らなかった。
 俺の無言をどう受け取ったか、セシルはやれやれと大袈裟に肩を竦めながら嘆息する。
「僕なりに考えたんだけど。やっぱカインの顔が悪いと思うんだよね」
「はぁ?」
「カインの顔が魅力的だからさぁ、女の子にしょっ中言い寄られちゃうんだよ」
「は…そんなこと知るか! それに…」
 顔が良いという話なら、セシルこそ女子に気に入られる顔をしている。と思う。普段しているように笑顔でいるなら余計に。
 そんなことをもごもごと話すと、セシルは目を丸くして「そんなこと考えてたんだ」と意外そうにへぇと嘆息した。
「でも僕にはそんなこと興味ない。カインにとってこれが好みの顔って言うんなら話は別だけど」
「…何を、」
「ちなみに僕はカインの顔が好みとかそんなの関係ないよ。顔とかじゃなくてカインそのものが好きだからさ」
 詰め寄るように顔を近づけて言うセシルに言葉を返す前に、頬に衝撃が走った。数歩よろめいて頬を押さえる。どういうわけか殴られたらしい。
「おま…何をする!」
 抗議の声を上げる前に、セシルは相変わらずの笑顔で「だから、」ともう一度拳を結んだ。
「ボコボコに殴られて、カインが不細工になっちゃえば良いのかな? って」
 言うが早いか、セシルが再び一度殴り掛かってくる。咄嗟に左手でその拳を掴むと間髪入れずに右の拳が飛んできた。首を仰け反らせて直撃は避けるが、鼻先を風が掠める。どうやら本気らしい。信じられないことに。
「お前、バカか!」
「なんで?」
「なんでって…」
 喋りながらもセシルは本気で攻撃の手を止めない。しかもこれまた信じられないことにさっき言っていた言葉は本当の本気らしく、顔しか狙ってこない。身体への牽制で腹や肘を警戒すると、容赦なく顔を二発殴られて瞼裏に火花が散った。その瞬間かっと頭に血が昇った俺はセシルの肩を掴んで腹に思い切り蹴りを入れてしまう。ぐっと唸って腹を押さえる様子に我に返って駆け寄り、つい無防備になった俺の顔をセシルの右手が捉えたかと思うと一瞬で地面に頭から叩き付けられた。それでも俺の顔しか狙っていないセシルは倒れる瞬間俺の後頭部を左手で抑えて地面への直撃から護るものだから徹底している。呆れるほどに。
 そして地面に仰向けに倒されてセシルに馬乗りにされた俺は、またもセシルの本気の拳を何度か顔に浴びることになった。鼻はとっくに血が噴出して息が出来なくて感覚すら無くなっているし、唇は切れるし左目も半分以上開いてない。突然の理不尽な暴力に対する怒りで一気にアドレナリンが出ている俺は痛みはほとんど感じず、それなのに抵抗で出した手がセシルの顔だとか肩口だとかに当たってセシルが呻く度に一瞬ためらいだとか気遣いの気持ちが出てくるもんだからそれに対しても苛ついて途中からわけが分からなくなっていた。そしてやがて意識がぷつんと途切れ、殴り・殴られ疲れたセシルが肩で息をしながら横にどさと倒れてやっと気が付いた。
「はぁ、…はぁ」
「………」
「大丈夫? カイン」
 この期に及んで大丈夫?とか訊いてこれるこいつの精神が全く分からないが、それを言うならこいつの精神が俺に理解できていたときなど果たしてあっただろうか。だから俺は「…痛いよ、バカ」嘆息するしかない。
「何だってこんな…」
「だから言ったでしょ、カインの顔がさぁ、悪くなれば良いんだって」
 嵐が過ぎてみれば顔の痛さは相当のもので。鼻から息ができないし軟骨はどうにかなっていそうだし口の中は鉄の味しかしないし、鼻からも唇からもこめかみの辺りからも血がとめどなく流れているし、瞼も頬も腫れまくっている。見なくても自分の顔が酷いとしか言いようのない状態であることは予想できた。
「あーもう、お前って本当にバカ」
 両手で顔を押さえる。何だってこんな理不尽な暴力を受けなければならないんだ。
 こんなに痛くても、手酷い怪我を受けていても治療を受ければ怪我は治ってしまうのに。
「いちいち言わないと分かんないかなぁ、僕が妬いてるとか、それくらいきみを好きだとか」
 ふぅと嘆息混じりにセシルが言う。俺は答えなかった。しばらくしてセシルがごろりと寝返りを打ちながら「…ねぇ」近付いてくる。
「カインの好きな人、僕だよって。これからは答えて良い?」
「………」
「ねぇってば」
 俺は答えない。
 今回に限らず、本気の殴り合いの喧嘩なんかしたら勝つのは俺に決まってる。武器を持った白兵戦でもこいつより強いのは俺だ。
 それなのにこいつに対して俺はこんなにも弱い。

 顔を抑えたまま動かない俺のすぐ傍まで来たセシルは、俺の手を掴んで顔から離させる。何度か当たった俺の攻撃でこいつも唇が切れて少し頬が腫れていた。それでも変わらずにきれいだと思ってしまう。こいつが言うように、それが俺の好みだとかそういうのは分からないけれど。
 こんなことをされても俺はこいつを責めない。俺は俺を病気だなと思う。くそ、と、思う。
 じっと見詰めてくるセシルを出来るだけ無粋な顔をして睨めつけてやると、セシルはこれ以上ないくらいに朗らかに笑い、そして口付けてきた。触れた瞬間鉄の匂いがし、すぐに入り込んできた舌も鉄の味がする。俺の口内を当然のように蹂躙するこいつの舌に、俺は歯を立ててやることこそしないが、両腕をセシルの首だとか背に回すことだけはしないと誓う。俺の抵抗といえばそれくらいだ。

 俺はこいつに対し、こんなにも弱い。









end.




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黒百合の花言葉:狂おしい恋

黒百合は・枯れるか、刈れるか。

 10.11.26


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