その言葉は突然に、そして当然に、重く圧し掛かって来た。
「どうして君まで、聖騎士になっちゃったのかな」

 重く重く響いたのは彼の頭か、腹の底か、心臓か、単純に、心と呼ばれる器官にか。



器官:フィデリテ





 そもそも心なんていう器官が存在する(と世間一般で思われているし彼だってきっとそう思っている)ということが物事を複雑で不可解にさせる。
 そんなもの無くたって壊れたって生きて行ける。 彼にしてみても誰にしてみても、どうあれば無くなったのか、壊れたのか確かめる術だって無い。
 けれどそれを守るために、守ろうとするために命を懸ける人間は思うよりたくさん居る。 例えば、最近白金に輝く鎧を纏うようになったカインの目の前に、複雑というよりは彼にとって難解という表情で立つパラディン。

「どうしてカインまで、…竜騎士だけど。 聖騎士になる必要があったかなぁ」
 無言かつ無表情のままのカインに、セシルは改めて首を傾げながら歩み寄る。
 本当に、全くもって意味が分からない。 その表情は、あまりにも理に適っていない現象を目にしたときの子どものようで。
「……」
 カインまで、と言うのは自分が十数年前、試練の山で父の力により聖騎士になったから。 そしてセシルはその聖騎士になることを自ら望んだ。
「君、聖騎士になりたいと思ったの?」
「…いや、それは違う」
 この質問は全く意味を成さない。 そもそも自分の能力としての職業に聖竜騎士などという選択肢がカインの中には無かったのだから。
 けれどなりたくてなったのではない、と言うのも何か違う気がする。
 自らの弱さを乗り越えるために、ずっと尊敬し追い続けて来た竜騎士である父を超えるために、試練の山に登った。
 そこで生まれ出た自らの悪意の塊を追い山を降り、対峙し、そして剣を交えた。
 するといつしか剣は槍に変わり自らの心の中に凝っていた悪意は溢れ出すことのないと誓えるような形で自らの中に舞い戻り、そして気が付けば白く輝く鎧を纏っていた。 事の顛末はこうだ。

 バロンで竜騎士をしていた頃、竜を象った濃紺の鎧は誇りそのものだった。
 それが何故、白く塗り替えられたのかは解らない。
 そう、自らを竜と準え心を竜と一つにし、戦地に向かう。 烈しく、けれど冷静に狡猾に自らを竜と化させるあの鎧。 それは確かに誇りだった。

「……俺は、濯がれたのか」
 ぽつりとカインの口から零れ出た言葉。
「そそがれた?」
 セシルが眉を寄せた。
「俺の汚い部分と…自らが貶めてしまった竜騎士というものを…おまえの父親に…」
「どうして」
 カインの言葉をセシルが鋭く遮る。
「まえの君が、汚いものだったって言うのか?」
「…少なくとも…俺は弱く、そのために取り返しの付かない過ちをし、おまえたちに迷惑を掛け傷つけた」
 無表情で、それは正論だと疑わない眼差しで。 語るカインに、セシルが不快を隠さずに「…僕はね、カイン」眉を顰めた。
「僕は暗黒騎士だったとき、絶えず自分を飲み込もうとする暗闇に苛まれていた」
 カインの蒼の目を、セシルの月が吸い込まれたような両の目が見据える。

 セシルが暗黒騎士であった時代ならばもう誰にとっても遥か以前に感じることだけれど。 既に自我を失っていた当時のバロン王の命ずるまま、ミシディアや世界各地で破壊や殺戮を繰り返し、果てはミストを滅ぼしリディアを孤独にした所でその暗闇に動かされる手は止まった。 どれだけ時が経っても、セシルの内から当時を悔やむ念が潰えることは無い。 またそれは決して忘れてはならないのだと、セシル自身がそう思っているだろうから。
「僕はずっと逃れたかった…暗黒騎士である自分から。 破壊し殺し、憎しみや哀しみしか生み出さない自分の手から」
 セシルの言わんとすることを探るように不安げに見詰めるカインに、セシルが苦笑する。 そして自分で希望して…陛下を護るため、陛下の恩に報いるために自分から志望したのにな、と付け加えた。
「僕があんな風に人を殺せるのは、人の住む地を破壊出来るのは、自らが暗黒騎士だからだと思ってた。 各地で僕を恨む人たちは暗黒騎士を恨んでいて、ミシディアの人たちだって暗黒騎士である僕を憎んでいるのだと。 もしかするとそんな風に責任転嫁してたのかもしれない」
「……」
「だから試練の山でパラディンになったとき。 黒く僕の身体のあちこちを穿っていた刃の鎧から解放されたとき、どこか安心した」
 勿論それで全てが赦されるわけはないしそんな都合の良いことは考えていないよ。 困ったようにそう言いながらセシルが笑う。
 事実パラディンになったセシルをミシディアの魔道士達は許し、そして彼と彼の仲間のそれからの所業は英雄の業となり今に繋がっていて。

「…実際、おまえは全てを受け入れたのだろう?暗黒騎士であった自分にすら剣を向けず、剣を納め耐え抜いたんだと…ミシディアの双子から聞いたぞ」
「それがパラディンとしての剣を振るう資格だからね…。 でもカイン、僕が言いたいのはそんなことじゃないよ」
「?」
「覚えてる? 君がゴルベーザ…兄さんに操られて、ローザを攫いゾットの塔で対峙したときのこと」
「………」
 それはカインにとって最も贖罪を望み、それと同時に最も許されることを望んでいない過ちであろうことはセシルにも解っていた。
 現に当時のことを、カインと面と向かって話をしたことはない。
 カインはどんな顔をするだろう、と心の隅でぼんやりと思ったが、伺える程の感情をその表情に浮かべてはいない。 それに少し安堵しながらセシルは言葉を続けた。 言いたいことはもっと先にある。
「一時兄さんの精神的な呪縛を退け、正気に戻って詫びて来た君に、『操られていたんだから仕方無い』そう言った僕らに…カインは『意識はあったんだ』って。 そう言ったのを…覚えてるか?」
「………ああ」
「僕はあのときの君を忘れることは無いと思う」
「…?」
「操られていたから何も覚えていないと言って、心を支配されていた間にしてしまった酷いことでも不可抗力化することが出来たのに…君は『意識ならあった』そう言って君自身の責任から逃れようとしなかった」
「……」
「これほど誠実で…清廉な精神って、僕は無いと思うんだよね」

「…セシル」
 一瞬、足元が覚束なくなる感覚がカインを襲った。
 セシルの話した出来事。 一体あれから十何年もの年月が経っているのに。 それを自分とは違った意味で覚えていて、まさかそんな風にセシルが感じていたとは。
 弱い精神、裏切った自分。 親友の隣に立つに及ばない自分。 その資格すら無い自分。 自分自身を貶める言葉ばかりが心を渦巻いていた自分が一気に恥ずかしくなる。
 何も言わずに俯いたカインに、セシルは何事も無かったように笑って言った。
「カインは本当竜騎士としての力は充分に発揮出来るのに、兄さんに操られたことを『自分の過ち』そう思い込んでからは…いつでも自分を責めてばかりだったんだろうな」
「……」
「信頼とか、ライバルだとか。 そういう以前に単純に僕は前の君が、好きだったのに。 あの濃紺の竜を象った鎧に兜。 限られた選ばれた者しかなれない竜騎士に相応しい高潔な精神。 だから聖騎士になる必要があったのか、凄く謎なんだよね…我が父がしたことながら」
 肩を竦めておどけたように言うセシルに、どんな顔をして良いのか解らないという風にカインの顔に戸惑いが浮かぶ。
「セシル…俺は…」
「ああ、今が嫌いってわけじゃないよ、勿論ね」
 笑って、ともすれば落ちてしまいそうなカインの肩に手をぽんと置く。
 セシルの表情を見やり、カインも小さく微笑う。 そして数秒間を置いて、「ああ……分かってる…」ゆっくりと頷いた。
「………分かってないよ」
「…セシル?」
 急に返された真顔の声にカインが戸惑いながら顔を上げる。
 セシルは怒りと哀しみのない交ぜになった感情を、彼が本来持つ優しさに包んだ柔らかな表情で言った。
「あのときの僕も、ローザも。 みんな君のこと好きだったのに」
「……」
「全然分かってなかったよ、カイン」
 決して詰るのではない、その声の響き。 カインが無言で下を向いた。 頷くでもなく、俯くでもなく。
「……………」

 その言葉ならたぶん、口にしなくてもずっと聴こえていたのに。
 聴こえていたと同じくらい、自分も彼らに対してその感情を向けていたのだから。

『君のこと好きだったのに』

 その言葉をあの時。
 もう十何年も経ってしまった遠い昔。
 ずっと聴こえていたその言葉を、信じていられれば良かったのに。
 その言葉に安らげなかった代償が、今落とすことの出来ない涙になってカインの喉の奥に落ちて行った。
 今となっては泣けない。 セシルもカインも、過去から掘り出した感情や言葉で涙が溢れることはないほどには、大人になっているのだから。

「…でもさ、聖竜騎士になった意味はよく解らない、って言ったけど」
「ん?」
「君の今の姿は好きだよ。 ちゃんと目を見て表情を見て、話せるしね」
「…そうだな…。 おまえの暗黒騎士だったときの姿同様、昔はお互い兜で顔を隠してばかりだったからな」
「君も、今の僕の姿の方があのときより好きだろ?」
「……」
 からかうように言うセシルに、カインが呆れたような視線を送る。 セシルがあははと明朗に笑った。
「冗談だよ」
「…おまえは、本当に変わらんな」
「うん。 だから君が好きだということは変わらないよ」
「…ああ、」

 分かってる。
 最後の言葉は掠れてしまったから音にはならなかった。
 だから聴こえたのは、カインの返答が解り切っていたセシルだけ。









end.




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フィデリテ(仏語):誠実

「聖竜騎士とかw無いww」って思った当時の自分の率直な意見を、セシルに言っていただきました。

男同士で「好き」って言葉使うとすぐにBLに結び付きそうなのが悩みの種です。
あくまで友情!がテーマなんだけど…そう但書つけないとやっぱBLになっちゃいますかね。

 09.07.25


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