たぶん痛みとは少し違う
 けれど痛みと言っておかなければただの行き場の無い感情





                                そして遠くなる







 城の内部に入るまでに水路を抜けて戦闘の連続であったことや、城の状態により少年が精神的にも疲弊していたことを男が気遣っての計らいにより、ミストに向かうのはバロンで休んでからにしようと言うことになった。
 宿を取り、言葉少なに二つ並んだベッドに潜り込む。
 カーテンから月明かりが細く漏れているのが窓際に眠る男の顔に射し、眩しさに目を細めた。 カーテンをきちんと閉めに行こうかと思うが身体の疲れの方が勝っておりとても動く気になれない。
 しかし身体は疲弊してはいるものの、思考は冴え渡りバロンに対する思いを巡らせていた。

 男にとって十数年振りの故郷。 自らの家は既に他人の手に渡ってはいたものの、美しい街並みは以前と変わらずにあの頃のままだった。 そう、それはバロン城も。 違っていたのは活気溢れる兵達の一切が消えており、そして玉座に座っていたのはかつての親友。
 見た目は随分変化していたが、それは年月が経っていることもあり、自身にだってそう言える。 あのときにバロンを離れずに共に年を経ていたのであれば、もしかすると変わったなどとは感じなかったのかもしれないけれど。
 そんな詮無いことをも考えながら、自身に気付かなかったセシルの傀儡のような目を思い出した。 今現在、このバロンには確実に何かが起こっている。
 男のここ数年の動く目的には、自身の生み出した半身を抹消することにあった。 けれどバロンに帰ってみれば、かつての故郷はその活気や流れる空気の匂いという点に置いて見る影も無い。 かつてこの国を逃げるように後にした身としては何かを想う立場であるとは思えないが、やはり完全に無視することなど出来そうにない。
 そこまで考えた所で、隣のベッドで少年が寝返りを打ち、その衣擦れの音で思考が戻された。

 既に眠っているだろうと思っていた少年から、遠慮がちに声が掛けられる。
「…あ、あの、起きてますか」
「……ああ」
「気になってたんですけど…あなたは僕の、両親を…知ってるんですか?」
「……」
「昼間、城で両親の話をしてから…あなたの様子が違っていたから…」
「……」
「もしかして、両親や、僕を…知っているんじゃないかと思って」
「…考えすぎだ」
「そうですか……」
 腑に落ちないのと、安堵したのと、両方を含んだような声が返って来た。
 否定も肯定もしなかった。 黙って打ち明けないことを嘘を吐くことと同じだと言うのであれば、半分嘘で半分が真実。 少年のことは全く知らなかった。
 少年がセシルとローザの、かつての親友の息子だと知った途端に、ああなるほど、と納得したものは多かったのだけれど。
 ここまでの旅路を共にする間、誰かに似ているという想いは抱いてもまさかあの二人の息子だとまでは思考が結び付かなかった。 全く思いもよらなかった、という自分が考えてみればおかしい話ではあるのだけど。
 それきり何も言わない男に、少年が更にあの、と話し掛けて来た。 彼も同じように心身共に疲労しているのであろうが、続き様に起こった出来事で心が落ち着かないのだろう。 ごそごそと何度も寝返りを打ち、シーツを被り直す動作を繰り返している。
「明日、ミストに向かうんですよね」
「ああ」
「ミストやミストの洞窟は…思い出深い場所だと、父が言ってたんです」
「……」
「霧が深い洞窟で、敵も多く…それでも当時の竜騎士団の団長である親友と一緒だったからとても心強かったと」
「……」
「そしてその洞窟で、そこを抜けたミストの村で、とりかえしのつかない過ちを犯してしまったんだと…言っていました」
「…そうか」
 よく知っている。 ミストでの出来事は共犯のようなものであるし、そして不本意とは言えミストでしてしまったことで、セシルがどれだけそのことを気に病んで悔いていたかも。
 霧の洞窟での戦闘は厳しく、それでも背中を預けられるライバルであり親友である存在が共に居たから、辛くなどなかったことも。
 よく知っている。 少年には見えないのを良いとして男は大きく頷いた。 懐かしすぎて胸が掻き毟られる。
「でも、その過ちがなければ…今の父も無ければ世界も全く違っていたと、複雑そうな顔をしてました」
「……」
「出逢う人や物事、何がどんな風に自分の運命を変えるか分からないから、全てを大事にしろって。 失ってからでは遅いんだって」
「…」
 ふと仰向けになっていた身体を横に向けると、隣のベッドの少年がこちらを見ていた。 暗闇に目が慣れ、少年の生真面目な表情がはっきりと分かった。 ただその表情には困ったような恥じらうような、複雑な感情が浮かんでいる。
「やっぱり、名前は教えてくれないんですか?」
 少年の真摯な瞳を直視出来ず、目を閉じて頷く。
「………そうだな、必要無いんだ」
「…捨てたから、ですか?」
「…ああ」
「……でも僕にとって…あなたは」
「――?」
 そこまで発した所で、少年が言葉に迷ったように口を噤んだので思わず目を開いた。
 男に向かい合うように横に向けていた身体を天井に仰向け、気まずそうに、そして少し照れを含んだ表情で少年が笑って言う。
「…あの、僕、本当は…覚えてるんです、あの日のこと…」
「?」
「その、数日前。 敵と戦闘中に僕がやられたとき。 …あなたに噛み付きましたよね、僕」
「…ああ、あれか。 混乱していたんだ、別に気にしていない」
「……でも」
「?」
「混乱して…確かに意識ははっきりしていなかったんですけど…でも、僕は…あなたに……」
「…?」
「………」
「…セオドア?」
 それきり返事が聞こえなくなった。
 寝息が聞こえ始めているわけではないが、そのまま眠ってしまったのだろうか。 言葉の続きが気にならないでもないが、聞いてはいけない気もする。
 明日はミストへと出立するのだから、身体を休めておかなければならない。 男自身ももう眠ろうと仰向けになり、シーツを被り直して目を閉じた。

 野営が続いていた日々の中で、久し振りの整えられたベッドとシーツでの休息。 自然と眠りが深くなっていたのか。
 普段の男であれば少しの気配ですぐに目を覚ますはずだが、その日は隣のベッドで少年が動く気配があっても、覚醒には至らずに男はまどろんでいた。
 夢現な状態で少年の気配を探していると、不意に自身のベッドの淵がぎしりと軋む。
「……?」
 少年が男のベッドの淵に足を掛け、そのまま男の上に腕で体重を支えながら覆い被さって来た。 一連の動作で男の被っていたシーツが床にずり落ちる。
「…?セオドア?」
「………あの、あの…」
「どうし――」
 問い掛ける間も無く、少年の唇が男のそれに重ねられた。 男の目が驚きに見開かれる。 ただ重ねただけの唇の隙間から少年の熱くなった息が漏れた。 男を見下ろしながら少年が焦燥し切った顔で言う。
「あ、あの、すみません……でも、僕……」
「―――」
「…なんか…、おかしくて…」
 はぁと深く息が吐かれる。
 ひとまず少年に圧し掛かられた体勢をどうにかしようと男が身体を動かすと、手先が少年自身に触れる。 そこは既に勃ち上がり掛けていて、不意の刺激に小さく嬌声があがり少年の身体がびくりと震えた。
「…セオドア」
「はっ…あ、…」
 熱い息を吐きながら、どうしよう、と消え入りそうな声で呟くのが男の耳に届いた。 少年は今にも泣き出しそうなほどに焦燥し切った顔で、あの・でもと繰り返した。
「…でも…僕、…」
 ゆっくり、だが一言ずつ紡がれる言葉。 その続きにどんな言葉が重ねられるのか。 信じがたいことだとは思いつつも、男にはそれが想定出来たから。 心中で迷いながら目を閉じた。
「……あなたが――」
 荒くなった吐息を必死で抑えながら言葉を発そうとした少年の口を、男が手で塞いで妨げる。
「…!?」
「…何も言うな」
 表情の無い声。 少年とは違い焦燥してもいなければ、突然の出来事に驚愕している様子も無い。
 まるでこうなることが想定出来ていたかのように、男の目は静かだった。 その目に自身の顔が映り、その瞳に映されている以上に奥深くまで見透かされているのだと思うと少年の目から涙が零れた。

 以前に混乱し男を押し倒したときと同じ体勢のまま。
 男は上から覆い被さっている少年の下腹部に手を伸ばし、下着の隙間から少年自身を握り込む。 それだけで少年の身体がびくりと跳ねた。
「あ! や…」
 すぐに硬さを持って勃ち上がったそこの先端を指先で押さえると、滴が溢れ出す。 その滑りを使い男の左手が器用に動き少年自身を上下に扱き始めた。
「ぁ、や、やめ…ッあ、!」
 目尻から涙が溢れている少年の目は、情欲に蕩けていてどこか男と目が合っていない。 それを心中で安堵しながら、空いている右手で少年のシャツをたくし上げる。 左手で少年自身を愛撫するのはそのままに、首を上げて胸の尖りを舌先で舐め上げた。
「ぁっあ! や、ぁッ…」
 少年が体重を支えていた腕ががくがくと震え、力が抜けて行き今では肘で自身を支えている。 身体は男と密着し、その体温の熱さと耳元であがる切ない嬌声が、それでも男の思考を澱ませはしなかった。
「…セオドア」
「…ぁ、ぁっ…!は、はい…」
「…おまえは、この数日で自身やバロンに不測の事態が起きていて…心がそれを整理出来なくなっているだけだ」
「…ん、ぅぁ、あ…ッ!」
「今まで当然に居たはずの両親や城の人間達が急に居なくなって、心細くなっているだけだ」
「ふ、…な、にを…?」
「これは私に頼ったんだと思わなくて良い。 一人でやったと思え」
「………!? ッあ、」
 少年が男の言葉に何かを思い、そして言葉を返そうとした瞬間。 与えられる刺激が思考を凌駕し、身体がびくびくと震えた。 吐き出した精を男の左手が受け止めたことだけが身体の覚えた最後の感覚。
 くぐもった水音と抑えられない自身の嬌声に聴覚から犯され恐慌状態の脳に、そして自身に触れているのがずっと触れたいと惹かれていたこの男だから。 身体が快感を覚えない筈が無い。 けれど彼から発せられた言葉。 その真意を噛み砕く前に脳と身体が快楽に負けてしまう。
 違う、僕は。 その言葉を言えたかどうかも分からないまま、意識が白んでしまった。


 少年が気を失い、ぐったりとその身体が凭れ掛かって来た。
 息を乱し波打っている未発達の背にゆっくりと腕を回し、位置を変えて隣にその身体を横たえた。
「……」
 汗で額に張り付いた前髪をかき上げてやる。
 思い出す、少年の余裕の無い瞳。 だがあの瞳が孕んでいたものが他でもない男自身への情欲の念だと、そうと認めてはいけないことは解っているしそうするつもりもない。
 気の迷いでしか無いのだと断言した自分の言葉に、少なからず痛みを感じただろうか。
 目が覚めたときに掛ける言葉など無い。
 必要なのは今この場限りの感情を埋める温もりでなく、次へと進む意志と確固たる足取り。
 知ってしまったのだから。 少年が誰の肉親であるか。

 髪を撫で付けられて、少年の呼気も次第に整って来ている。 その表情は変わらずに不安を抱いたまま。
 言葉の一つや二つで、それを少しでも安らげてやることは出来るのだろう。 例えば自分が少年にとって、少年の両親にとってどのような存在であったかを告げれば。
 けれどそうしないのは、そう出来ないのは大層な理由があるわけでもなく、それが全く無いわけでもなく。 ただ単に己がまだそれを赦せないからで。
「…すまないな」
 誰に対しての侘びかはわからない。 けれど口をついて出たのはその言葉。
 寝息を立てる少年が、先刻重ねてきた唇。 翌朝目が覚めた彼が同じ唇で一体どんな戸惑いを浮かべながらどんな言葉を掛けてくるのだろう。 そう考えると少しだけ胸が狭くなった。 面倒だとも思う。 己はこんな想いを抱くに、抱かれるに値しないのに。
 振動を与えないようにゆっくりとベッドから立つ。 少年の肩までシーツを引き上げ、もう一度その顔をじっと見詰めた。
 そしてその口元の僅か横、白い頬に唇を寄せ、「……」口付けようとして、止めた。







end.

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 09.07.06


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