意味のある在り方を、消え方を。
 自分が知らないということは彼だってそれを知らないということだ。



哀しみのムスカリ





 向けられるものが憎しみであればそれで良かった。
 だが彼と向かい合う自分に彼は憎悪や自嘲の眼差しを向けるでもなくただ下を向いて、つまり自分と言う存在をひたすらに拒絶していた。

 竜を象る鎧はかつての彼の誇りそのものであったはずで、かつてその左手に振るわれていた槍も同じだったはずなのに。
 彼から生まれ飛び出した自分が彼と同じ姿をしていたことにより、彼はその姿も槍も、名前すらも投げ打ってしまった。
 彼を避けていたわけではない。
 寧ろ彼を消して自分一人の存在となりたいと思っていたのだからその意味で彼を探したことはあった。
 そして彼は恐らくそれ以上に自分を消し去りたいと思っていたはずだから彼も自分を探していただろう。 だから多くはないが、接触したことはあった。

 反発し合い、彼に完全に拒絶されたがゆえに自分が生まれたことを考えれば、それなのにお互いを探して対面するというのもおかしな話だ。

 試練の山のあの祭壇ではじめて遭ったとき。
 彼への敵意の塊であった自分とは違い彼の目には戸惑いが多く宿っていた。 いきなり自らと同じ姿をした、それも自らが封じこめてきた感情が剥き出しになった半身が現れたのならそれも詮無いことだろう。 そしてそんな彼を打ち倒すのは容易かった。
 そう、殺して消去してしまうならあのときだったのに。

 今、彼がかつて握っていた槍を手に対峙する自分に、彼は静かに剣を向けた。
「槍ではなく剣なのか」
「ああ」
「それに…兜を。 竜騎士の証を捨てたのか」
「……ああ」
 吐き捨てるように返される言葉。 彼の目はあくまで静かに、自分という存在を消去することを望んでいる。
 生まれたときから腹の底に広がる憎悪と憤怒、負の感情に身を焼かれ、いつしかそれは鎧のように纏うが当然のようになっている自分には、火が逆巻くように彼に対し投げ付けたい烈しい憎しみがあった。 憎んでいるものはかつての親友唯一人だと胸の底の記憶は叫んだ。 だがこんな感情を燻らせ自分を生み出した彼自身こそ、赦せないのだと細胞全てが喚いている。
 だが自分とは違い彼はお前とは言葉を交わしたくないと言い瞳を閉ざした。 小さく肩を揺らし、息を吐いたのが解る。
 そして地を蹴ると同時に剣を閃かせた。

 風の無い乾いた地に、剣と槍の打ち合わされる金属音が響く。
 踏み込む地面が砂埃を巻き上げ、刃が風を薙ぎ、同じ腕が握る違う武器が、けれど同じ目的を持って空を裂いた。
 一瞬の隙を突き、鎧を纏っていない彼の脇腹を目掛け槍を穿った瞬間。 彼の身体がするりと槍を避け、伸びて来た槍の鉾先を彼の紫苑のマントが絡め取る。
「―ッ…」
 次の瞬間には彼は槍を絡ませたマントごと遠くに放り捨て、左手に握る剣を淀み無く自分の喉元にあてがった。

「俺を…殺すのか」
「…ああ」
 温度の無い冷淡な刃を、喉元の皮膚に触れるか触れないかの距離で静止させたまま。 彼は頷きもせず短く答えた。
 この刃は自分の命を絶つことを望んでいるのでもない。 ただただ自分を消去したいのだ。 そんな拒絶が水のように流れ伝わって来る。
「お前はあの男…セシルには手を出せなかったのに。 俺を殺すことは出来るのか」
「………ああ」
 『セシル』その名を出すと反応が少し遅れた。 だが声に迷いはなく、彼は自分の目を見るでもなくひたすらに自分の喉元にあてがった刃を見詰めている。 この刃を少し押し出し、そして横に薙ぐことを。 彼はそう言ったように、出来るのだろう。
「…おかしな話だな。 お前がセシルを殺したいと憎悪し、ローザを自分だけのものにしたいと欲したときから俺はお前の中に在った。 俺がこうして生まれたのも、お前の中のそれが溢れたからだ」
「黙れ」
「それがどうしてセシルを殺せずに、お前の望みを全うしようとしている俺を殺せるんだ?」
 挑発などでなく事実。 自分がここに在る理由。 喚くように喉から言葉が溢れて来た。
 向けられるものが、彼が自分に向けてくるものが憎しみであれば良かった。 自分の存在が正しいがために彼が自分を憎悪し、否定しているのであればそれこそが自分の存在の肯定だから。
 だが一向にそれが流れて来ない。
 ここに在る憎しみは自分から彼へ飛んで行くばかりで、彼は何も言わなかった。
 そして自分の言葉が終わると同時に、横に薙がれるかと思っていた銀の刃が下ろされる。
「?…ッ!」
 下ろされる剣を目で追った瞬間、彼の右手に兜を掴まれた。
 抵抗する間も無く、無理矢理兜を外される。
「――…」
「お前は、俺だからな」
 金の髪が、久しく見ていなかった自らの髪が風に流れ視界を遮った。
 それをかき上げることもせず無造作に頭を振り、目の前に立つ彼を見上げると目が合った。 はじめて、合ったように思う。
 自分の目を見たことは無いが、同じような目をしているとも思えなかった。 彼の蒼の目に真っ直ぐにとらえられ、彼が小さく「本当に俺なんだな」と呟いたのが聞こえる。
 その声には思いのほか驚きと、絶望と哀しみと。 様々な感情が綯い交ぜになっていて、自分の姿が映ったその目が一瞬揺れた。 なぜ彼がそんな表情をしたのかは分からない。
 そして彼はゆっくりと目を背け、もう一度「お前は俺だから」と口を開く。
「殺してやりたいよ、本当に…」
 言葉が自分の耳に届く頃には、彼の左手の剣は鞘に納められていた。


 先刻放り投げていたマントを拾い、埃を払って纏いながら彼が零すように言う。
「お前が言ったこと。 セシルやローザへの想い。 お前が生まれた理由。 違うんだ」
「何を」
 そして打ち合った際にマントに絡めて奪った自分の槍を、元は彼自身の物である槍を拾い上げ、柄の感触を確かめるように何度も握り直す。 そして一瞬、"未練"そう呼ぶに相応しいような感情を目に浮かべ、すぐに目を逸らした。 それが足元に放り捨てられ、ガランと怠惰を表したような音が響く。
「全部……違うんだ」
 そう言って後は振り返ることも無く、彼は静かに立ち去った。

 彼と自分を繋ぐ糸は、拒絶でしかない。
 自分を造り上げたはずの彼の感情、それを違うと彼は言った。 全部違うと。
 そして『お前は俺だから』と言ったのに、彼は彼自身を拒絶している。 だからあの姿であり名前すら持っていない。
 憎しみでない否定は無だ。 自分が彼に向けるような烈火の如き憎悪は日々世界を飲み込むように蝕んで行くのに。
 それでも彼は風に木の葉がそよぐほどの共鳴すら無く、その立ち居姿全てで自分の存在全てを否定している。

 自分の存在が憎悪することであれば、彼の存在は何なのか。
 今自分が憎いと思う全てが間違っているのであれば、自分の存在の正しさはどこにある。 どこにそれを求め彼は自分を生み出したのか。 だがそれを問えば自分が生まれたことすら、間違いだったと結論づくのだろう。

 彼が先ほど放り捨てて行った槍の元へ歩み寄る。
 拾い上げると一瞬でも槍を手に立っていた彼の姿が浮かんだ。
「……」
 自分も彼のようにこれを地面に捨て去ることが出来れば良いのだろうに。 それが出来ずにまた握り締めてしまった。

 瞬きし、見渡せば世界がまた暗く沈んで行く。
 自分はまた彼を探してしまうのだろう。 憎み、憎しみの果てに殺すために。
 ただ、拒絶するのは彼に対する自分だけでありたかったなどと。 そんなことをふと考えた。
 それは受け入れて欲しいなどという思いでは多分ない。 いや決してないと。 目を閉ざし、また世界を黒く塗り潰す。
 世界はそれだけで愉快なほど沈んで行く、不快なことに。









end.




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ムスカリの花言葉:黙っていても通じる私の心

あくまでモノローグの場合ですが、黒カインが一人称「自分」二人称「彼」となってるのは単なる趣味です。趣味というかその方がなんかしっくりくるの。
謎視点で書いたことがない(というか妄想したことがない)んだけどそうなった場合一人称「俺(NOT私)」二人称「あれ」になるかと。…そう思うと書いてみたくなる!


 09.06.15


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