透き通る黒





 最近はセシルの部隊と俺の部隊とでは別任務を遂行することが多く、バロンで顔を合わせるのも久し振りのことだった。
 数週間振りに顔を合わせて久し振り、とか調子はどうだ、とか、定石過ぎる言葉でも交わすのが当たり前なのに、そのセシルの雰囲気が数日前とは全く違っていたので俺は少々面食らった。 よって開口一番俺の口から飛び出した言葉は「おまえ大丈夫か」だった。
「何だよカイン、ここはまず久し振りとか調子はどうとか、そういうのが当たり前じゃないか?」
 俺の脳内を読み取ったかのような台詞を吐いてセシルが苦笑する。 その笑顔すら前とは何かが違う。
 だがその変化は言葉にするのは難しいものだった。 何かを思い詰めているとかもっと単純な言葉を使えば疲れてるとか悩んでるとか。 そのどれでもなさそうでその全てがない交ぜになっているような気もする。
「いや、…何かしばらく見ない内に……」
 雰囲気が違うとか何かが変わった、などと簡単に言って良いものか一瞬ためらって、「何かあったのか」とだけ付け加えた。 セシルは別に何もないよと言ってまた笑う。 そしてその笑顔もやはり何かが張り付いているような、見ているこっちが不安定になるような違和感を纏っていて。 俺は何かあったんだろと質すことも大袈裟に首を傾げることもなく、それ以上何も言わなかった。

 任務の報告を済ませ隊舎に戻る途中、「カイン」名を呼ぶ声に足を止めた。 廊下向こうからローザが早足で歩んで来る。
「ローザ」
「久し振りね。 元気だった?」
「ああ、何とも無い。 そっちも…変わりは無いようだな」
「…ええ…」
 朗らかに笑んでいた顔が「変わりは無いようだな」の言葉に曇り、曖昧に頷いた。 何を指しているかなんて聞かなくても分かる。
「…セシルか?」
「……セシルには会った?」
 質問が質問で返される。 俺は先刻顔を合わせたときのセシルの顔を思い浮かべて肩を竦めた。
「一瞬だけ顔を合わせた。 あいつはいつ戻ったんだ?」
「一昨日よ」
「帰って来たときから様子がおかしい、と?」
「…ええ。 何だか話をしていても上の空だったり、かと思えば思い詰めた顔をしていたり…何かあったんだと思うけど何も言ってくれないの」
 そう言ってローザが形の良い眉を寄せて嘆息する。 「…」俺はコツ、と爪先で地面を鳴らした。
「確か今回のあいつの任務って…」
「…反王政ゲリラの粛清…」
「……」
 バロンは軍事そして歴史規模の強大な国家だからゲリラなどほとんど効を成さない。 だから大きな戦争になど至らないが、先日何人かのゲリラ兵が王室に乗り込んで来た事件があり、完全に無視するわけにも行かなくなった。 かと言って赤い翼や竜騎士団を投ずるような規模の相手ではない。 だから最近暗黒騎士となり絶大な力を発揮し始めているセシルを試す意味もあったのだろう、あいつ率いる陸兵一隊がその任務に当たった。
 元から軍人に向いているとはとても思えないようなセシルだ。 その任務の内容から言っても憂鬱だとか遺憾だとか、一言では言いようのない感情にかられていることは簡単に想像出来る。
「ねぇカイン、セシルの話を聞いてあげて」
「話をって…」
 俺だって先刻何も無いと話を押し戻されたことを言おうとしたが、「私じゃ駄目なの」口を開く前にローザが続ける。
「私では…傷ついた彼をたすけるどころか、傷を見せてすらくれないの…」
「………」
 語尾は消え入りそうに力が無かった。 友の心が傷ついていることを憂える意味だけでなく、それは他でもないセシルが・そんな状態であることに対しての真っ直ぐな痛みだろう。
 彼女が白魔導士になった理由を思えば、周囲の反対を押し切って軍隊に入った理由を思えば。 なるほど悲痛な面持ちの彼女の心は推し測れた。

 自ら軍人となり、暗黒騎士となり、だがかつて志していたものとは違う憂鬱な任務の多い職務で、あいつが心中どんな風に自分を痛めつけているかはわかる。
 そして誰よりも想うセシルを癒したいがために今の立場にいるのに、その肝心のセシルが痛みを訴えてくれない。 それを彼女が憂える気持ちもわかる。
 けれどそんなのは所詮わかるような気がしているだけで実際はもっと複雑で奥の奥に絡んでいて俺ではわかれないだろうし触れられやしないことこそを、一番わかってる。

「お願いよカイン、私あんな彼を見ていられなくて…」
 カインならセシルは話してくれるだろうから。 そう言って眉を寄せて気丈に笑って見せる。 たぶんセシルのことを俺に頼るのは彼女にってとても悔しいことだろうなと何となく思う。 彼女のことを俺がセシルに頼るしかなかったり、セシルのすぐ傍には彼女が立つのが自分でも当然のように思うことを俺が少なからず悔しく思うことと同じだ。
「心配するな、任せておけ」
 そう言ってぽんと肩を叩けば、もう一度ふっと花のように微笑い、そして絹のような髪をなびかせながら彼女の隊の詰め所に戻って行く。
「……」
 迷っていたり傷ついていたりするのが俺だったなら。 彼女は・或いはあいつは。 こんな風に憂えてくれるのだろうか。
(…バカか、俺は)
 ローザの後姿を見送りながらそんなことをふと思った自分に自嘲と言うより呆れて首を振った。


 塔の最上階のセシルの部屋に行けば、月の明かりが溢れんばかりに射す窓辺にセシルはぼんやりと立ち尽くしていた。
「セシル」
「…カイン、声ってどうすれば聞こえなくなるかな」
 部屋に入って来た俺の方を振り返ることもなく、独り言のように言ったセシルに俺は一瞬言葉を失う。
「…どうかしたのか?」
「何ともないと思ってたんだけど…やっぱり、声がうるさくて仕方無いんだ」
「声?」
「僕が殺した人達の声が。 僕を、バロンを恨む声が」
 耳から離れなくてうるさいんだ、そう言ってセシルは不快そうに眉を寄せた。
「…やっぱり先日のゲリラ粛清の任務か」
「武装してたけど、強くなかった。 だから難しい任務のはずじゃなかった。 なのに…」
「……」
「洗っても洗ってもこの手についた血が落ちない気がして気持ち悪いし、耳元ではずっと彼らの声が聞こえていて…頭がおかしくなりそうだ」
「……」
 ここでおまえは自分で望んで軍人になったんだろ、とか。 陛下に、バロンに仕える身なんだからその手の任務は当然避けて通れないのだから割り切れ、とか。
 言える言葉は多々あるんだろうが、自らの両手を呆然と見詰めながらうわごとのように言うセシルに俺は何を言うべきなのか解らなかった。

 常に何らかの人や、物事や、自分自身に傷ついているこいつから、痛みが消えることはあるのだろうか。
 こいつの痛みが消えることが無いのなら、彼女や俺からそれが消えることも無いということになる。
 それならば誰が誰を救えるって言うんだ。

 俺は嘆息しながら窓辺に立つセシルに歩み寄る。
「たぶんその声は消えない」
「…」
「恨む声は、おまえを責める声は…おまえ自身の声だろう」
「………そうか」
 だから、消えることなくずっと聞こえてくるのか。 呆然と、だが納得したように頷くセシルは、それでも途方に暮れる子どものような顔をしていた。
 こいつが自分自身を責めているならば俺はそれを止めろなどと言えない。 そんな意味では俺はこいつの深淵に干渉することは出来ない気もするし、俺だってこいつ自身だって、互いにそれを望んじゃいないのを知ってる。

「人の声ならこの耳を塞げば聞こえなくなるのに。 僕自身の声なら…この耳を切り落としたって喉を切り裂いたって聞こえ続けるね」
「だが、耳を切り落として俺の…俺達の声まで聞こえなくなるのを望むのか?」
「――」
 小さく笑って言った俺にセシルはきょとんと目を丸くした。 カインがそんなこと言ってくれるなんて、とも言った。
「声も聞きたいから喉だって切り落とさないでくれ、とも言おうか?」
「…はは、そうだね」
「……しっかりしろよ、ローザを悲しませるな。 あんなローザは見ていられん」
「元気に見せてたつもりだったんだけど…心配させてたか」
「…」
 何も言わずに肩を竦めた俺に、セシルは小さく笑った。
「…もっと強くならなきゃならないことは、分かってるんだ」
「…ああ」
「僕はバロンの騎士だから」
「……」
「軍に入って、陛下の恩に報いるために暗黒騎士になって…強くなったつもりだったのに。 なのにこんな風に心が痛むなんて、まだまだ弱いんだな」
「……強いのと痛みを感じないのは別だろ」
「…それじゃあ…僕はこの痛みは癒さないでいたいと思うよ、これからも」
 月の逆光でよく見えなかったがきっと笑っているんだろう。 眉を寄せて、自分に笑うことを強いるように。
 こいつがそうすることで、痛みに耐えることで。 他の誰かや、分かり易く言えば俺が。 痛みを感じることなど、こいつは知る必要は無いだろう。 俺は肩を竦めて「おまえらしいよ」とだけ言った。

 横顔に当たる月光が反射して、セシルの頬を涙が伝っていることに気付いた。 俺は何も言わず視線を斜め下に落とす。
 セシルが俯いて洟を啜る気配だけをなぞっていると、不意に口を開いて明るい声を掛けられた。
「ローザの前では泣かないんだ」
「…泣いてやれば、喜ぶと思うが」
「どうしてカインの前では泣けると思う?」
「……さあな」
「きみなら、見ない振りをしてくれるからだよ」
「…………」
 その気持ちはそう、痛いほどよく理解出来る。
 見ない振りとか知らない振りとか分からない振りだとか。 駆け寄って瞳の奥の奥まで見透かそうと見詰めることよりも難しく、欲することはとても多くあるから。
 そうだな、と返そうと紡いだ声は掠れてしまった。

 痛みが消えることは、あるのだろうか。
 傷つくという行為をこんな風に自発的に繰り返している俺やこいつに。









end.




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軍に入りたてのころ?色々捏造してます
どんな言葉をかけるより傍にいて、泣いてるのを見ない振りしてくれるのって有り難い存在だと思うっていう話。
カプ要素薄いっていうか全然無い感じ?たまにはそんなのが書きたくなるんだよねー
久し振りの更新、もとい最近文が全然書けなくなってたのでリハビリでした〜 ああカイン好き過ぎる
もっとどす黒い、底なしに病気のようなやつを予定してたんだけど大きく変わった!文ってイキモノだよな〜って思うのはそんなときさ…!


 09.05.28



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