氾濫、リビドー



 珍しく、彼が朝起きて来るのが遅かった。
 出立の準備をしていた父さんも珍しいなと首を傾げ、その横で母さんが疲れてるのかしらと同じように首を傾げる。 そして僕に彼を起こしてくるように言った。
 以前に僕と共に旅をしていた頃、野営をして朝を迎えても、いつも僕が目を覚ます頃には彼はとっくに起きていて出発の準備を済ませているほどだった。 気配に敏感で眠りが浅いのか、夜中に何か不穏な気配があればすぐに目を覚ます人でもあった。 だからこんなに風に寝坊しているのは珍しい。

 テントの幕を開けると彼はこちらに背を向けて身体を丸めるように眠っている。 カインさん、と一声掛けても返事はなかった。 静かで寝息は聞こえてこないが肩が規則正しく上下していて、起きる気配が全くない。 近付いて、声を掛けても目を覚まさないというのは以前の彼を思うと考えられなかった。
「……」
 疲れてるのかしら、と母さんは言ったけれど。 僕には彼がこうして無防備とも言えるくらいに寝入ることが出来るのには思い当たりがあった。 父さんが戻って来たからだ。
 彼がどれだけ父さんを信頼して、心を許して頼っているか僕は知っている。
 父さんをそんな風に思っている人達は大勢いる。 でも父さんからもそう思われているのはたぶん彼だけだ。
 だからバロンを出て父さんと離れていた間はあんな風に気を張り詰めた夜を過ごしていたけれど、父さんと再会した今、安心して深い眠りに就けているんだと思う。 そう確信している。 そんな確信、辛いだけだけど。
 そのことを考えている間に、彼が寝息を立てて眠っているということだけで胃の奥あたりに黒い靄が掛かってくるのが分かった。
「…カインさん、」
 名前を呼ぶ声の語気が自然と強くなる。 そして一瞬躊躇ったけれど、手を伸ばして彼の肩をゆっくりと揺すった。
「……ん、」
「カインさん、朝ですよ」
 起きてください、と肩を揺らしながら付け加える。
 彼はしばらくして目を擦りながら寝返りを打ってこちらに向き直る。 そしてまだ覚醒していない様子で、ぼんやりと僕を眺めた。
「……」
「……」
「……セシル?」
「……セオドアです」
 一応、予想していた範囲内の言動だった。 だから僕は苦笑しながらもゆっくりと訂正する。
「父さん達はとっくに起きて準備してますよ」
「……ああ、」
 生返事をして、彼はしばらく動かなかったが数秒後にむくりと身体を起こした。 段々と目線がしっかりとしてきて完全に覚醒したのか、やっと僕におはようと小さく笑い掛けた。
「おはようございます」
「俺は…何か言ってたか?」
「いえ、特には。 …僕をセシルって呼びましたけど」
「…そうか、すまない」
「別に謝ることじゃ」
「…いや、悪いと思ったんだ」
 彼は生真面目な顔でそう言うと、後は何事も無かったかのように立ち上がって身支度を整え始めた。
「……」
 彼は大分前から僕を父さんの息子だと知っていた。 だから一緒に旅をしている間にも、僕を見ながら父さんや母さんのことを考えていたことが多くあるんだと思う。
 それは正直に言えば面白くないしどちらかと言えば何より悲しい。 でもそれは詮無いことだとも分かる。
 それより僕を打ちのめすのは、彼の蒼い目が僕を通して父さんを見ているとき、その目にとても暖かい友愛や信頼の念が込められていることだ。
 彼は僕をその目で見たことは一度もないから。 そして彼がその目で僕を見てくれることがこの先あるのか、考えて僕は途方に暮れる。


 今となっては解っている。
 僕が憂鬱な顔で凭れかかったなら彼は受け止めてくれる。
 ため息をついて、それでも突き放せずに。
 それが彼という人間の魂の中心にある温度であって、僕の胸を突き破る残酷さだから。
 こんなにも辛い優しさがあるんだと、僕は彼と出逢って初めて知った。
 要らないなんて言えない。 あの手がくれるものなら何だって欲しい。 でも僕が一番欲するものをあの両手は決してくれないことを僕は知っている。
 知っているというよりも、きっとそうだと決め付けてしまっているだけではあるのだけど。 信じてみないのはただ恐ろしいから。
 僕の言葉を彼がどんな風に受け取ってどんな風にその心に響かせ、そしてどんな表情でどんな言葉を返してくるのか、全く解らない。
 その解りたい、はきっと試したいという意味で。 確かにその欲求はあっても、それでも一歩踏み出そうとすると心が竦み上がってしまう。
 この近い距離に居て確かに安堵のため息を吐けるのは真実。 あまり他人を近くにおかない彼だから、この距離を僕は彼に許されていると言っても良いと思う。 きっと同じようにこの距離で彼に凭れかかることが出来るのは僕以外では父さんと母さんくらいだと思う。 と言うよりも言ってみれば父さんと母さんがこの距離を許されているがために僕も許されているのだと思う、たぶんきっと。
 そう思うとまた胸に痛みがはしる。 それでもこの距離を、彼の腕を一方的にでも掴むことが出来る彼の気の許しを、要らないかと言われればしがみ付いてでも守りたいと思う。 そう僕は欠如しているのではなく溢れて止まらない思いに窒息しそうになっているのだ。 この苦しみの原因は彼で、そして救ってくれる人が居るとすれば彼だけだと思う。 けれど僕がこんな思いをしていることに気付かない彼はきっと救ってくれない。

「…セオドア?」
「あ、はい?」
 渦を巻いていた思考が、彼に顔を覗き込まれて引き戻される。 彼は少し心配そうな顔で大丈夫かと訊いた。
「どこか痛むのか?」
「いえ、ちょっと考え事をしていただけです」
 大丈夫ですと言って笑うと、彼はそうかと言ってこれ以上何も言わなかった。
 僕が痛むと言うときっと心配してくれるだろうし何らかの治療を講じようとしてくれると思う、今の彼なら。 けれど加速して行く僕の痛みを彼は分かれないきっと。
 少し前なら、この痛みを幸福だと思うこともあった思う。 彼と僕と、二人でいたときなら。 彼をカインという人と完全に結び付けずにその周りの環境や宿命や父さんや母さんとの繋がりや過去やこれからのことを考えずにいられた頃なら。

 不意に、歩き出した彼の手を掴んだ。 正確に言うと、無意識の内に掴んでしまっていた。 置いていかれそうな不安と、縋るような思いで。
「…?セオドア?」
「………」
「…どうした?やはりどこか…」
「…いえ…違うんです」
 彼の気遣わしげな蒼の目は、やはり僕の欲しい色を湛えてはいなかった。
 僕は声をあげて泣きたいような気持ちを必死で押さえ込む。
 この胸が痛むと、ほんとうの意味で言えたらどんなに良かっただろう。






end.




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数ヶ月前からあっためてたネタ、「セシルと合流して初めて熟睡できるカイン」(*´∇`*)
カイン編プレイ時辺りから考えてたんだけど、こりゃセシルと合流するまでは書けねーなと思ってあっためてました。結局出すまでに凄い時間かかったけど^^
このネタをセオカイで出すってところがミソなんだよ…
私本当に片思い大好き人間なんですがセオカイって本当に最高なんだよ… いつもセオドアにうじうじさせちゃって申し訳ないと思いつつも最高に萌えるんだこの子の心理考えると(><)


 09.05.01


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