午後の曳航



 かつての私にとって、私から全てを奪い去って私の世界をそれまでと全く違ったものに変えてしまった人間は、一人だった。
 それまでの私の世界の全てのはずだった母の存在や安らぎに満ちた小さな村、それが赤い炎で全て塗り潰され、この両手から崩れ落ちていった。その張本人はセシルで、同時に私のその絶望の手を引いて護ってくれたのもまたセシルで。幼い私には失ったショックとそうさせた人間への精一杯の憎悪の念、そして段々と見えて来るセシルという人間の心の淵の温度や周りの人間の私に与える優しいまなざし、それらに抱いていく懐郷に似た思い。隣に誰も居ない、という意味での淋しさそれ以外の一切の感情を私はこの胸に積み上げてそして私はここに居る。 理由を訊かれても説明など出来る気がしない。全く縁取られていない複雑としか言いようのない感情なんて。

 そして私の記憶では、母のドラゴンを殺し村を焼き払った、バロンからの使いはセシル一人だった。 そのセシルの横にはカインが居て、そして私の命にまで手をかけようとしていたという事実を私は彼本人に聞かされるまで知らなかった。 知らないと言うよりは、忘れて思い出さなかったという方が正しいかもしれないけれど。 あのときの私にとっては、憎むのも縋るのも詰りたい思いを飲み込むのも実際に隣にいたセシルであり、その意味でセシルが全てだった。だからだと思う。

 憎んでいた相手を段々と許すことなら出来るのだろう。 常に隣に居て気を掛けてくれて、身を挺して護ってくれる相手をいつまでも憎み続けることはいっそ難しいことですらあると思う。
 そして逆に、はじめから仲間だとして隣に立って戦い休息し微笑みと言葉を交わしていた相手を、実は私がかつて憎んでいた人と同じような仇だったと聞かされても、知った瞬間に憎むことなど果たして出来るのだろうか。

 カインが私の仇だった、それを知っていた例えばセシルに、そんな事実を今更私に明かす必要なんか無かっただろうから何も言わなかったと思う。 だからカインが今私に事実を打ち明けたことも、私にとってはあまり必要の無いことだった。 詫びる彼に投げつけるような言葉を私には用意出来ない。 けれどそれを贖罪を請うでもなく、ただ打ち明けてすまなかったと言う彼の静かな目。
 あの事件があってから彼とはすぐに別れてしまった。 そして私の記憶から彼の存在は無くなるほどに時間は経ち現に私は彼を憎むことも名前を思い出すこともなかった。 それでもこれまでの時間の中で彼が自責の念にかられることがあったのならそれは私も一緒に受け止めるべきことなんだと思う。 彼が「今更」でも事実を蔑ろにすることなく打ち明けてきたのは彼の誠実さの所以なのだろうと納得出来たから。

「私、カインを責めたりしないわ。大事な仲間だもの」
「…ああ。でも、謝りたかったんだ」
「自分を許したくて?」
「…いや、願ってるのは…許しじゃない」
「それじゃあ…何を?」
「おまえの…傷が、これから少しでも癒えるように」
「………」
 そのために、これから出来ることをしたい。 真顔で付け加える彼は心からの感情を表す言葉を捜しているようで。 やっぱり誠実な蒼い目。 私は苦笑した。
 今更どんな事実を聞かされて、彼を憎んだり詰ることが出来るだろう。

 これからは私の記憶には彼の名前も刻まれて行く。 笑みや言葉を交わし旅するこの輪の温度を、私はかつて育った小さな村とはまた違った意味で懐かしくいとおしく思い出していくのだろう。 だから今知った事実もこれからへの区切りの一つにしようと思う。

「カイン、これからもよろしくね」
 そう言って私は彼に左手を差し出した。 少し驚いたように蒼の目が見開かれ、そしてそれを細めてとてもきれいに笑い、彼はありがとうと言った。





end.




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地底でリディアが合流して、しばらく後。
リディアのカインスルーっぷりは、きっと忘れてるからだぜ!と泣きたいような笑いたいような複雑な気持ちだったプレイ時の心境をまとめてみました。笑


 09.04.01


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