回廊をぬけて



 昔私を包んでいた当然のような一体感、それがいつ何をきっかけに薄れ始めたのかは分からなかった。
 けれどだからこそそれは必然なのかもしれないとも思う。別個で生きる者同士が当然に「一体」で在れることなど、当然ながら無いのだから。
 かつての私はそんなことを意識したことも無かったし、多分片割れだって同じようなものだったと思う。こうした「同じようなものだったと思う」そんな思いだって、少しでも一体感を共有していたはずだという願いでしかないのだけれど。
 いつも当然のように一緒にいたのに、いつの間にかお互いが知らない友人が出来ていたりする。以前は考えたことも無かったのに、弟を好きだと言う女性だっているのだ。それとは関係無いにしても、かつて私が小言を言って弟の頭を後ろから当然のように小突いていた日々、そして隣並んで同じような足音を立てて同じ方向に向かって歩いていた日々は段々と薄れてゆく。
 思えばそれぞれが、それぞれの持つ足でそれぞれの道を歩いているだけなのかもしれないけれど。私は少しだけ疎外感に似た思いを感じていた。その淋しさを少なからず不自由に感じながら。
 そしてその想いが日増しに強くなって胸に穴が開いたような空虚さを一身に感じていたとき。『彼』に出会ったのはそんなときだった。


 『彼』の瞳は私の目に、とても淋しく映った。そしてそんな淋しい瞳をしていたのは、『彼』が全てを否定し孤独だったからか。それとも全てに否定され孤独だったからか。
 『彼』にとってその全てとは、その存在を生み出した半身とも言える彼なのだろうと思う。そしてそう思えるのは、私にも別個として生きる『半身』が在るからに他ならない。



 結局私が試練の山で出会い、話した竜騎士は厳密には彼とは別人だったのだと言う。彼以外の人達は。
 そしてあの別人であった黒い竜の甲冑を纏った竜騎士は、厳密には彼と同じものだったのだと、彼は言った。




「久し振りだな、…ポロム」
 不意に名前を呼ばれて、驚いて顔を上げる。よほど私が目を丸くしていたのか、名を呼んだ当の本人も驚いたように目を見開いた。
「カインさん」
 以前とは見違えるほど、眩い白金の鎧を纏った彼。その変貌は、かつて暗黒騎士から聖騎士になったセシルさんを思わせた。 そしてその次に私は黒い竜の甲冑を思い浮かべる。でも私の脳内で今それを纏っているのは、恐らく十数年前に見ていたカインさんでなく、最近ほんの少しの間行動を共にした『彼』で。
 そんな私の思いをよそに、目の前にしんと立つ彼は形の良い眉を寄せてもう身体は良いのかと問うた。
「はい、皆さんのおかげで…もうすっかり」
 気遣ってくれたことに礼を言うと、彼は小さく微笑んだがすぐに顔を真面目なものに戻す。そして申し訳なさそうにすまなかったと詫びた。
「…今回の件、皆から話を聞いた。特におまえには迷惑を掛けたようだ。…回復したらまず謝ろうと思っていた」
「そんな、とんでもないです…!」
 複雑な顔で頭を下げる彼に慌てて首を横に振った。
 私の所に来る前にはヤンさんと会っていたと言う。恐らく彼のことだから、彼の分身がファブールでしたことに対しお詫びに行ったのだろう、今私に頭を下げたように。イメージ通りの律儀な方だなと思いながら私は心中で苦笑した。
 彼の感情が生み出したという分身は、何年もの長い間試練の山に篭りきりだったはずなのに、それを焚き付けて連れ出したのは私だ。そう言おうか言うまいか迷っていると、ふとあることに気付いた。
「カインさん…私の名前、ご存知でしたの?」
「…?」
 呆然と尋ねた私を、彼は質問の意味が分からないという風に訝しげに見つめた。
「あ、いえ…『彼』に会ったときは、自己紹介が必要だったんです」
 十数年前の戦のとき、私はパロムと共にセシルさんに関わりを持つことになったが、その仲間の方々とはあまり話す機会が無かった。特に自分から他人に話し掛けに行くようなタイプではないだろう彼とは特に。だから試練の山で『彼』に会ったときも、彼が私を知らないのは当然だと思っていた。
「…そうか、たぶん『あれ』のことだ、人間の名前は二人分しか頭に無かったかもな…」
 そう言って彼は苦笑した。あまりにその笑顔が自嘲めいていたので胸が痛む。
 そして彼の言葉に私はあることを思い出した。 『彼』が試練の山で魔物の群れに襲われていた私達を助けてくれたとき、私を「白魔道士」と呼んだ。
 あれはつまり、『彼』にとって私の認識は「白魔道士」でしかなく、それ以上でもそれ以下でもなかったということか。それを考えると少し淋しくなって苦笑する。 淋しいのは私への認識が小さいことに対してでなく、彼もとい『彼』にとっての「白魔道士」という言葉の持つ意味がとても切実だと分かるから。
 その言葉の意味が帰結するのはただ一人の存在。 彼が、そして『彼』が求めたただ一人のひと。その名前を思い浮かべると胸が締め付けられるほど淋しくなる。 そうまで想い続けていたひとを、想うがゆえに『彼』は彼から溢れ出して生まれたのだろうのに。今では受け入れてひとつになったとは言え、彼は何年もの間『彼』を否定し続けてきたのだ。そう考えると堪らないほど淋しくなる。 だって私は知っている。『彼』の、あらゆるものを否定しているかのような淋しい瞳を。

 彼にとって『彼』が一部だったのなら、『彼』にとっては彼は全てだったと思う。持って生まれた感情、文字通りそれから生まれたと言えるだけの感情。それを生み出した彼に否定されることは、半身に拒絶されてしまうことはとても辛いことだと思う。
 半身に拒絶される痛みを私は知らない。まだ知らないで居れている。
 昔は二人でひとつだったはずが時の経つのと共に少しずつそれが別々の輪郭をなぞり、今では前ほど行動を共にもしていない。それでも。

「カインさん、あなたは…『彼』を生み出してしまったということで、自分を責めているんですか?」
「…?」
 本当は訊かなくても分かる。こうして『彼』がしたことを謝って来たくらいだから。もっと言えば『彼』が生まれた時点で名前まで捨ててしまったという彼だから。 今ある結果を見て全てを後悔することは無くても、自分が『彼』を生み出したことで自分を責めない日は無いだろう。
「私は、護っていただいたんです、『彼』に」

 『彼』に護られたのは私だけなのだろう。だからこんなに胸があつくなるのか。
 そして溢れて一人歩いていた『彼』を、自身の一部だと認めることで取り戻した彼は、『彼』が私の命を救ってくれたことを、どう受け取ってくれるだろう。

「だからあなたに護っていただいたことに、なるんでしょうね」
 ありがとうございますと、付け足して笑うと、彼は蒼の目を見開いて私を見詰めた。
 その目が一瞬揺れたかと思うと、目を閉じて何事かを呟いて唇を薄く開いたけれど、それは音を持っておらず聴こえてはこなかった。
 けれどその表情は穏やかに微笑んでいて、やっぱり私は彼を見ていると淋しくなると思った。世の中にはどうにもならない願いや、永遠など無いということや、ずっと続いて行くことは無いのだということを。知れば切なくなる少なからずのことを私は彼を介して思ってきた。そんな想いをたくさん抱えてきただろう彼がそんな風に穏やかに綺麗に笑うのは、とても堪える。

 願いの中に変化は確かにあった。けれど変わられてしまうことがこんなにも淋しいものだということまでは想像していなかった。
 でもその淋しさはきっと誰もが抱えていかなければならないものだと今では思う。この淋しさに縛られることでこんなにも不自由に思えるけれど、この淋しさこそ誰かとひとつにはなれないという自由の証だろうから。
 私には私の名前があり、パロムにはパロムの名前がある。二人で同じ名前を名乗れなくても、二人で一人にはなれなくても。弟が私を含めた意味で「俺達」と言ってくれるだけで、私は途方もなく幸せな気持ちになれるのだから。

「…カインさんとセシルさん、ローザさんはかつて、バロンでずっと三人一緒だったと聞きました」
 不躾かとは思いつつも、唐突に昔の、彼にとっては少し辛いだろう話題を始める。でもそんな私を、彼は特に気にする風でもなく、相槌を打つよう静かに首を傾げた。
 彼とセシルさんとローザさん。幼馴染で親友だったと言う。ずっと一緒にいたのだと。運命が回した歯車の一撫ででその「ずっと」は途絶えた。その結果を現在の状況が何より物語っている。
 彼があんなにも想ったローザさんは彼の親友と結ばれて、そして彼は一人故郷を後にした。
「ずっと続けば良いのにと…願うことは出来ないんですね」
 俯いて言った言葉は思いの外、とても落ち込んだ声音になってしまった。彼らのことを言っているのだけど本当は自分のことを言っているのだから。そして彼はそれを知ってか知らずか、私の言葉に無表情に「そうだな」と頷いた。
「確かに、続いて行くものは少ないかもしれない」
「…そうですよね…」
「だが、…ずっと続いて欲しいと願うものがあるのは…良いことだと思う」
 そう言って彼が微笑った。
「…同じようなことを、パロムにも言ったよ」
「え…?」
「それも…十何年も前にな」
 その言葉は私にとって正に青天の霹靂だった。彼はやはり私が自分のことを言っているのだと気付いていた。心中を読まれていたと思うと急に恥ずかしくなったが、今はパロムが同じようなことで彼と話をしていたということが驚きで、何より嬉しかった。
 あつくなった顔を両手で抑えてどんな顔をすれば良いか悩んでいる私に、彼がふっと目を細めた。
「…続かなくても、繋がって行くものは確かにあると思う。だからたぶん…大丈夫だ」
「―――」
 強かに見える彼の蒼い瞳は、これまで何度の涙で哀しみを洗い流してここまで澄むようになったのだろう。そんなことをぼんやりと考える。
 私は彼の言葉を聞いて、彼の笑顔を見て、とても淋しくなったしとても切なくなったし、そういう意味でとても泣きたくなった。
 なのにそんな想いにひたすら胸を締め付けられながらも私の顔は綻んでいた。泣きたいほどの淋しさと、微笑まずにはいられないほどの幸せは同時に感じられるらしい。彼がずっと淋しそうで、そしてそれでも優しく微笑むことが出来る理由が分かった気がする。
 こんなにも泣きたいのに笑んでいる自分。矛盾と言えるかどうかも分からないような複雑な感情。誰かの幸せを願い、その中に自分も在って欲しいとどうしても願ってしまう。でもそれに確信が持てないからいつまでも淋しい。同じ時間の中を居られることを幸せに思うから。思うのに。
 目の前に立つ彼と、孤独に全てから目を伏せていた『彼』を重ねてみた。彼以外は彼と『彼』は別人だと言っていたから。重ねることが出来るのはたぶん彼と私だけだと思う。そして『彼』に護られて目を見て言葉を交わして、想いを傾けることが出来たのは私だけだと思う。だからか、今とても自分が彼に近い気持ちでいるのだと何となく思えて嬉しくなった。
 不意にパロムに会いたくなった。一緒に居ないのが心細いとか、心配だと言う風に思うのが常で、会いたいと思ったのは初めてな気がする。


 どうかずっと、はもう願わない。
 けれどせめて、どうかお願い、はずっと。





end.




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カイポロ、もとい黒カインを想うポロム…は練り込みたいものがあまりに多過ぎていつになく書くのに時間が掛かった(TwT)
TAによってカイポロが公式のようになってますが、ポロム編で一緒にいたことでポロムに恋が芽生えたとしたらそれは黒カインに対してであってカインにではないんでないの?という疑問が湧いてました。
TA発売前は「絶対試練の山でのエトセトラでカイポロ有る!!」と妄想が止まなかったんだけどネ(*´w`*)
試練の山に篭ってたのが黒カインだと知ったのでこんな感じにしてみました。
本当色々言いたいこと多過ぎて、かつて無いほどまとまりの無いSSになってしまいましたが(いつもとか言わないで!)全体のテーマは「不安っていうか、安心じゃない」「わけが分からない感じにとにかくさみしい」って感じです。こんなときって無いですか。無い?
透明感のある文が書けるようになりたい。

 09.03.24


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