欲しいんじゃなくて



 言いたいことは沢山あったのに何も言えなかった。
 この人は今までずっと一緒に居て僕を護ってくれ、僕の父母の名前も知っていたのにどうしてこの人自身の名前を明かしてくれなかったのだろう。
 捨てたと言っていたその名前を彼が拾い上げて、白い光に包まれて剣は槍に、修練服は白金の甲冑に生まれ変わり、そして母さんやシドは彼にお帰りと言った。
 かつての彼の群青の竜の甲冑姿を僕は知らない。 ゆえに彼を懐かしんでお帰りと言うことなんて僕には当然出来ず、その空間に僕は一瞬で取り残された。


「…ずるいです」
 蒼の目が不思議そうに見上げて来た。
 理不尽であろうとも彼を責める言葉が次々と湧いてきた。実際にそれをぶつけることなんて出来ず、それでも全てを仕舞いこんでおくことも出来ずに結局僕の口からは最も陳腐な言葉が零れた。
 彼の正体ならば成り行きで明かされるのでなく、彼自身で僕に打ち明けて欲しかった。彼が自分を隠していた理由はあくまで彼自身の問題だと言うのなら僕がそれを求めたとしても詮無いことだろうし、僕に彼が名乗る義務も無かったと言えば無かった。
 名を捨てたと言っていたのに輝かしく拾い上げて。 そして僕の真横より五歩ほど前に出た場所で振るわれていた剣は僕には到底敵わないほどの圧倒的な力を見せていたのに、それも彼の本来の武器ではなかった。 竜騎士の最も得意とする槍も、技も。全て僕は見ていなかった。そして今度は。
「白魔法まで使えるようになるなんて」
 先刻の戦いで魔物の攻撃を受け止めた際に右腕に負った傷。篭手のお陰で大した傷では無いが、ひび割れた篭手と腕の隙間から2、3筋の血が流れている。 そして彼は左手をそこに翳して自身にケアルをかけている最中だった。
 以前までならそれは僕の役目だった。
 彼は僕にその役目を求めなかったが、僕は彼が怪我を負ったときには縋り付いてでも回復魔法を唱えさせてもらっていた。言わばそこにしか自分の役割を見つけられなかったから。
 それなのに今の彼はついにその役目ですら不要になったようだ。
 僕の言葉の真意を理解してか、彼は何も言わなかった。 困ったように眉を寄せていて、単に何も言えなかっただけかも知れない。
 まだ覚束ない白い光が彼の傷を癒して行くのを眺めて、無性に惨めな気持ちになった。
「もう、僕は必要ありませんか」
 そんな言葉がぽつりと口から零れ、彼が驚いたように少し目を見開いた。そして自分の口から出た言葉を思い一気に恥ずかしくなった。 まるで彼が今まで僕を必要としていたかのような言葉だ。慌てて否定の言葉を組み立てようとするが更に惨めになりそうでどうしようか迷った。すると彼は無表情に口を開き、俺がそう言ったかと問うた。
 どう返答して良いか分からず、というよりも先刻口を滑らせてしまったことに対しての動揺が残っていた僕は、また芯の無い口調でそうですね、最初からあなたは僕を、と言い掛けて口を噤む。
 最初からあなたは僕を必要としてはいなかった。そうに違いないと思う。けれど彼は共に居る間、僕の前に立ち護ってくれた。そして僕を横に立たせ剣を振るわせてくれた。橋から落ちたとき追って来てくれた。崖から落ちたときも、名前を叫んでくれた。
 彼は先ほどから何も言わない僕を無表情に見つめたまま何も言わなかったが、やがてゆっくりと「セオドア、」僕の名前を呼んだ。
 必要無いなら置いてきたはずだ。呼んだりしないはずだ。それは確信ではなく単なる願い。それでも。
 ゆっくりと歩み寄って、彼が自身の負傷した右手に翳している左手をぐいと引っ張った。白い光はすぐに掻き消える。
 彼は無言で視線を寄越してくるがそれを見ないように、そして俯いて両手を彼の右腕に添えた。僕はゆっくりと呪文を唱え、やがて先ほどよりも大きな光が彼の腕を包み込む。
 彼は何も言わなかった。僕が必要だとも、必要ないとも。そしてその答えは僕にとって問題じゃない。僕に必要なのはこの立ち位置だろうから。そう思うと堪らなくなった。
 僕にもう少し力があったりもう少し早く生まれていたり彼が仲間と呼べる人達と戦っていた時代に出逢えていたりしたのならこんな惨めな気持ちにはならなかったのか。たぶんそういうことではないんだろう。
 僕は彼にお帰りと言いたいわけでも、昔話を懐かしんでしたいわけでもない。それなら僕が欲しいのは。言葉にならないけれど、それでも彼が無言で差し出してくれた腕と、そしてそれを癒すための僕の魔法と。この白い光が彼の傷を少しずつ癒して僕の立ち位置を照らしているような、そんなことを考えている自分。思うと堪らない。そう、今僕に必要なものは。

「カインさん」
 その名前を初めて呼んだ。この名前を僕は遥か前から知っていた。そしてこの人を少し前から知っている。なのにこの人を示しこの名前を呼んだのはこれが初めてだった。そのことに気付いて僕はとてつもなく泣きたくなる。そして名前を呼んだ僕に彼が思いの外とても優しい顔で返事をしたからまた僕は堪らなくなった。







end.




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セオドアは13〜14歳くらいな感じで思ってます。
思春期真っ只中!(*´∀`*)この時期で良いなって思うのは、ローザや特にセシルとこの時期特有のギクシャク感があるのが、良いなって思う。
予想以上にカインさんを好きなセオドアになりました(笑)無自覚で、っていうのがイイんだよ!!(悦)

 09.02.10


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