泣きそうだ



 誰に謝れば許してもらえるのだろう、
 例えば一方的に交わした約束を一方的に破ったなら。


 彼が破顔するところは見たことがない。 常に竜の兜を被っていて顔の半分以上は隠れているから尚更なのだけれど。 今の彼は兜を被っていないけれど、それでも彼は私の周りの人たちの中ではあまり感情を顔に出さない人だった。
 彼が普段被っている兜が覆っていない、見える口元はきちんと表情というものを持っていると思うので私は彼と話すときは大体その口元を見ていた。  そしてふと彼の纏う空気が柔らかくなる瞬間、例えばセシルやローザと取り留めのない話をしているときや、ずっと無言で並んで立っていた私とふと同時に歩き始めたときだとか。 目を合わせて笑いかけると彼は大抵似たような反応をする。 一度首を傾げ、そして俯き加減に目を逸らして小さく笑う。 その仕草が好きだった。 いつも見せる表情が遠慮がちで決まり悪そうにする、その様子になぜか心がざわついた。 けれど同時に安心もした。 彼の横にいると自分の心の矛盾が多く見つかる。 けれどそれをそのままにして目を瞑って深く息を吐けるような、彼はそんな人だった。


 夕暮れを背景に佇む彼の背中が震えているように見えた。
 彼が一人で居るとき、セシルやローザは進んでは声を掛けに行かない。 私が一人で居るときは何をしていても必ず迎えに来るけれど。 それがどういうことかはよくわからなかった。
 そして一人で居るカインを見ているとどうしてかひどく居た堪れないような気持ちになって彼に近付く。 歩み寄る私に気付いているだろうけれど反応はしない。 そしてゆっくりと少し離れた場所で並んで立つ。 落陽はとても綺麗だったのだろうけれどそれよりも彼の横顔がひどく泣きそうに見えたので、私はそれに胸が詰まる思いがした。
「カイン」
 思わず歩みを進めて近付いて名前を呼ぶと、彼はゆっくりとこちらに向き直って、そして目が合うと驚いたような顔をした。
「…何だ」
「ううん、何でもない」
 呼んでみただけ、と言うと彼は何でもない顔じゃないと言った。
「カインが泣いてるように見えた」
「俺が? …おまえの方が泣きそうな顔だぞ」
「カインは、ひとりが好きなの?」
 呆れたようなカインの言葉には反応せず、思わず問い掛けていた。
 すると彼は「――なるほどな、」開きかけていた口を閉じて、少し考えたように眉を寄せ、そして今度は苦笑した。
「…俺が寂しそうに見えたから、そんな顔をしているのか?」
「…分からない。 違う、と思うけど……そうなのかな、わからない」
 どうして一人で居る彼が泣きそうに見えたのか。 どうしてそんな彼を見て落ち着かなくなったのか。 分からなかった。 彼が一人で居るのを見るといつも私が感じていた寂寥感。 分からなかったけれど今にも分かるような気がして、もどかしかった。

「寂しいわけじゃない。 だから同情は必要ない」
 きっぱりと言った。 怒っている風でもなく、ただ真顔できっぱりと。
 『同情』と言う言葉が彼の口から出てきたことで私は戸惑った。 同情、しているのだろうか。 彼に。 彼が寂しそうに見えて? 可哀相だと? 顔が熱くなるのが分かった。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃないの」
 慌ててそう言うと、何で謝るんだと彼が苦笑した。 どうして謝ったのかは分からない。 ただ彼に、私が彼を同情しているのだと思われて恥ずかしくなった。
 伝えたいことはたくさんあるはずなのに何も出てこない。 口を開けては閉じてを繰り返している私に、彼は静かに言った。
「…おまえは、一人では居られないのか?」
「え…」
 一人では居られないのか。
 彼の言葉が胸の底にずんと浸透して来た。 分からない。 だって私は一人で居たことがないから。 幼い頃、母や村人たちに囲まれていて、その次はセシルと。 ローザやギルバートやヤンと。 幻獣たちと。 私は一人で居たことがない。
 幻界から戻ってきた今も、私が一人でいるといつの間にかセシルやローザがいる。 話の内容はあって無いようなものでも、私は沈黙でいたりすることはあまりない。 そう、カインの側以外では私はいつも声に囲まれている。
 一人では居られないというか、居たことがない。 そんなことをしどろもどろに話す私に、カインは「そうか」とぼんやりと頷いた。
「だからあいつらは、おまえを放っておかないんだろうな」
「―――」
 あいつら、は彼の幼馴染を。 セシルやローザのことを言ってるんだろう。 彼は気付いていたのか。 セシルやローザが私を一人にしないことを。 それならば当然気付いているんだろう、私が私を囲んでくれる人たちに対して表情や言葉を絶やさないことも。
 義務感とかそういうものではないのだけど、誰かが側にいれば自然と顔は笑みをつくり、喉からはくるくると言葉が零れた。 私がぼんやりと無表情で居れたり、声も無く息を吸って吐くの繰り返しだけをしていられるのは、考えてみればカインの側だけだった。
 俯いたまま何も言わずにいる私にカインは困ったように頬を掻く。
「声を掛けるなと言うわけじゃないが…」
 フォローするようにそう前置きして、そしてやはりきっぱりと言った。
「でも腫れ物を触るような扱いなら、要らない」

 代弁されたような気持ちになって、胸をすかれた思いがした。 そして私は自分自身に傷付いた。 彼がセシルやローザが私にするように常に側に立って声を掛けることをしないのは、恐らく彼の無意識での思い遣りで。 自分がそうして欲しいことを彼は私にしてくれ、あるいはしないでくれたんだろう。
 だから私は彼の横で安堵することが出来たのか。
 そして私が彼を思い、居た堪れずに声を掛けたくなった気持ちは、普段セシルたちが私に向けている思いと同じようなものなんだろう。
 それなら確かに、要らないものだった。
 そう気付いて、びっくりするほど傷ついた。 私自身に。



 彼は私を自由にしてくれるのに。
 私は彼に声を掛けてしまった。 一人で居るということはそれだけで耐えられないものだからとでも言うように彼の顔を覗いてしまった。
 とても大切な空間を壊してしまったような気がして私はまたごめんなさいと、意味も無いくせに零した。 ごめんなさいはありがとうの代わりにはならないのに。 けれど何か受け取ってくれたのか、俯いて目を閉じている彼の横顔は穏やかに笑んでいた。 だから私はまたよせば良いのにごめんなさいと言った。








end.




-------------------------------------------------------------------

三人称にするかカインの一人称にするか、悩みに悩んでリディア一人称に。
超難しかった!!(*´∀`*) でも初のカイリディ。想いが溢れすぎてなかなか言葉にならなかった。
状況というか場面?を全く書かないで心情だけ書くのにチャレンジ。空間や場所の説明をしないって難しいなーついつい書き綴っちゃうから。でも面白い。
セシルやローザがカインを放っておくのは「扱いを知ってる」みたいな感じで。リディアを放っとけないのは「これはもう仕方無い」みたいな感じで(笑) でもカインが二度目裏切って戻ってきたときにはまた違う感じになると思います。ていうかならなきゃ変な気がする。

 09.01.29


*close*