息もできないくらい、ただ一つのものを想っていられるということは考えてみれば、楽な話だ。




同じ瞳




 騎士養成クラスのセシル・ハーヴィの、剣術の成長振りがめざましい。 そんな類の噂が、最近風に乗ってよく流れてくるようになっていた。
 先週は手合わせ稽古で僅か30分で20人を叩き伏せたとか。 魔物の出る平野での実戦訓練で、真剣を手に教官すら目を瞠るような剣技で多くの魔物を斬り捨てたというのは三日前だったか。
 そんな話が別のクラスに居るカインの耳にまで届くのだから、よほどの力を発揮しているのだろう。 だがそれが「評判」でなく陰で囁かれるような「噂」に過ぎないということにはじめは疑問を感じていたが、その理由がカインにも段々と分かるように、というよりも感じるようになっていた。
 先刻の教室移動の際、偶然騎士クラスの合同稽古をしているのが見えた。 その中の一人の鬼気迫るような戦い振りに、周囲から奇異の視線が送られているのがすぐに分かった。 確認するまでもなく、セシルだ。
「………」
 無心に、それこそ無表情でただひたすら無駄の無い動きで相手を追い詰める姿。 レプリカの剣はあくまで合理的に振るわれ、最小限の動きで相手を次々と叩き、膝を着かせて行く。 その表情はどこまでも感情が無く、彼の心持ちは伺い知れない。 だがだからこそ、そんな風に冷徹に剣を振るう姿が異様な空気を纏っているように見えた。 遠目に見てこうなのだ、実際対峙している相手は恐怖すら覚えたのではないだろうか。
 その出生や環境が特異であることもあり、ただでさえセシルには好感だけではない多くの視線が寄せられていたのに。 それからは一層、『不可解』『奇異』そんな浮いたような存在に祭り上げられてしまったようだ。 三日前の魔物討伐の実地訓練の働きですら、「嬉々としていたような気がする」そう言っていたのは誰だったか。
 セシルの電光石火の如く疾る一閃で相手の剣が地に落とされ、がしゃんと音が響く。 その音を最後にカインは踵を返し、次の授業の教室へと向かった。 明るくは決してないざわめきを背中で聞きながら。



 翌週に黒魔法理論の試験を控えているということもあり、カインは自習すべく図書室にいた。 特に苦手な分野ではないが、専攻している分野では無いものこそそつがあっては情けないと思っている。
 まだそう遅くない時間だけあって図書室には何人か学生はいたが、外は暗く天気が悪いためか、試験前にしてはまばらだった。
 その方が座る場所を確保する手間が省けるので好都合だ、そんなことを考えながら目当ての分野の棚から適当に二冊の本を抜き取り、奥の席へと向かった。
「…、セシル」
 本棚からは死角となって分からなかったが、奥の長机の端にセシルが座っていた。 同じように試験勉強だろう、前に五、六冊の本が積み上げられている。
 名を呼ぶ声にセシルが顔を上げ、カインの姿を認めると「やぁ、カイン」やんわりと微笑んだ。
「試験勉強?」
「ああ」
 そう言いながら静かに斜め向かいの椅子を引く。 否が応にも先刻の稽古で戦うセシルの姿が思い出された。 だがカインは努めて自然に返事をし、腰を下ろした。
 元々からそこまで多くの会話をしない(というよりは必要としない)間柄だと思う。 ましてやここにいる理由が試験勉強のためということもあり、それ以来は別段特に会話を交わすこともなく、お互いに本を読んでいるだけで時間が過ぎた。
「………」
 カインが頬杖をつきながら視線だけを動かして文字を追う。 やがてふと向かいに目をやるが、セシルがかなり本を読むことに集中し切っているのが見てとれた。
 真剣さは伺えるが、それよりも静かで低温という印象の強い表情。 だが「普段」ならば全くといっていいほどに見せることのない瞳。
(…あぁ、そういえば)
 ぼんやりと先刻の剣を振るうセシルの姿を思い浮かべた。
(戦っている時も、同じ目をしているな)
 そんなことを思った。

 戦っているときのセシル。
 端正な顔立ちはそれ以上に静かで無表情に近い。 だがその瞳は違う。 その瞳の奥は炎が燃えているのか、それとも氷が絶対零度で凍り付いているのかは分からないけれど。
 しかし共通して言えることは、ひたすらに「無心」であることか。 まるで没頭することで何かを振り払っているかのように。

 そんな取り留めもないことを考えてすっかり勉強への集中力が削がれてしまっていたとき。
 椅子に座って姿勢を崩さずに本の字を追っていたセシルが、「…ねぇ」ふと思い立ったように問い掛けてきた。
「動物と人間の違いってなんだと思う?」
「…?さぁ、な」
 全然違うとは思う。 だが考えようによっては何も違いやしないのかもしれない。
 答えながら、どうしてそのようなことを訊いて来るのか、と、訝しげに視線をセシルの持つ本に移す。
 緑の装丁に、銀の飾り文字で「機械の開発と人間の進歩」と書かれている。
「……………」
 何の関係があるんだ。 というかこいつは試験勉強のためにここで本を読んでいるんじゃないのか。
 カインが何とも言えない呆れた視線を送る。 送った後、訊いてみることにした。 どこまで真剣に考えているのかは伺い知れないけれど。
「おまえ、何で真剣に本読んでるんだ?」
「……?」
 頬杖をついたまま呟くように言うカインの問いに、セシルは思い切り眉を寄せた。
「どうゆう意味かな」
「本が好きというわけではなさそうだし。 試験勉強してるわけでもないだろう」
 純粋に疑問に思うことを呟くように返すカインに、セシルはくすりと笑んだ。 そして数秒置いて考える風な素振りをした後、「時々ね、」形の良い唇を開く。

「どうしようもないくらい」
「?」
「すべてを忘れたくなるんだ」
 何かに熱中してれば考えなくてすむだろ? そう言って笑った。
 その声が、笑顔が。 どこまでも自嘲染みていて、カインは盛大に吐きたい嘆息を飲み込んだ。
 何かに熱中すれば。 なるほど、と思いながら先刻の剣を振るうセシルを思い出していた。







「分かった気がする」
「………?」
 ぼんやりとした意識が、透明な声でゆっくりと現実に戻される。
 微かに笑いを溢しながら呟いたセシルに、カインが訝しげな視線を向けた。
「動物と人間の違い」
「…あぁ」
 前言ってたことか。 覚えていた、もとい真剣に疑問に思っていたのか。 あれが何日前のことだったか思い出せないけれど。 薄暗い部屋、少し遠く感じる天井。 視界に白く広がるシーツの皺を横目でなぞる。 カインは目を閉じて肩を竦めた。
「人間だけだ。 生殖以外の目的でセックスするのは」
 セシルの笑いを含んだ声に、カインが蒼の目を見開く。 だるさがべたりと残る身体でゆっくりと寝返りを打ち、じっとこちらを見ているセシルの方を向く。
「……なら、どんな目的なんだ?」
 カインの目を真っ直ぐに見つめながら、セシルが口元を微かに歪めて言った。
「愛かな」
「は。ばかな答えだ」
 そう。 セシルの答えはあまりにバカらしく思えた。 欠片も共感が持てない、そんな思いを彼に感じるとは思ってもみなかった。 カインは思い切り自嘲と、彼への憤りの色を込めて笑った。 笑った後身体に鈍い痛みが走ったのですぐに笑いは止まったが。

 愛?
 ばかだろう。
 こんな見えすいた嘘はかえって笑えてくる。 笑うしかない。



「おまえ、同じ目をしていたよ」

 本を読んでいたときの目。
 武器を手に相手と向き合い、追い詰めるときの目。

 激しい欲望だけに一心に身を任せているときの目。

 同じ。
 何かに激しく熱中することで意識を空にして。
 ひとときだけでも すべてを忘れていられる。
 憎むことも
 臆することも
 涙することも
 自らを振り返ることも、
 自分の中から消し去ることが出来る。
 そんなことは勿論、一時のものに過ぎないのに。
 一瞬の逃避が終わった後にどんな想いをすることになるのか、 分からないわけではないはずなのに。 実際そんな思いを何度もしているはずなのに。
 それでも、一時のものにも関わらず、忘れてたいのはどんなことだ?

 おまえは、
「おまえが忘れたいこととは何なんだ?」

 俺には一時の愛だなんて幻も嘘も必要ない。
 そんなものを与えようとすることで俺から何を得ようとしているんだ。
 俺が必要としていないものを、必死で与えようとして 得られない何かを得ようとしているなんて。 そのために色々なものを手放して忘れようとしているなんて。
 そんなのあまりにも。

(可哀相じゃないか)

「おまえは一体何を否定しているんだ?」

 嘲りと憐憫の両方を秘めたような、カインの静かな声に。 セシルがその瞳を大きく開いた。
 そして一瞬だけその瞳に光のようなものを映すと、またその目を閉ざす。


 どうしようもないくらい。
 すべてを忘れたくなる。
 何もかもが欲しくて、でも、何もかもを捨てたい。

 そんな矛盾した衝動に息もつけない。


「すべてを忘れさせて欲しいんだよ、」

 ―――誰にでもない、君に。 そう付け足す。 付け足しておく。
 セシルは目の前の身体を掻き抱いた。 不快な視線を投げ掛ける蒼の両目を見ないようにして。





end.




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混沌。たぶん「愛」は言い訳。
カインは受け止めることも受け流すことも出来ずに苦悩。
その後ローザが入学してきて更に苦悩。カインだけ苦悩。みたいな(笑)

 09.01.15



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