11.Criminal Sleep




 私が聖堂の中心で彼と出逢ってからどれくらいの時間が経ったのか。 恐らく30時間くらいは経ったと思う。だが彼も私も全く眠らなかった為に、意識があり時間の流れをずっと感じていた分、それよりももっと長い時間を過ごしたような気がする。
 悪魔に何もかも奪われ、そして当ての無い旅に出た私は、それからほとんど眠らなくても動けるようになった。 その原因は分からないけれど、そうして生きていられるのには恐らく私が結崎家の聖なる力を持っていることが起因しているのだと思う。

 故郷を出た私は、雨の降りしきる大地を昼も夜もほとんど不眠不休で歩き続けて来た。 その目的は悪魔を滅ぼすことにあったのだから、クロスの立っている街を見掛けては立ち寄り、目にした悪魔を手当たり次第斬り捨てて来た。 悪魔のある場所には当然、悪魔に取り憑かれた人間も居て。 そして正気を失っている彼らは当然、仲間でない私に襲い掛かって来た。 私はそんな彼らに剣を向けることを最初は憚れたものだけど、それもすぐに慣れてしまった。 血を恐れるにはあまりにも今更過ぎる。
 体力が溢れているかと言うと勿論そうではない。悪魔やそれに取り憑かれた人間達と戦った後は、その間の緊張感の反動のように疲労感や倦怠感に襲われることがあるけれど、目を閉じようとすれば一瞬で瞼の裏以上に黒い闇に飲み込まれる夢を見てしまう。一つ所に立ち止まって休もうとすれば、増えて集まった悪魔達に囲まれて身体を引き裂かれる妄想に捕われる。眠らない理由は、要は恐怖だった。休まなければ体力が回復せず、次の戦いで命を落とす可能性がある、それは分かっているのだけど。何十時間も動き続けて、身体の疲れが闇を恐れる精神を悠に凌駕してその場に倒れ込むまでは眠れなかった。
 彼が眠らない理由は分からない。けれど何となく、私と同じような理由なのだろうと思う。 彼は私に少し眠って休めば、と言ったが首を振って拒絶する。すると彼はそれ以上は何も言わなかった。私は同じように彼に眠って休めばとは言わなかった。たぶん私がそう言うことで彼が休むとはとても思えなかったから。

 既に表の扉は悪魔に破られているのか、立て続けに3匹の悪魔が聖堂へ入り込んで来た。血の斑模様の着いた黒い球体が壁や床に跳ね返りながら猛スピードで向かって来る。3匹は縺れ合うようにそこらの椅子を蹴散らしながら近付いてきたが、私たちの目の前で停止する。そして私が剣を、彼が銃を構えると同時に一気に三方へ拡散した。
 真っ直ぐに私に向かってきた黒い球体は想像以上の速さで、私はそれを反射神経によって右へ跳んで辛うじてかわした。すぐに床でバウンドした球体が向かってくる。それを剣で弾くと同時に左側の少し離れた場所で銃声が聞こえた。そして数秒後、悪魔の消えるときのバシュッという乾いた音が聞こえ彼が悪魔を1匹仕留めたのだと分かる。剣で弾いた球体はそのまま跳ね返って向かってくると思っていたが、予想外にその場で回転を始めた。私は既に剣を振り下ろし始めていたので、悪魔の行動に次の判断に一瞬だけ迷う。私が悪魔が飛び掛ってくると想定していたリズムより1テンポ遅れて黒の球体が懐に飛び込んできた。既に私の剣は床まで振り下ろされていて、向かってくる悪魔を払うには一瞬ほど足りない。胸中で舌打ちしながら、矢庭に剣の柄を握った拳で悪魔を殴り付けた。横からの衝撃に悪魔は勢い良く吹っ飛び、床を跳ね返って再び戻って来たがそのときには私の剣の刃は頭上にあり、悪魔の動きを正確に捉え一閃する。私の剣が球体を両断しようかという瞬間に黒い光がバシュッという音とと共に粉のように舞い、消えた。 そして次の瞬間、「ッ!」ドンという爆音が耳元で聞こえ、頭の左後ろで残り1匹の悪魔が塵となった。
「…ありがとうございます」
「ごめんね、うるさかったでしょ」
 彼が苦笑しながら、硝煙の細く上がる銃を降ろした。 実際思わぬタイミングで、それも耳元で弾けた弾丸はかなり肝を冷やした。だが彼の援護が無ければ先ほどの悪魔を倒した瞬間に私もやられていた。眠気で思考も身体の動きも鈍くなっている。彼がいなければ死んでいただろうという事実に腹が立ったが、その感情もあまり強いものではない。相当に、要は眠くなっているのだ。
「寝たら?あんまり動き良くないよ」
 責める風でもなく、ただ事実を告げる声で彼が述べた。
「…本当、このままでは足手まといになってしまいますね」
「そういう意味じゃないけど」
 折角二人いるんだから休めば良いじゃない、と彼は笑んだ。 折角二人いるんだから休ませて貰うねなどとは言わないだろう。
 彼を前に眠らない私は彼を信用していないのか。私を前に眠らない彼は私を信用していないのか。していないんだろう。
「あなたは私の前では眠らないでしょう」
「……キミは、何が心配なの?」
 神妙な顔で問われ、自分でも考えてみる。私は何を不安に思っている?この場で彼と同じ空間で眠りに落ちることで何を懼れている? 私が眠っている間に悪魔が襲ってきて彼が一人で太刀打ち出来なかったらということか?それは恐らく無い。何度も彼の戦う様を見ていたわけではないけれど、彼の覚悟の嵩は未だ知らないけれど。戦えば恐らく私は彼に勝てないだろうし、私がここに至るまでに一人でこの聖堂を護り続けていた事実もある、彼は強いだろう。 では何が不安なのか。彼に寝首を斯かれてしまうことか?それはどうだろう。私が眠っている間に彼が私を殺すことで果たして利が彼にあるのか。それに彼は言っていたではないか、私を導くと。その言葉の真偽は分からないが、少なくともそう言ったのだから彼が私に悪意を持っているとは思わない。
「…」
 そこまで思考が行き着いてふと疑問に思う。なぜ彼が私に悪意を持っていないなどと私は思うのか。彼は私を護り、導くと言った。その言葉を私は信じずとも疑っていない。少なくとも悪意の裏返しなどと言う風に考えなかった。彼がもし私に悪意を持っていたとしたならば、油断をさせておいて殺すことなど容易いのだろう。現に私はこんなにも懐柔されている。会って間も無い彼に。
「黙り込んじゃった」
 あーあとからかい半分に彼が言う。
「頭の中だけで会話しないでよ、退屈するだろ。何を考えてるの?」
 などと屈託の無い笑顔で言うから私も釣られて答えてしまう、
「私は、この場で何が不安なのだろう、と」
 安堵出来る空間であるはずが無い。そもそも安堵など出来る場所など果たしてこの世界に残されているのか。それでも不安は何かをきっかけに湧いて来る。それならば不安を感じていないときもあるのだろう。 そしてずっと、もう長い間肩を怒らせ続けていた私の心が穏やかに息をしているのは、この場所で彼と出逢ってからだ。
「僕は知ってるよ、キミが何を心配してるのか」
「……」
「不安なのは…キミの眠っている間に悪魔に襲われることじゃない。眠っている間に僕がキミをどうにかするんじゃってことでもない」
 試すように、だがどこか楽しそうに私の目を覗き込みながら彼が言う。 彼の透き通る碧の目に私の思考は見透かされていたようでなんとも居た堪れない気分になって目を逸らした。 すると彼はさも楽しそうにふふっと笑って、ぽんと私の頭に手を置いて言った。
「キミが眠っている間に、僕がキミを置いて何処かへ行ってしまわないかが心配なんだろ」
「―――」
 予想していなかった言葉に顔を上げると、彼は相変わらず柔らかく笑んでいた。 私には分からなかった。彼の笑顔の意味。彼の言葉。それは私にとって全くの予想外だったはずなのに、怒ることも笑い飛ばすことも出来ず、あるのはただただとても惨めな気持ち。 首を縦に振るべきなのか横に振るべきなのか、彼が私にどんな反応を望んでいるのか。私には何も分からない。例えばこの気持ちこの感情の名前も。





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