6.Jaded You




 僕は彼女を知っていた。
 こんな場所に一人で居ることがいかに相応しくない人間であるか、ということも知っていた。
「どうしてこんな所に?」
「私の質問は無視ですか?」
 ついて出た言葉を彼女が笑って押し戻した。
「……護っているんだよ。ここを」
「街は壊滅じゃないですか」
「ここ…というより コレを、だね」
 屋根を突き破らんばかりにそびえる十字架を顎でしゃくって示す。自然に口元が笑みを浮かべていた。 人間を見るのは久し振りだった。 会話に飢えている自覚は無かったが、どうやらそうなのだろう。
 手に持っていた銃を傍のサイドテーブルに降ろすと、僕は改めて彼女を眺めた。
 身に纏うチュニックは雨と泥で、辛うじてそれが淡いブルーの生地ということが分かるほど汚れている。長く垂らされた髪や白い頬にも所々泥が撥ね、異様に美しく見えるのがその左手に握る剣だった。黒いタイツが破れ血が流れていた。足を引き摺る音が響いていたがこの所為なのだろう。 そして服の右袖がだらんと滑稽に垂れていることから、彼女に右腕が無いことを知り驚愕した。驚くべき変貌振り。しかし最も訝しく思うのはその胸に十字架を下げていないことだ。
 目の前の彼女は、あまりにも僕の記憶の中の彼女と違い過ぎていた。頭から足先までずぶ濡れで泥に塗れ血を流し、残る片腕には剣を握り。彼女は何をしているのか。
 僕の不躾な視線を気にする風でもなく、彼女は静かに肩を竦めた。
「クロスさえ在れば総てがそこに、ですか?聖職者ですねやっぱり」
 鈴が鳴るように涼しげで、しかし凛とした声。話し方からしても、やはり彼女が僕の知っている『彼女』であることを確信する。しかしその言葉の内容は理解に難いものであった。
「その言い方だと まるで…総てを統べるのが十字架ではない・みたいに聞こえるよ」
「本気で言ってるんですか?」
 彼女は心底可笑しそうに言った。僕は彼女の言葉を沈黙で肯定した。すると彼女の僕を見る視線に少しだけ冷静さが増した。
「…まぁどうでも良いです。私は悪魔の残党狩りに来ただけですから」
「へぇ、勇ましいんだね」
「――侮辱ですか?」
「滅相も無い。未だに悪魔に戦いを挑んでいる人間がいるなんて思わなかったから。それも女の子がたった一人で」
 興味深いね、と付け足して微笑む僕を、彼女は訝る目で見つめた。
「十字架も持たない人間がどうして悪魔を消そうとしてるんだい?」
「信じるべくは神でなく、悪魔を消すことの出来るこの剣だけだと気付いたからです」
 そう言って彼女は手に提げていた剣を腰のベルトに差した。片手でも剣を抜けるように細工してあるのか、鞘がベルトに固定される音がパチンと響く。
「悪魔を最も忌んでいる聖職者には力が無く、力ある人間は信心が無いために神の庇護を得られずに悪魔に魅入られる…この世界はとっくに終わってしまったね」
 こんな風に自分が生き残りであることを確認できるのも、同じような生き残りに出逢えたからだ。僕はやはり彼女と話がしたかった。だが長くはそう出来ないことが彼女の瞳を見て分かる。彼女の目は静かでない。僕の目には恐らく今横たわって沈黙している世界しか映っていないのだろうが、彼女の瞳にはあらゆる激動が映っているから。憎しみ、哀しみ、憤り。神の嫌うあらゆる感情が彼女を蝕んでいる。
「あなたは、力ある聖職者のようですね」
「まぁね」
「聖職者がその手にクロスと拳銃を同時に持てるなんて知りませんでしたよ」
「神を、十字架を護るための武装なら大目に見て貰えるんじゃないかなってね」
「………」
「怪我してるんでしょ。座りなよ、手当てしよう」
「………」
 彼女は数秒考え込んだが、すぐに嘆息すると近くまで歩み寄ってきた。天窓のステンドグラスから光が差し込む場所に立ったので、彼女の姿を改めてはっきりと見れた。僕の知っている彼女と同じ。あらゆる物が変わってしまったが、同じ空気。それは間違いなく神々しさだった。それが解るのは、僕が殉教者だからだろう。十字架を捨てた彼女がそれでも纏うこの絶対的な光。それに出逢えたことで僕は色々な物事が今まで以上にどうでも良くなりそうだった。この数分の間に。





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