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 まだ滑らかで居られている







  + 棘(とげ) +








「ひゃー、今日も寒いですねぇ」
 ドアを開けてすぐ、ひよのが弾む足取りで外に飛び出した。
 霜の下りた地面に靴跡を付けながら、くるりと回って嬉しそうに笑う。
「寒いのがそんなに好きなの?」
 少し遅れて外に出てきたカノンが、マフラーを首に巻きながら嘆息した。
 その吐息が白くなって立ち上る。
 空は水色、晴れてはいるが、空気はじゅうぶんに冷たかった。
「いえ、別に寒いのが好きってわけじゃないですけど、ね」
 ふふっと笑うと、ドアに鍵を掛けたカノンの傍に駆け寄って、手をずいと突き出す。
「?」
「…ちょっと、」
 なに?と目で訴えるカノンに、ひよのがぷうと頬を膨らませた。
「ほらほら!手繋ぎましょう、手!」
「え、どうし…」
「こんな寒い日には、手を繋いで一緒に歩くのがセオリーでしょうが!」
「……」
 別に手を繋ぐ、という行為が嫌なわけでは決して無い。
 ただ、そんなことを彼女が言い出したのが意外だっただけ。
 未だボンヤリとひよのの顔と突き出された手を見比べるカノンに、ひよのが焦れたようにその手をとった。
「セオリー、ね…」
 笑いながら氷のように冷たいその手をぎゅっと握り締めると、ひよのは何か言いたそうな顔をして。
「……」
「ん?なに?」
「何でもないですよー」
 そう言うと、自ら繋いだその手をカノンのコートのポケットに押し込んだ。


「…こういうことしてるとね、」
 こういうこと・は手を繋ぐことを言うんだろう。
 歩きながら、ひよのの方を向いてカノンが困ったように笑った。
「?」
「心が…チクチクするんだよね」
「はぁ…?」
「…キミは…そうならない?」
「言ってる意味が分からないんですけど…」
「そっか」
 首を傾げるひよのを見ると、カノンは穏やかに笑って、再び視線を前に移した。




 彼女の心に、自分とは別の人間が居ることは知っている。
 それも、心の奥の奥、彼女すら気付いているかどうかは分からないくらいの深遠に。
 だからその存在は何よりも強く濃く、自分では到底太刀打ち出来るものではないことも知っていた。







『…ひよのさん、どうしたの?』
『鳴海さんが……私のことは好きじゃないって』
『…………』
『たぶん、これから先も…好きになることはないだろうって…』
『…彼はキミのこと、好きだと思うよ?』
『でもそれは、私が欲しい好きではないんです』
『……そうだろうね』







 あれはいつのことだっただろう。
 想いが重なった・とは言い難い空間で手を繋いだ自分達。
 お互いの心の隙間を埋めるように、と言えば聞こえは良いだろうけれど
 彼女の心の傷に付け入っただけ。







『その話聞いて、僕が喜んでるって言ったら…どうする?』
『……え?』
『僕が、言ってる意味……わかる?』







 カノンの差し出した手を、ひよのが戸惑いながら取ったのは
 そんな会話を交わしてから一ヶ月後のこと。
 その間、彼女の中でどんな葛藤が起こったのかは知らない。




「カノンさん…もしかして、疑ってるんですか?」
「ん、何を?」
「私が…カノンさんのことを好きで一緒にいることに…」
「まさか」
「…」
 笑顔で返すも、ひよのは笑っていなくて。
 瞳の奥を探るような真剣な眼差しに、カノンも少し考えて言った。
「僕はキミと一緒に居るだけで幸せだもの」
「……」
「この気持ち、ひよのさんなら分かるでしょ?」
「……それは…」

 それはつまり、
 相手の心が自分を向いていないことを前提としている話。
 あぁ、その気持ちならよく分かる。
 相手が自分を見ていなくても、共に居れるだけで幸せだと、
 一つの虚ろな穴を残し、それ以外は全て満ち足りていく幸福な気持ち。


「私、カノンさんのこと好きですよ」

「……そう、」
「何を心配してらっしゃるんですか?」
「何も心配してないよ」
「私が、カノンさんの傍から離れることですか?」
「………」

 自分は、一体どんな顔をしているのだろう。
 見上げるひよのが、酷く傷ついたような瞳をしている。
 寂しいから 一人にしないで、
 そんなこと
 言えるわけがないことを知りながら
 彼女はそんな問いを投げかけてくるのだろうか。
 自分は、一体どんな顔をしているのだろう。


「大丈夫ですよ」
 ポケットの中の左手を、一層ぎゅっと強く握られる。
「私はカノンさんを一人にさせません」
「……僕はひよのさんが好きだよ」
「私も、カノンさんが好きです」

 ひよのがずっと自分の方を向いているのは感じるけれど。
 自分から彼女の顔を正視することは出来ずにいた。
 その瞳の奥に燻っている、『彼』の影を見ることが怖いから。
 出来ることは、ただ
 彼女の震える右手をぎゅっと握りしめることだけ。





「大丈夫」
「一人にさせません」
「あなたが好きです」




 僕はその言葉を信じてはいない


 けれどもう少し その言葉に騙されていたい











 終







最近両想いでラブラブな感じのばかりだったので
ちょっと趣向を変え。いや原点回帰?