大切に想うものが
大切にすべきものなら良いのだけど
+ Cry for the moon. +
隣の人間が動く影が視界の端に映った。
「――」咄嗟に耳を塞ぐ。
刹那の後、数発の銃声が狭い室内に鳴り響いた。
ダン、ダン、ダンと機械的な調子で起こる騒音と、続いてその数と同じだけ耳に届く呻き声。 そして数秒後に、同じ数だけの人間が倒れる音。
全てが事務的に起こり、それを冷静に感知する自分は居るのだけど。
どうしても、立ち昇る硝煙に曇る視界、その匂いは好きにはなれなかった。
「容赦なし、ですね」
皮肉を込めるつもりが、なんだか感嘆したような声になってしまった。
しかし相手は肩を竦めただけ。
「僕が撃たなきゃ、キミが行っただろ?」
「殺しに?」
「ああ」
黒服に身を包んだ牧師は、にこやかに笑う。
その穏やかな笑顔、上品にレースがあしらわれた牧師服、胸に揺れる大きな十字架、そのどれもが彼を聖職者だと云っているのに。
彼の両手に一丁ずつぶら下がっている銃が、それをなんとも滑稽なものにしていた。
「神は人を愛するのでは、ないんですか?」
「自分を愛さない人間を、誰が愛するものか」
冗談混じりで問い掛けると、しれっとした答えが返ってくる。
自分を愛さない人間を、誰が愛するものか。
彼の言葉を、口の中で転がしてみる。
とてもしっくりくる言葉。
そんな言葉を吐ける彼は、やはり牧師という職業に身を置く者なのだろうか。
言葉自体は、矛盾しているけれど。
「どうして誰も皆、悪魔に魅入られてしまうんだろう」
ポツリと呟かれた言葉に見やれば、彼は遠い頭上に青白く光る月を見ていた。
月明かりに照らされて、彼の横顔が一層白く見える。
「神が愛してくれないからじゃないですか」
「なるほど、自分を愛さない者を、誰が愛するものか…ってことか」
「悪魔なら愛してくれる・ってわけではないでしょうけどね」
「中には、いるんじゃない。 愛されなくとも、ただひたすらに信じてしまう人間が」
肩を竦めて笑った彼が、一瞬顔を引き攣らせた。
右手に持った銃を机に置くと、その手で脇腹を抑える。
「油断してましたね」
「ああ、…でもただのかすり傷だよ」
「そうでなくては困ります」
胸に大きな十字架をぶら下げた彼が、悪魔に魅入られた者に撃たれたのが つい数分前のこと。
私達が今居るこの場所は、『神に愛された土地』。その地に巣食わんとする者にとって、彼のような聖職者は恰好の的だった。
祈りの十字架を、聖なる誓いを携えた者を、滅ぼすことこそが彼らの慰みになるのだから。
私の右腕のように。
神に祈る手なら、いずれ潰えてしまう。
それなのに。
「あなたが信じている間、神はあなたを愛してくれるんですね」
「そういう風に、信じてるからね」
「都合の良い神様ですねえ」
「自分にとって都合が悪いものを信じる人間がどこに居るんだ」
「そんなに傷つけられて、痛みを強いられてもですか?」
引き出しから包帯や医薬品を取り出す彼の背中に問い掛ける。
振り向かずに突きつけられた答えは、驚くほど共感できるものだった。
「痛みには耐えられる。 孤独には耐えられない」
愛して欲しい、それだけか。
信じて、祈り、背く者に銃を向け、引き金を引いて。
そうしている間は、孤独から救われるのならば。
その精神こそが、神の 彼への、愛になるのだろうか。
「……」
失ったはずの右腕が疼くようで、不意に左手に触れた銀の剣を強く握り締めた。
黒い牧師服。
さらりと流れるブロンズの髪。
穏やかで静寂を湛えた碧の瞳。
胸には揺れる、金のクロス。
ああ、敵にとっては悪魔そのものだろう。
彼は神に魅入られている。
終
|
|