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 空気と君の細胞を離別させる輪郭をなぞるように








  + シンドローム +








 ぼんやり眺めていたテレビ番組。
 番組の最後に表れた、一つの心理テスト。






『あなたは天使です。
あなたは杖を持っています。
それは一振りすれば、地球を消し去ることができる杖です。



あなたはその杖を振りますか?』







 占いだとか心理テストだかナントカ判定、だとか。
 そんな類のものを好む人間は多い。
 自分を認識するのも楽しい、ということもあるだろうが 一番は
 自分はこういった人間である、というのを他者に示す、あるいは他者に評されることを好むのだろう。
 全ての人間がそうだとは言わないが。
 他者の認識の中でのみ存在できる人間というのは、少なくないだろう。


 自分がどういった人間であるかということよりも、
 他人にどう思われるような人間であることの方に重点をおく人間がいる。
 しかしその判別とは容易くなく、またその判別は意味を成さないことが多い。


 自分が他人にどう思われるような人間であるかということこそが大事で、
 他人を自分がどう思い、どう認識しているかということに無関心な人間もいる。
 本人が自覚していないことも多いので、その判別もまた容易くはなく、よってその判別も意味を成さないだろう。







「今すぐにでも振るよ」

 画面を遠目で見つめながら、カノンはぽつりと呟いた。
 ありもしないことではあるのだが、心理テストであり、あくまでものの例えだ。

 浄化にも値しない世界など。
 自分(達)が消えることで浄化される世界など。
 こんなにも汚れ切った世界など。


 消えてしまえばいい。
 生み出すのは悲鳴と涙と、

 いずれ涙も怒りも何も生まれない、
 そこにあるのはため息だけ。

 そんな世界になるだろう。


 そこに自分はいないだろうから。
 はっきり言って自分のいない世界など必要ない。
 自分がいるから世界があるのだと思う。
 無論自分が世界の存在を保っているなどといった頭のおかしい神じみたことを言うつもりはないが。

 事実、自分がいなくなっても世界は当たり前のように回り続ける。
 そんなこと知ったことではない、と言った風に。
 あらゆる存在を生み出し、そうしていながらあらゆる存在を無視し続けているのがこの世だ。


 あくまで自分という名前がついている世界の中での話。
 自分の知らないものは存在しないものと同じだ。
 自分が見て、聞いて、触れて、はじめてそれは存在するということになる。
 全て。

 自分が死んだ時点で世界は消える。

 そう、消えてしまえばいい。










 そこまで考えたところで、ふと視界の隅にカレンダーが目に入った。
 今日の次の日、つまり明日は日曜日で。
 ひよのと「遊ぶ」約束をしている日だ。
 普段通り何もせずただ公園のベンチにでも座ってぼんやりと二人違う方向を見て独り言のような噛み合っているようで噛み合っていないようで噛み合っている会話を交わすだけなのだろうが。
 そんなことをするためにわざわざ時間の約束を交わしてカレンダーに印をつけている自分が可愛く思える。

 頭に「ひよの」の顔が浮かぶ。
 あぁ、覚えている。
 彼女の顔を見て彼女の名前を呼べる。
 記憶している。






 心理テストの答えを聞きながら、ふと彼女ならどう答えるか、を勝手に考えてみる。
 自分の知ったことではないのだが。
 彼女という人間を自分なりの形で認識している以上、想像することはできる。
 恐らく彼女が答えてくる答え以上に「ひよの解答」に近いものであるという自信がある。

 どんな登場人物がいようが ココは自分の世界なのだから。







『私は振りませんよ』



 病んだ世界だ。
 うんざりする世界だ。
 自分だけじゃない、全てが疲れ切った世界だ。

 それでも彼女はこの世界を諦めないだろう。
 いや、諦めない なんて強い意思じゃなくて。
 諦め切れない そんな縋るような願い。



『それに私一人の意思決定でそんな大事なこと決められませんよ』


 ああ、浮かんでくる。
 キミならそう言う。







 信じるだろう。
 諦めない人間の存在。
 言葉だけじゃなく行動することができる人間の存在。
 自分の幸せ。
 自分よりも不幸な人間の強かさ。

 信じるという最も難解な行為を、








『カノンさんの世界でもあります。 私だけのものじゃありません。』







 綺麗事だ。
 目を背けることもできないくらい








『私一人の世界であり、 私だけの世界ではなく、 だからいつでも誰かと共有できるものであり』








 それが楽しみだから、期待したいから願いたいから、
 消さずに残しておく。










 そう言うんだろう。
 言って笑うんだろう。
 何も否定しない世界で。

 全てを受け止め全てを拒絶する 孤独で大衆に佇んで一人光を放っているような世界で。






 キミの光が見える。
 ならそれと同じ光が 僕の中に潜んでいるということでもあるのだろうか。
 少なくとも それを光と認識できるということは。


 それだけに 侵食されているのだろうか、


















 endless









「あの人ならこう考えるだろう」と考えられるということはその価値感が自分の中で生産されるということであり、それに対し嫌悪感抱こうが拒絶しようが、その他者に影響を受けているということのような気もする。

ちなみにこの心理テスト。 振ると答えた人は「人生に疲れ切っている人」、振らない人間はそうでない人という結果です。
でも疲れていようがいまいが振る人間は振るし振らない人間は振らない。
臆病であったり正義感の強い人間であったり綺麗事スキーであったり無関心であったり自己中心であったり、様々〜な理由とかどーでもいい鑑みやら理屈やらがあったりと、
色々な考えのもとに世界は消えたり消えなかったり。

実際の自分がどうであるという答えよりもそういう価値観であるというアイデンティティーとかよりも、
他者から見て「こいつならこう考えるだろうな」という外からの価値観。
の方が重要だと思うことも、ある。
それが大切とか正しいとか良いとかそんなんじゃあなくて。

自分がいるから自分の周りの存在がおまけでついてきているのと同じように、
自分以外の人間、という他人が認識してくれているから自分は存在できているのであって。
地球って神様は冷たいと思うこともある。
全てに目を向けられない癖に人間作りすぎて躾に失敗している。
もっと簡単な生物にしてくれれば良かったと嘘をつきたいこともある。

全てに平等で言い訳のよーな胡散臭い愛を注いでくれる神様よりも名前を呼んでくれる隣の他人の方が私には優しく思えることもある。



すみません今回のは永遠にエンドレス。