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 あなただけに癒されるなんて思わないで







  + ドクター +








「……最悪の再会だな」
「私もそう思います」

 言葉とは反対に、彼女の顔は穏やかに笑っていた。





 最後にひよのと会って話したのはいつになるだろう。
 幾つもの言葉を交わしたと思う。 恐らく、普通の「友達」よりは。
 白い天井を拒むように手で目を覆いながら、カノンは深く嘆息した。
「キミが医者になってるなんてね…」
「医大に進学したのは知ってたでしょう?」
「まぁね…でも僕自身が診られるなんて思いもしないよ」
「それもそうですね。 私もカノンさんとこんなしょぼいことで再会を果たすことになるとは思いもしませんでしたよ」
「しょぼいって…」
 くすくすと楽しげに笑うひよのに苦い笑みを浮かべる。 居た堪れないのは事実だ。
「高校時代、日々語り合って一時でも素敵だと思っていたカノンさんが数年後、家中の薬という薬を全て飲み下し、それもすぐに発見されて救急車を呼ばれ…胃洗浄を受けて生き延びた・なんて しょぼいじゃないですか」
「…………」
「なんでそんなことをしたんですか」
「そんなことを訊いてどうするつもり?」
「どうもしないですよ。 ただ…私がそう訊いたなら、あなたは話さずにはいられなくなるでしょう?」
 窓辺で笑う穏やかな顔。 鈴の鳴るような声は変わらず、昔長く垂らされていたお下げは短く切られ、白衣を纏う肩越しに青い空がよく見える。
 生を自ら手放そうと決断するほど絶望した後で、それを決行した後で。
 綺麗だと思うものが目の前に現れるなんて卑怯だ。


「僕はいつも、キミに会いたくなかった」


 言葉だとか 笑顔だとか 繋がれる手の温もりだとか
 くれたものはたくさんあっても
 自分のものになったものは一つも無かった。


「…そして今も キミになんて会いたくなかった」


 ポツリポツリと呟くカノンに、ひよのは小さく笑った。 駄々を捏ねる子どもを母親が困りながら、それでもどこか慈しむような顔。

「今じゃなきゃ、会いたいと思ってくれました?」
「……」
「あなたが今のあなたじゃなければ、私に会いたいと思ってくれましたか?」
「………どうだろうな」
「私はカノンさん、あなたに会いたかったですよ」
 こんな形で出会うことになるとは思わなかったけど。 そう付け加えてまた笑う。
「……彼、は」
「え?」
「『彼』は、どうしてるの?」
「……………」

 優しい笑顔も、明るい声も 希望に満ちた言葉も。
 全て彼のためのものだった。
 それはつまり彼がもたらしてくれたのだと、昔彼女がそう言っていた。

「そうなんだ」
 ひよのの沈黙が何を意味しているのか決めかねはしたが。 努めて、興味もなさそうに呟く。
 一瞬だけ眉を寄せたが、ひよのは窓の外をぼんやりと眺めながら呟いた。 久し振りに出された存在が嬉しかったのか、声は一層柔らかくなった。
「苦しむなら治る、死ぬならせめて安らかに。 ……苦しんだ果てに結局死んでしまうなんて あんまりですよね」
「…………」

 暗に、責められている気がする。
 『彼』がどうなったのかなど知らない。
 彼女が何のために医者になったのか。
 彼女が向ける『人間』への優しい眼差し。
 自分がつい最近否定したもの。

 色々なものを誤魔化そうとして、問い掛ける。
「彼がいないと死んでしまうって、そう言ってなかったっけ」
「そうきましたか」
「死ねって言ってるわけじゃないよ」
「そうだったら大問題ですよ」
 カノンの不躾な質問に腹を立てた様子もなく、『彼』を懐かしむように目を細めた。
「彼がいないと死ぬと思ったんですけどね。呼吸も脈も脳波も止まらなかったんですよ」
「………」
「死ぬことから逃れられないように、生きることから逃れることも出来はしないんですね」

 責められているのだと、気付いたときには遅かった。
 抜けない楔を打ちつけられてしまった、この上なく穏やかに。

「僕が昔、キミがいないと死ぬと思ってたこと 知ってた?」
「ええ。 でもやっぱり逃げられませんでしたね」
 ふふと笑う頬。 手を伸ばせばきっとするりと逃げて行ってしまうのだろう。


「僕はキミになんて出会わなければ良かった」

 半分の嘘と、半分の本当と。

 会わなければ逃げられたかもしれない。
 少なくとも逃げられないということを 知らずにいられた。











 終







ずっと前から思ってるんだけど ひよのさんて本当お医者さんが似合うんだよなー。
完全に脳内妄想ですワホーイ