伝えないことによって素晴らしくなる想いもあるのです
+ レトロ +
「こんにちわ、です」
「…また間違い?」
嘆息混じりに帽子を被り直す。
よく晴れた暑い日。
人通りの少ない街道にぽつんと置いてあるポストの横、ちょこんとしゃがんで太陽から隠れるように。
少女は悪戯っぽく笑い、すみませんねぇと言った。
この暑さが少しだけ和らぐような、鈴の音のような声。
はじめて会ったのは十日ほど前だろうか。
宛先を間違えて書いてしまったから、と、郵便物を回収しに来る自分をずっと待っていたというのだ。
そう多くはないポストの中身を漁り、水色の封筒を一枚取り出すと、笑って会釈して去って行った。
それから今日に至るまで。
毎日少女はポストの横に座っていた。
決まって宛先を間違えて出した、水色の封筒。
陽を浴びて少し赤くなった頬。
手紙を取り出すと、決まって笑顔ひとつ浮かべ、会釈して去って行く。
揺れる蜂蜜色のお下げ。
白いスカートの裾。
水色の封筒。
鈴の鳴るような声。
陽に焼けた笑顔。
何日目になったことだろう。
「こんにちわです」
「…今日もかい?」
「どうもすみません」
ふふ、と小さく笑う。
「本当は、どこに出すつもりなの」
「どこにも出さないんですよ」
「それじゃあ届かないよ」
「届いてますよ?」
「?」
からかうような笑顔。
首を傾げると、少女は更に楽しそうに笑った。
「お兄さん、手紙は…どこからが相手に気持ちを伝える段階なんだと思いますか?」
気持ちが溢れる唇から。
便箋を買いに行くコンビニへの道から。
想いを綴るシャープペンの先から。
封を閉じるシールの台紙をつまむ二本の指先から。
ポストへと歩く足を運ぶサンダルから。
ポストの口へ手を挿し込む冷たさから。
回収される赤い箱の重量から。
耳に馴染む自転車のベル、ブレーキの音から。
郵便受けの蓋を開ける新しい気持ちから。
封筒の裏の差出人の名前を見て微笑む口元から。
封を破る不器用な手先から。
「そして…気持ちが伝わるということは、どこが到達点なんですかね。私はそれがわからなくて困ってるんです」
「………難しいねぇ」
「難しいですよ〜」
少女が笑う。
水色の封筒を胸に押しつけるように抱いて。
「それ、ずっと同じものなの?」
「まさか。毎日違いますよ」
「ちゃんと…届けなくて良いの?」
「だから届いてるんですってば、私の場合」
「ふーん…」
「手紙を送ってますよ、あなたへの気持ちを綴ってますよ、という事実を伝えるのが手紙の最大の目的じゃありません?」
「手紙の内容は?」
「まぁ、オプションですね」
「なるほど」
僕が肩をすくめると、少女は楽しそうに笑った。 今度はどこか照れ笑い。
「…それで、」
キミがこうして手紙を出してること、相手はちゃんと知ってるの?
それは伝えてるの?
と尋ねると、少女は嬉しそうに笑って頷いた。
「もちろん、ですよ」
「こんにちわです」
「こんにちは。 今日も出したの?」
「ええ」
日差しも強くなり、少女のお下げに麦わら帽子が被さるようになって。
彼女の手紙は、
それに込めた気持ちは、どこまで行っているのだろう。
出し続けられる手紙。
どこまで
届けられているのだろう。
届いてます、と微笑む顔。 増えて行く手紙。
これで何回目になるんだろう。
終